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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2008年6月17日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第28回:慶應義塾出版局の活動(その10)
 

目次一覧


前回 第27回
慶應義塾出版局の活動(その9)

次回 第29回
慶應義塾出版社への改組

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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松田道之

今回は福沢諭吉が慶應義塾出版局と並んで進めていたもう一つの構想について、明治6年11月6日付の松田道之(まつだ みちゆき)宛書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 282頁)を読んでみよう。

〔前略〕以前からお話し申し上げました小学教授の法ですが、少しの本で広く教えようとする趣意で、このたび『文字之教』と申すものを著述いたしましたので、3冊お贈りいたします。ご一覧下されたく、また私方の社中で申し合わせ、暇がある者には日本国中の各所へ出張教授をするつもりなので、現在滋賀県にて英書および訳書の教師をご必要でしたら、人材を差し出すことができ、この教師派遣についても一工夫を設けました。つまり各県で教師を雇うと、莫大な月給を取り、とても長くはできません。よって今後は、教授の一方で翻訳書を売りさばき、学者と商人と両様の業を兼ねるつもりなのです。この人物が書籍の販売を業としてもその本職は学者なので、先方にてこの人物を従来の商人とみなして軽蔑することがなければ、月給は極めて安く優れた教師を雇い、さらに訳書類を購入できて好都合でしょう。これまたよくお考え下さい。このことは現在では奇談のようですが、何も学問と商業とははっきり区別できないので、少しでも世の中の手本にもと思い、まずは思い立ったわけでございます。〔後略〕

松田道之

宛名の松田は本連載の第21・24回目でも顔を出しているが、当時は滋賀県令を勤めていた。ここでも前回の柏木忠俊(かしわぎ ただとし)・九鬼隆義(くき たかよし)と同様に新刊書『文字之教』を売り込んでいる。興味深いのはその後に続く福沢からの提案で、慶應義塾から全国各地への出張教授の構想が示されている。その内容は単なる教師の派遣ではなく、教師の人件費が地方財政を圧迫するであろうことを見越して、その派遣教師に派遣先で翻訳書などの書籍を売りさばかせるという点が極めて斬新である。つまり書籍販売の収入源を確保できれば、教師としての給与が少々安くても生活できるので、県としても人件費を節約できて、同時に教育の質の向上もはかれるというわけである。ここでも従来の学者と商人という枠組みにはとらわれずに、商業をけっして卑下しない福沢の精神が発揮されている。

松田道之

慶應義塾で人材を育成し、出版局で書籍を販売することによって、人と物の両面から日本の近代化をはかるという実に雄大な構想が展開されている。このように福沢にとって、慶應義塾と出版局は表裏一体で、日本を近代化への道に引っ張っていくまさに車の両輪の役割を果たしていた。

そして、同年12月には『学問のすゝめ 三編』の刊行。

   
【写真1】 松田道之
  「第7代東京府知事 松田直之肖像」(『東京市史稿 市街編第63巻』より ※写真は東京都公文書館蔵)
【写真2】 『第一文字之教』本文
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真3】 『学問のすゝめ 三編』
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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