本書の序論「金正恩体制の形成─体制変化と政策継続─」(抜粋)を掲載中です!
新しく誕生した金正恩政権と周辺国が抱える課題とはなにか?『転換期の東アジアと北朝鮮問題』(小此木政夫、文正仁、西野純也 編著)。本書の序論 金正恩体制の形成─体制変化と政策継続─ を掲載しました。
 
   
転換期の東アジアと北朝鮮問題 小此木 政夫 編著 文 正仁 編著 西野 純也 編著
 

転換期の東アジアと北朝鮮問題

    
 
    
小此木 政夫 編著
文 正仁 編著
西野 純也 編著
    
A5判/上製/240頁
初版年月日:2012/04/12
ISBN:978-4-7664-1919-1
定価:3,990円
  
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新しく誕生した金正恩政権と
周辺国が抱える課題とはなにか?


深まる中朝関係、対立激化する南北、
強まる日米韓連携・・・
緊張の中で展開する朝鮮半島をめぐる国際政治。
日本をはじめ周辺国は、北朝鮮とどう向かい合うのか?

▼2008年以降の朝鮮半島をめぐる関係各国の動向に焦点を当て、金正恩体制後の今後を展望するとともに、さらに新しい地域秩序の構築をめぐる取り組みについても考察していく。

▼第1部では、今後の世界秩序を主導する米国・中国にくわえロシアの対朝鮮半島政策の変化を分析、第2部では北朝鮮の政治体制・対外政策、南北関係および韓国外交の側面から現状と今後を探り、第3部では転換期の中で見えつつある新秩序の胎動を取り上げます。

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特別寄稿
   
 

序論 金正恩体制の形成─体制変化と政策継続─



九州大学特任教授、慶應義塾大学名誉教授
小此木政夫


 昨年(2011年)12月17日に北朝鮮の金正日総書記が死去し、30日に開催された朝鮮労働党中央委員会政治局会議で三男・金正恩が人民軍最高司令官に任命された。したがって、本年4月の人民軍創建80周年記念日に挙行される盛大な閲兵式では、金正恩最高司令官がひな壇の中央で「英雄的な朝鮮人民軍将兵に栄光あれ!」と叫ぶかもしれない。いうまでもなく、これはちょうど20年前の1991年12月に父・金正日が人民軍最高司令官に就任し、翌年4月の人民軍創建60周年の閲兵式でひな壇中央に出現したことを想起させ、「金正日=金正恩」を演出するためのものである。

 

 本稿では、新たに登場した金正恩体制を金正日体制と比較することから始めたい。まず20年前に出帆した金正日体制と金正恩体制の時代的な背景や歴史的な役割の相違に着目し、次に金正恩体制づくりがどこまで進展しているのか、新しい政治体制の特徴をどのように理解すべきかを検討し、最後に新体制下での政策的な変化の可能性に注目した。(中略)

 

1. 金正日の遺産と金正恩の課題

 20年前に人民軍最高司令官に就任した頃、金正日は49歳という「働き盛り」であり、1980年10月の朝鮮労働党第6回大会で後継者としてデビューしてから12年目であった。指導部内では、さらに6年遡って、1974年2月の労働党中央委員会総会で政治委員会委員に任命され、そのときに後継者に指名されていた。また、最高司令官に就任してから1994年7月の金日成主席の死去まで、さらに3年半の間、金正日は父子の「二人三脚」を続けた。その意味で、金日成が死去したときに金正日体制はほぼ完成していたのである。

 

 しかし、それにもかかわらず、その当時の北朝鮮は南北間の体制競争と東西冷戦に「二重の敗北」を喫しつつあった。1980年代後半に重化学工業化を達成した韓国は、それに続いて民主化を達成して、1988年にソウル・オリンピックを開催することに成功した。これによって、先進国に仲間入りしたのである。他方、既存設備の老朽化、深刻な外貨不足に加えて、1980年代前半の新冷戦下での軍事費増大が北朝鮮経済を圧迫し、80年代後半の北朝鮮経済は破綻寸前の状態にあった。ソ連経済の破綻と社会主義経済市場の消滅が、そのような北朝鮮を襲ったのである。

 

