ジャーナリストの池上彰、メディア研究者の大石裕らが、これからのジャーナリズムのあるべき姿を考える!『ジャーナリズムは甦るか』(慶應義塾大学出版会)
     
 
   
 

ジャーナリストの池上彰、メディア研究者の大石裕らが、
これからのジャーナリズムのあるべき姿を考える!

 
   
   
 

 本書について

 
 

日本のジャーナリズムは何が問題なのか?
原発報道から歴史認識問題まで、メディア、ジャーナリズムの現状と将来を考える注目の書籍です。

第1部 「朝日新聞(誤報)問題」を中心に、二極化する報道、政治とマスメディアとの距離、「国益」とジャーナリズム、などをめぐる池上・大石氏の対論を掲載。

第2部 憲法学、政治学、マスコミュニケーション学の第一人者による、原発報道、国内政治とジャーナリズム、ITとメディアなどをめぐる討論を通じて、日本のジャーナリズムのあり方の是非とメディアの将来を問う。

  ジャーナリストの池上彰、メディア研究者の大石裕らが、これからのジャーナリズムのあるべき姿を考える!『ジャーナリズムは甦るか』(慶應義塾大学出版会)
 
   
●目次  
 

はじめに

第1部 今、日本のジャーナリズムを考える    池上 彰 × 大石 裕
  「誤報」はなぜ起きるのか? 
  ジャーナリズム論とジャーナリズムの「現場」との乖離
  メディアのフォーラム機能の意義と限界
  拡大する「朝日批判」、「リベラル」派世論の今後
  吉田証言批判の問題性
  ジャーナリズムの国籍
  ジャーナリズム不信とジャーナリスト教育
  ジャーナリストを目指す皆さんへ
   
第2部 ジャーナリズムを見る視角  片山杜秀×駒村圭吾×山腰修三×大石裕
  原発報道とジャーナリズム
  10 歴史問題とジャーナリズム
  11 言論・表現の自由と「国益」
  12 国内政治とジャーナリズム
  13 ジャーナリズムの未来
 
   
 
   
 

 『ジャーナリズムは甦るか』 の内容を一部ご覧ください!

 

   第1部を見る  
 

ジャーナリズムを見る視角 
片山杜秀×駒村圭吾×山腰修三×大石裕

 

 

 

 

(「戦後日本社会と原発報道」より)

  (前略)
山腰  三・一一以後、特にメディア研究やジャーナリズム研究の中では原発報道の分析が非常にさかんになりました。(中略)私は、原発報道を三・一一の以前と以後で区分せず、両者の連続性を重視したほうがいいのではないかということを特に意識していました。
 ジャーナリズムに注目した場合、大きな社会問題に関する報道の分析から日本の政治社会、あるいは価値観の特徴が見えてきます。私がこれまで手がけてきた、例えば沖縄問題でも水俣病問題でもそうです。これら二つの問題の報道を分析してきた視点を原発問題に応用するという観点から、三・一一以前の報道の傾向を捉える必要があると考えていました。
 個々の原発事故に関しては、全国紙をはじめ、特に地方紙、地元紙がさまざまな側面から積極的に報道を行ってきました。しかし結果的には、総じて日本のメディアが原子力政策を容認し、維持、促進してきたことは否めません。特にその過程で原子力の平和利用や安全神話という理論やイデオロギーを再生産してきました。
(中略)
 

山腰氏
 
片山  私はこの問題の専門家ではまったくないのですけれど、一般的なイメージでお話ししますと、原子力発電を推進するというときに、それがどの程度環境に影響を及ぼすかに関しては、最初の段階ではまだあまりわかっていなかった。平和利用の場合の事故リスクというものはあまり大きな問題ではないのではないか、というのが、最初のころのイメージだったと思います。
 それが五〇年代半ばからでしょうか、そして六〇年代にかけて、例えばイギリスでのウィンズケール原子炉火災事故(一九五七年)などいろいろな問題が生じて、次第に変わっていった。当時の日本の反原発運動がいわゆる反体制派と結びついたり、そうした運動が公害問題を意識するようになった漁業者と結びつくようになりました。(後略)
 

片山氏
 

(「立ちすくむ日本社会」より)

  (前略)
片山  それはある種の共犯関係ではないか。おっしゃるとおりで、本当はわれわれは知りたいけれども、政府は事実を覆い隠そうとしている、という単純な図式ではない。汚染水の実際の状況を知らされたとしても、自分たちが何かできるわけではない。どうでもいいとさえ思っている。しょうがないのだから、そんな報道はしてくれるな、というような。もちろん、そう思っていない人もいるとは思いますが、日本国民全体のムードとして、汚染水の報道や、「凍らせるのもうまくいっていません」、「またこんなことがあった」と言われても、自分たちに致命的被害が及ばなければ別にもうどうでもいい、見たくないと思っている。
 
駒村  そうだと思います。
 
片山  国民が知りたくないことを報道しても、部数も伸びないし視聴率も上がないから、だからあまり言わない。
 
駒村  国民の方ももう聞きたくないと思っている。あるいは、これはもう収束しない問題なのだと覚悟や諦めができてしまっている。自分が生きている範囲内では今のままだろうとみんな思っていて、何世代先のことまでは考えられない。したがって、とりあえずはオリンピックに賭けてみる。 
 先ほど山腰さんが日本人の根幹的な価値観は変わらないとおっしゃいましたが、もしかすると約七〇年前の戦争もそうで、どうやら物量的にもこれは勝てない、われわれはもしかしたら滅ぶかもしれない、というときに出てきたのは何かというと、およそ非科学的な、戦略的にも合理性のないものにすがる。神頼みですね。みんなが一所懸命、命を落として何かを信じればカミカゼが吹くみたいな議論が、やはりあった。
 二〇二〇年の東京オリンピックはカミカゼだと思って、みんなが信じている。あれが来れば、またかつてのようなにぎやかな、八〇年代のような東京が再現できる。インフラも整備される。
 

駒村氏
 
片山  八〇年代のバブルみたいなということですね。
 
駒村  オリンピックが来れば、みんなが楽しくなって、しかも日本経済がよくなる。ところが、カミカゼが吹いて特攻隊が成功したのかというと、そうではなかったわけですね。ジャーナリズムとは少し離れましたが、二つの現象には何か精神構造的に同じものがあり、そういうものをジャーナリズムも実は内面化しているのだとすれば、番犬機能どころではないという話になるでしょうね。(後略)
 
以後、本書をご覧ください。
   
   
 
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ジャーナリストの池上彰、メディア研究者の大石裕らが、これからのジャーナリズムのあるべき姿を考える!『ジャーナリズムは甦るか』(慶應義塾大学出版会)
 

ジャーナリズムは甦るか

    
 
    
池上 彰 著、 大石 裕 著
片山 杜秀 著、 駒村 圭吾 著
山腰 修三 著
    
四六判/並製/176頁
初版年月日:2015/03/20
IISBN:978-4-7664-2199-6
本体 1,200円+税
  
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日本のジャーナリズムは何が問題なのか?  原発報道から歴史認識問題まで、メディア、ジャーナリズムの現状と将来を考える注目の書。

 

 

     
     
     

 

 

 
 
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