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オリジナル連載(2007年4月14日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第26回:慶應義塾出版局の活動(その8)
 

■ 目次 ■


前回 第25回
慶應義塾出版局の活動(その7)

次回 第27回
慶應義塾出版局の活動(その9)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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前回に引き続いて、慶應義塾出版局の様子を福沢書簡から探ってみることにしよう。今回は、明治6年7月24日付の平山良斎(ひらやま りょうさい)宛書簡(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年 270頁)。

〔前略〕住居は東京三田2丁目13番地、生活の手段は読書翻訳を仕事といたし、大層な財産もでき、富裕の一事に至っては官職についている大臣参議などうらやむにたらず、束縛されない平民は自由自在、ただ政府の法を守ってこの世を渡ります。〔中略〕私はもしかすると、県庁へ勤めに出るのも面倒ではないかと思います。わずかな月給をもらうより、商売を始めてはいかが。正直・倹約・勉強、この3つがあれば生活を心配することはありません。〔後略〕

この書簡の宛名の平山良斎は、かつて福沢が緒方洪庵の下で学んだ大坂の適塾の後輩にあたる。平山は県庁に勤めるにあたって、その保証人になってくれるように福沢に依頼した。その依頼に対して福沢は快諾したものの、一方で県庁勤めをわずかな月給をもらう面倒なものとして、商売の方を勧めている。さらには自らの富裕な財産について、大臣や参議などうらやましくないと述べている。ちなみに当時の政府は、太政大臣(だじょうだいじん)が三条実美(さんじょう さねとみ)、参議には西郷隆盛・後藤象二郎・板垣退助・江藤新平・大隈重信・大木喬任(おおき たかとう)の面々。こんな手紙を先輩から受け取った後輩の心中やいかに…。

前回の中上川彦次郎宛と今回の平山良斎宛の福沢書簡からは、それぞれ慶應義塾出版局の順調な発展振りが読み取れる。いずれも福沢の成功例が誇らしげに語られて、実業界へ打って出ることが強く勧められている。しかし、その実業界がそれ程なまやさしいものではないことは、他ならぬ中上川の三井における姿を見るまでもない。福沢の商売がこれほどうまくあたったのは、当然いくつかの理由が存在する。

まず、この時期に三度もの欧米体験をするという機会に恵まれたこと。単に欧米に行って帰って来た人間なら何人もいるが、好奇心に富んで欧米社会を貪欲なまでに見聞してきた貴重な体験に加えて、大量に購入した書籍が福沢の血となり肉となっていった。次に、明治維新による義務教育制度の開始や文明開化の時期にあたり、教科書や啓蒙書の類に対する社会的な需要が短期間の内に急激に高まったこと。さらに福沢がそのような社会の動向を的確に見極めながら、工夫を凝らしてわかりやすくおもしろい出版物を次々と刊行していったこと。この点は、福沢自身の文才が大いに発揮された。そして、何よりも出版事業に対する福沢の理念・理想がしっかりと確立していたこと。このことは本連載で何度も触れてきた通り、出版事業は単なる営利目的の一商売だったのではなく、「下民教育」「小民教育」による国民の教化を通じた日本の近代化を目指したものであった。また、そのような出版事業への着手や三田の土地の取得などに見られる機敏な積極性も欠かせない。

以上の諸々が相俟って、福沢屋諭吉や慶應義塾出版局は大発展を遂げることができた。

「末は博士か大臣か」という言葉に象徴されるような官尊民卑の風潮の中で、福沢が平山宛書簡の中で高々と掲げた「束縛されない平民は自由自在、ただ政府の法を守ってこの世を渡ります」という文言は、実に清々しく感じられる。それは「一身独立して一国独立す」に通じる福沢の生き方そのものであった。

「正直・倹約・勉強」、この3つだけでは生活していくのがなかなか厳しい現在ではある。しかしながら昨今のいろいろな社会問題を見るにつけ、やはり「正直・倹約・勉強」、この3つだけでもせめて大切にしたいと、改めて思う今日この頃である。

著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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