Web Only
ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2007年2月14日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第12回:「福沢屋諭吉」の編集活動(その5)

 

目次一覧


前回 第11回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その4)

次回 第13回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その6)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

『ウェブでしか読めない』に関するご意見・ご感想はこちらへ


『時事新報史』はこちらから 

『近代日本の中の交詢社』はこちらから 

 

 今回もまた前回・前々回に引き続き、『世界国尽(せかいくにづくし)』初版をめぐる杉山新十郎と福沢諭吉との間の問答について。
     
  問5. 第1巻冒頭の「凡例(はんれい)」では、イギリスの1里は日本の14丁40間予(けんよ)に相当すると記してありますが、その直後の本文ではイギリスの1里は日本の14町43間に相当するとなっています。一体どちらが正しいのでしょうか。
答5. 日本の曲尺(かねじゃく)の長さは実ははっきりしないのです。念仏尺(ねんぶつじゃく)があり、享保尺(きょうほうじゃく)があります。さらにその基準とする所は石か金で、これを移し取る品も木か竹であれば、その時々の寒暖によって長くなったり短くなったり、正確な所は決められません。イギリスの1里を14町43間としたのはある人の測量なのでこのように記しましたが、凡例に14町(丁)40間余(予)と記したのは問題がないように回避したのです。尺度量衡の事は日本では器械学が発達した上で本当に確定することでしょう。  

 またまた杉山からの細かく鋭い突っ込み! 当然のことながら、イギリスと日本では距離の単位がまったく異なるのでその換算を示したところ、凡例と本文で表記が異なるという指摘が寄せられた。福沢は日本の長さの単位が不統一・不正確であるゆえの二重表記であるとやや苦しい弁明をしているが、確かに読者にしてみれば戸惑うのも無理はない。ましてや杉山のように丁寧に細かく読み込むタイプの読者にしてみると、問い合わせてみたくなったのであろう。筆者としては、やや説明不足であったかもしれない。

 しかし福沢が困惑するのももっともなことで、当時の日本の尺度は実に様々なものが用いられていた。以下にいくつかの代表的な具体例をあげてみよう。

  又四郎尺 …16世紀前半の永正年間に、京都の指物師又四郎が作ったと伝えられ、広く大工に用いられた。1尺≒30.258cm。
  念 仏 尺 …近江国の伊吹山から発掘された念仏塔婆に刻まれた尺度によると伝えられる。1尺≒30.421cm。
  享 保 尺 …18世紀前半の享保年間に、8代将軍徳川吉宗が紀州熊野神社の古尺を写して天文観測に用いたと伝えられる。1尺≒30.363cm。
  折 衷 尺 …伊能忠敬(いのうただたか)が享保尺と又四郎尺を折衷して作った尺。1尺≒30.304cm。

 上記の他にも何と8世紀の大宝律令に基づく大尺・小尺もあれば、着物の仕立て用に使われる鯨尺・呉服尺というものまで存在した。福沢は「器械学」の発達によって尺度が確定されるであろうとの見通しを示しているが、実際には明治8(1875)年の度量衡条例によって、ようやく1尺≒30.3cmに統一された。

 この『世界国尽』初版が出版されたのはそれに先立つ明治2年のことであるから、福沢の表記が微妙に曖昧なのもうなずける。

 杉山からの問いは何とまだ続く! それはまた次回に…。
 
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
ブログパーツUL5

他ジャンル

ジャンルごとに「ウェブでしか読めない」があります。他のジャンルへはこちらからどうぞ。
ページトップへ
 
Copyright © 2005-2008 Keio University Press Inc. All rights reserved.