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立ち読み  
編集後記  第66巻5号 2018年5月
 

▼本号の特集1「発達障害を受容しつつ前に進む」にご寄稿いただいた発達障害当事者である片岡聡氏と、ある学会のシンポジウムでご一緒したことがある。
 片岡氏は、薬学博士号を持つ極めて高機能の当事者であるが、現在、ピアサポーターとして自ら他の発達障害者の支援に取り組んでいる。聡明な片岡氏の話は、分析的で分かりやすく、また、支援の専門家でも気づきにくい障害受容の盲点を指摘するもので、強い感銘を受けた。
 一方で、壇上の片岡氏は、時にユーモラスに、また時に自虐的に、当事者の苦悩を語り、聴衆の笑いを誘っていたが、実は彼にとっての生きづらさは、まさにこういう状況ではないだろうかと感じた。

▼片岡氏の講演のなかで最も印象に残ったのは、当事者が前へ進むために受容すべきは、自分に発達障害があるということではなくて、自分自身の「属性」である、という発言であった。
 「属性」とは、身体の内と外の情報コントロールの難しさや自分ではそれが障害であると気づかないという問題である。必ずしも社会性やコミュニケーションの障害を指すわけではない。その上、成長のプロセスや過去のトラウマ、現在の環境や人間関係、支援や治療の在り方などによって、当事者の「属性」がもたらす問題は多種多様である。
 それゆえ、よくありがちなステレオタイプな障害概念にもとづく心理教育ではなかなか成功しない。支援者も様々な支援の方策を用意して柔軟に対応しなければ、当事者自身が障害を受容して前に進むことは難しいだろう。

▼片岡氏の話をうかがって、障害の受容を阻んでいるのは、実は支援者かもしれないと不安になった。
 というのも、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如・多動症(ADHD)は、まだまだ新興の障害概念である。短期間のうちに、病因論や診断基準が変わってきた。しかも、わが国では行政上の概念と医学上の概念との間にズレや混乱もみられる。それらが、支援の専門家のステレオタイプな理解を生じている懸念がある。
医療、福祉、教育の各分野における支援者集団の間に溝があることも認めないわけにはゆかない。

▼もう一つ、片岡氏の話を聴いて思ったのは、彼はなお生きづらさを抱えつつも、人として成長しつつある今の自分に希望を抱いているのではないか、という点であった。障害を受容しつつ前に進むことの本当の意味は、恐らく、そこにあるのだろう。
 障害のあるなしにかかわらず、人は成長することができる。同様に、まだまだ不十分な理解と支援の手段しか持たない私たちも、当事者と交流し、彼らを支援するなかで、なにかを学び、また人としても成長してゆけるように感じる。そこに支援を続ける意味がある。私たちもまた当事者に成長させてもらっているのだ。大切なことはともに希望を持って前へ進むことではないか。そう信じたい。

 

(黒木俊秀)
 
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