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オリジナル連載

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第3回:「福沢屋諭吉」の誕生(その2)〜諸史料を読む〜
 

目次一覧


前回 第2回
「福沢屋諭吉」誕生 一大投機から

次回 第4回
「福沢屋諭吉」の営業活動(その1)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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 前回は「福沢屋諭吉」の誕生に至る経緯をたどってみたが、今回はそのことに関する諸史料を読んでみることにする。但し、今から百年以上前の文章なので、適宜現代風に改めてみた。興味のある方は、ぜひ出典(石河幹明『福沢諭吉伝 第二巻』岩波書店 1981年 3〜5頁)にあたっていただきたい。


 まずは、出版事業の自営化に乗り出した福沢諭吉が書林の問屋仲間に加入する際に差し出した証文から見てみよう。

 
 

            差上申一札之事

このたび私(福沢)は問屋組合のお仲間に加入して生活していきたいと思いまして、岡田屋嘉七殿を頼って組合に申し上げましたところ、組合でご相談の上ご承知下さり、ありがたく思います。つきましては前もって言い渡されておりました決まりごとの趣旨は言うまでもなく、禁止の書類等は決して取り扱いません。重板・類板等紛らわしい品も一切取り扱いません。すべてお仲間の決まりを堅く守ります。万一本人(福沢)の身の上にどのようなことが起きても、岡田屋嘉七殿が引き受けてすみやかに始末をし、お仲間へ少しもご苦労をおかけしませんので、どうかお役所のご帳面にお書き加え下さるよう、よろしくお願いいたします。以上。

    明治二巳年十一月

 
一、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
          芝金杉川口町
          善兵衛地借
              福沢屋諭吉
        神明町
            家  持
          嘉  七
 

冬掛り

     
   

御行事衆中

 

 ここに、「福沢屋諭吉」を史料の上でも確認することができた。福沢の保証人・身元引受人である岡田屋嘉七とは、以前から福沢の著訳書の出版を引き受けていた尚古堂の主人である。


 次に、『書物屋仮組連名帳』という組合の台帳を見てみよう。

 

 
明治二巳年十二月三日
  芝区金杉川口町   善兵衛地借
一、
新加入  東京御府願済
      福沢屋諭吉

 ここでもまた、「福沢屋諭吉」の名前を確認できる。

 それでは、このようにして生まれた「福沢屋諭吉」は当時の出版界において、一体どのような活動を展開していったのだろうか?

 それはまた次回以降のお楽しみに…。

 

 
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。

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