 また、国際的政治的には、1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、12月にルーマニアでチャウシェスク政権が民衆革命によって打倒された。それ以後、東欧諸国で社会主義から資本主義への体制転換が急速に進展し、1990年10月にはついに東ドイツが西ドイツに吸収統一され、翌年末にソ連邦も消滅した。他方、ソウル・オリンピックを成功させた韓国の盧泰愚大統領は、東欧諸国、ソ連、中国に対して積極的な「北方外交」を展開し、1990年9月にソ連と1992年8月に中国と国交を樹立した。

 

 要するに、金正日は社会主義陣営が崩壊するなかで、破綻した国家を引き継ぐことになったのである。それ以後、金正日は北朝鮮の「生き残り」をほとんど唯一かつ最大の目標とせざるを得なかった。そのために、深刻な食糧危機のなかで、国民に「苦難の行軍」を強制して、核兵器とミサイル開発に邁進したのである。言い換えれば、数十万人の国民の犠牲と引き替えに、極端な軍事優先体制、すなわち「先軍領導体制」の下で、金正日の北朝鮮は生き残ったのである。その意味で、金正日は明らかに「暴君」であった。

 

 しかし、その結果、息子の金正恩が権力を継承したときの状況は20年前とは相当に異なっている。金正恩は父親から少なくとも二つの「大きな遺産」を引き継ぐことができたのである。第一に、核兵器と長距離ミサイルの開発がある程度のレベルに到達していた。とりわけ、金正日は新たにウラン濃縮に着手し、最新型の施設を獲得することに成功した。第二に、金正日の最後の時期に、大国化した中国との間に緊密な関係が構築され、中国が地政学的に北朝鮮の擁護者として再登場した。韓国哨戒艦沈没、延坪島砲撃などの武力挑発と前後して、金正日は3回も中国を訪問し、それに成功したのである。

 

 最後に残されたのは、「強盛大国の建設」、すなわち北朝鮮の経済復興という未完の課題であった。考えてみれば、金正日が2012年、すなわち金日成誕生100年の年に「強盛大国の大門を開く」という難しい課題を自ら設定したのは、経済復興こそ北朝鮮の長期的な存続を可能にすると確信したからだろう。事実、2010年9月の朝鮮労働党大会で採択された新しい党規約は、北朝鮮での「社会主義強盛大国の建設」と全国的範囲での「民族解放民主主義革命」を当面の目標として掲げた。

 

 そのような目標は金正日死後にも掲げられている。金正恩を人民軍最高司令官に任命した12月30日の党政治局会議決定は、金正日総書記の「遺訓」として「強盛国家建設で一大高揚を引き起こす」ことを要求したのである 。金正恩が金正日から引き継いだ歴史的な役割は、すでに存在する「金正日の遺産」を土台にして、第三の課題、すなわち経済復興を実現することにほかならない。言い換えれば、金正恩は必ずしも金正日のように「暴君」である必要がないのである。

 

 

2.急進展した金正恩体制づくり

 金正恩への後継過程にある最大の疑問は、2008年8月に脳卒中で倒れるまで、なぜ金正日が後継者を指名しなかったかである。そこにはある種の「ためらい」が垣間見られる。金日成から金正日への後継作業は、金日成が1972年に還暦を迎えると同時に開始され、非公開ではあったが、その二年後に金正日が正式に後継者に決定された。その前例を踏襲すれば、金正日は還暦を迎えた2002年には後継作業を開始すべきだったのである。

 

後略・以下は本書をご覧ください

 

 


詳細はこちらをご覧ください。

『転換期の東アジアと北朝鮮問題』慶應義塾大学出版会

 

 
     
著者・訳者略歴
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編著者

小此木 政夫
(おこのぎ まさお)

 

九州大学特任教授、慶應義塾大学名誉教授

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西野 純也
(にしの じゅんや)

 

慶應義塾大学法学部准教授

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文 正仁
(MOON, Chung-in)

 

延世大学校政治外交学科教授

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共同執筆者 中山俊宏 (なかやま としひろ)青山院大学国際政治経済学部教授
李熙玉  (LEE, Hee-ok) 成均館大学校政治外交学科教授
「鍾尹  (BAE, Jong-yun)延世大学校政治外交学科教授
兵頭慎治 (ひょうどう しんじ)防衛研究所地域研究部米欧ロシア研究室長
加茂具樹 (かも ともき)慶應義塾大学総合政策学部准教授兼政策・メディア研究科委員
崔鍾建  (CHOI, Jong-kun)延世大学校政治外交学科助教授
寺田貴  (てらだ たかし)同志社大学法学部教授
 
 
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