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★他にもあります! 慶應義塾・福澤諭吉ジャンルの『ウェブでしか読めない』
今回は、明治7年4月4日付の荘田平五郎(しょうだ へいごろう)宛福沢書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 298〜301頁)をご覧いただきたい。適宜現代風に改めてある。
〔前略〕分校といって、教える人が時々交代するのでは、教師と生徒との間に親交も深めることができません。以前に出版局の出店でも時々交代しては、商売に不都合がありました。〔後略〕
その中心的な担い手となったのが、あの朝吹英二(彼については、本連載の第30〜33回をご覧のほど)。ところが、先の荘田宛福沢書簡によると、大阪ではどうしても「出店」意識が拭い去れず、おそらく東京三田と大阪との間で局員がしばしば交代したのであろう。それに伴う営業上の損失を福沢は指摘している。
結局のところ、福沢は教育においても商売においても人と人とのつながりを何よりも大切にした。しかしながら、その当然のことがわかっているようでいて、実際にはなかなかできないことは、当時も現在も同じような状況にある。