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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2009年1月29日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第35回:慶應義塾出版社の活動(その2)
 

目次一覧


前回 第34回
慶應義塾出版社の活動(その1)

次回 第36回
慶應義塾出版社の活動(その3)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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荘田平五郎

今回は、明治7年2月23日付の荘田平五郎(しょうだ へいごろう)宛福沢書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 291〜295頁)をご覧いただきたい。いつものように適宜現代風に改めた。

〔前略〕『帳合之法(ちょうあいのほう)』の学習を始めたとのこと、大変結構です。本式(複式簿記のこと)もしばらく翻訳をなまけて、20日程前にはじめて脱稿しました。現在、彫刻いたしております。版下の草稿は唯一本なので、版下が出来上りましたら、草稿をお回しするつもりです。〔中略〕毎月第二ソンデイ(サンデー)の集会を隔ソンデイの夜と定め、出版局に集まり、お金を使わないように談話して、今後はひたすらスピーチュ(スピーチ)の練習と、できるだけ仕向けております。〔中略〕私はもはや翻訳する気持ちはなく、今年はあらゆることをやめ読書勉強のつもりにございます。〔中略〕一年程学問するつもりです。学問の一方でいくらかの仕事は、小幡(篤次郎)君と計画して『民間雑誌』というニウス(ニュース)のようなものを毎月一、二回ずつ出版するつもりです。〔中略〕『学問のすゝめ』は第七編まで脱稿しました。このごろは余程ボールド(大胆)なことを言っても問題ありません。出版免許の課長は肥田君と秋山君です。しっかりとした担当者で好ましいです。〔後略〕

宛名の荘田は、臼杵(うすき)藩の儒者の家の生まれで、明治4年から慶應義塾の教員となり、明治5〜6年には慶應義塾の塾長を勤めるほどの人物で、明治6〜7年は大阪慶應義塾・京都慶應義塾の設立に奔走していた。この書簡は、京都滞在中の荘田宛に三田の福沢から差し出されたものである。

帳合之法二編

冒頭の『帳合之法』は、明治6年6月に刊行された『帳合之法 初編』のことで、詳しくは本連載の第22〜24回をご参照のほど。初編は「略式」(単式簿記のこと)を扱ったので、それに続く二編として「本式」(複式簿記のこと)が脱稿したことを告げている。この二編の方は、明治7年6月に刊行されるのだが、その前に福沢は荘田に対して草稿を回付することを約束している。荘田は福沢の右腕とも言える慶應義塾の実力者であり、福沢が荘田に対して全幅の信頼を寄せていたことがこのことからも読み取れる。

次に、慶應義塾出版社において毎月第二日曜日に演説の練習が行われていたことがわかる。明治7年6月には三田演説会が発会されるので、その前から着々と準備がなされていたことが読み取れる。この時点では、すでに慶應義塾出版局から慶應義塾出版社へと改組されているのだが、福沢は以前のまま「出版局」と記している。

文明論之概略

そして、この明治7年は福沢の著作活動において大きな転換点となった年で、従来の翻訳活動から、手を引く計画を述べている。実はこの時期は後に刊行される『文明論之概略』の執筆時期にさしかかっていた。明治7年の2月に初めての立案がなされ、3月に草稿の執筆が開始された。翌8年3月頃には草稿の執筆が終了し、刊行の運びとなった。




民間経済録

その一方で、この書簡と同じ明治7年2月には『民間雑誌』が創刊された。この雑誌の斬新な点は、読者から各地の諸問題を投書してもらい、それに答えるという企画である。毎月3〜4回の発行を予定していたが、実際には不定期刊行物となり、明治8年6月に終刊となる。時代を先取りした読者参加型の雑誌刊行の試みは、短期間で挫折してしまったのである。

今回の書簡の末尾に登場する肥田君と秋山君については、また次回のお楽しみに…。

【写真1】 荘田平五郎(慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真2】 『帳合之法二編』表紙
(慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真3】 『文明論之概略』表紙(慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真4】 『民間雑誌』創刊号(慶應義塾福沢研究センター蔵)
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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