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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2007年3月20日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第13回:「福沢屋諭吉」の編集活動(その6)

 

目次一覧


前回 第12回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その5)

次回 第14回
「福沢屋諭吉」三田へ!(その1)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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 今回も、またまた『世界国尽(せかいくにづくし)』初版をめぐる杉山新十郎と福沢諭吉との間の問答について。
     
  問6. オーストラリアの金鉱について、もっと詳しく教えて下さい。

答6

オーストラリアで金が新たに出てきたのは1851年4月です。翌年から次々と発見され、1852年5月には金鉱で働く人員が3〜4万人を下らなくなります。その土地は「ニューサウスウェールズ」の付近です。「アレキサンドル」という山から掘り出した金は、純金の塊の重さが27ポンド8オンスというものもあります。初めて黄金を発見してから12ヶ月の間に1730万ドルにあたる量を掘り出したといいます。
このように最近のことであっていまだに評判は高くありません。しかしその盛んなことはカリフォルニアに劣ることなく、ゆくゆくは大規模な金山になるとのことです。

 

 
    シドニー
メルボルン

 今までの問1〜5は杉山から福沢に対する異議の申し立てであったが、この問6だけはオーストラリアの金鉱に関して教えを乞うというお願いになっている。杉山に対する返答の福沢書簡は明治4年2月付であるが、オーストラリアで最初に金脈が発見されたのはそれに先立つ20年前のことであった。さすがの杉山もオーストラリアの金脈については不分明であったらしい。福沢は細かい数字を列挙しながら丁寧に回答している。事情通の福沢の面目躍如といったところか。

 さて、『世界国尽』初版に対する杉山からの問いかけは以上で終わる。福沢としては冷汗が出るような誤記がいくつか指摘されたので、明治4年12月に発行された『世界国尽』再版ではそれらの指摘に従って修正された。

 何回かにわたって見てきた杉山宛福沢書簡本文の末尾は、以下のように結ばれている。

   『世界国尽』はただいま再刻して出来次第、1部差し上げます。誤記などをご注意いただきましてありがたく感謝申し上げます。

 今も昔も著者にとって手強い読者の存在は恐ろしくもあり、またありがたいものである。

【写真1】 『世界国尽 五』 初版 16丁オモテ(慶應義塾による復刊版)
【写真2】 『世界国尽 五』 初版 17丁オモテ(慶應義塾による復刊版)

 
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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