ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか
テクノロジーと身体の遊戯
はじめに
第1章 ディズニーランド化する社会 1−1 「だって、愉しいから」 なぜディズニーランドへゆくのか / ビジネス書的ディズニー言説 / 人文社会科学系 の知におけるディズニーランド 1−2 シミュラークルの楽園――消費社会論と文化記号論 シミュラークルの完璧なモデル / 消費社会のディズニーランド / 東京ディズニーラ ンド開園以降 1−3 建築・都市のディズニーランド 現代建築の「最高傑作」 / ディズニーランドのポストモダン / ショッピングモール
第2章 外部の不在、希望という外部 2−1 外部の不在とディズニーランド化 外部の不在、外部の流入 / ディズニーランドと「つながりの社会性」 / ディズニーの 物語性をめぐって / 「浦安ブランド」とその3・11以後 2−2 不可能性の時代 内在しつつ「希望」を語ることの困難 / 不可能性の時代 / 内在的批判可能性への 四つの要件 2−3 内在的に希望を語るために 希望を語るための条件 / 極限的な地点としての「裸」の身体 / 参加と体験のディズ ニーランド / 映画としてのディズニーランド / 偶有性、愉しさ、実践 / 内在的批判 可能性への戦略
第3章 社会変革の実践から日常の実践へ 3−1 実践とその二つのベクトル 3−2 実践という思想 プラチックとプラクシス / テオーリアーとプラークシス――実践の由来 / 近代知批 判としての実践 3−3 批判的メディア実践とワークショップ 社会変革の実践としての批判的メディア実践 / 参加、体験、共同、学び――ワーク ショップという活動 / 実践共同体とそのデザイン / サルトル的実践としての批判的 メディア実践 3−4 社会変革から日常へ 社会変革志向の実践が孕むもの / ワークショップの陥穽 / 批判性の喪失 / ワークショップと資本主義 / そして日常の実践へ
第4章 テクノロジーと身体の〈アトラクション〉 4−1 なぜ〈アトラクション〉なのか 4−2 〈アトラクション〉の日常 〈アトラクション〉とディズニーランドのアトラクション / テクノロジー化した日常 / 日常的実践のモデルとしての遊戯機械 4−3 ハビトゥスから〈アトラクション〉へ プラチック的実践におけるテクノロジーの不在 / 身体技法とハビトゥス / ハビトゥス と〈アトラクション〉 4−4 〈テクノロジーの遊戯〉――物質、運動、ゲーム 目的・機能から実践を解放するもの / 言語ゲームとしての日常的実践 / 〈テクノロジーの遊戯〉――知覚の攪乱、第二の技術、共同の遊戯 4−5 遊戯機械、見世物、引力 「第二の技術」としての遊戯機械 / 回転木馬とコースター――遊戯機械の運動パ ターン / 見世物という引力 / フジパン・ロボット館 / 〈テクノロジーの遊戯〉として のスラップスティック / 魔術としての引きつける力 4−6 露出症としてのテクノロジーの本性 テクノロジーと魔法 / ミッキーとキートン――機械としての映画 / 露出症としてのテ クノロジー
第5章 契機としての〈テクノロジーの遊戯〉 5−1 サイボーグと縫合 〈テクノロジーの遊戯〉による非人間化 / サイボーグ化をめぐって / 縫合と縫合糸 5−2 文化を脱ぎ捨てる 経験と貧困と新たな未開――ベンヤミン / 〈テクノロジーの遊戯〉としての映画経 験 / アトラクションとしての初期映画 / 文化から解き放たれること 5−3 モンタージュとしての動詞 運動をモンタージュする / 動詞と行為 / 家族的類似性 / 「遊歩」する動詞 / パノラマ的、ヴォードヴィル的
第6章 ディズニーランド化する社会で希望はいかに語りうるか
註 あとがき 索引
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