序「理想」を追う哲学――あるいは、現代のドン・キホーテ
納富 信留
慶應義塾大学文学部教授
「理想」という言葉は、平穏な社会や安定した時代においてはやや落ち着かない不安を催させる。ある一定のコースや枠組みの中で生きるかぎりそれほど大きな失敗や破綻はないという安堵感が広まっている状況で、「理想」を口にする者は、現実を受け入れていない外れ者、あるいは、そういった社会の安定を揺るがしかねない異物と看做されるかもしれない。そんな人はたんなる空想家、現実離れした夢想家として無視されるか、現実を脅かす危険人物として排除されるであろう。「理想」を語るのは、私たちが信じてやまぬ安定した大地、この現実にあえて裂け目を露呈させ、幸福の温い感覚に冷や水を浴びせるような余計なことと感じられる。
しかし、確固とした現実が思いがけず揺り動かされ、安定している(と信じてきた)未来への時間が突如断絶する時、私たちは荒涼とした無の空間に取り残される。2011年3月11日に東日本で起った大地震とそれに続く津波によって、平穏でのどかな村や町がまたたくまに流し去られ、膨大な人命や建物や財産、そして社会のシステムや約束された将来までもが一瞬で失われてしまった。また、自然災害に起因した福島第一原子力発電所の事故は、目に見えぬ放射能を広範囲にまき散らし、長期にわたる甚大な被害と将来への不安を私たちの生活に残している。積み上げてきた人間の生存と生活が理不尽にも破壊され、おそらく残りの人生では取り返せない状況に置かれた時、多くの人々は再び「理想」を口にし、それを心に、勇気をもって現実に立ち向かっている。この言葉は、安心して立っていた大地が失われた時に、初めて強い音を響かせる。人間はおそらく「希望」や「理想」を抱かずに、こうした状況を生き抜くことはできない。
本書で検討するように、「理想」という日本語が新たに生み出され広く用いられるようになったのは、明治の時代であった。安定した封建体制を否定して新たな近代国家を建設する必要に迫られた日本人は、西洋から怒濤のように流入する文物や技術や考え方を貪欲(どんよく)に吸収し、同時に、軍事や政治や経済の圧迫に対抗して、必死で生き残ろうとしていた。また、社会が内に抱えるさまざまな矛盾に直面し、個人の生き方に悩み苦闘していた。そんな時代に生み出され、現実と戦う旗印となったのが「理想」という言葉であった。
この言葉は、「哲学」を最初にヨーロッパから導入した西周(にしあまね、1829-98)が、プラトン哲学の解説で「イデア」の訳語として使い始めたものである。仏教や儒教、あるいは国文学でも用いられていなかった、西による純然たる造語である。だが、翻訳語として導入された多くの学術語彙の中で、「理想」という言葉ほど一般に浸透し、私たちの心の底ふかくに根づいている日本語は他に見られない。これがそれほど遠くはないある時点で、ギリシア哲学の術語として造られたという事実さえ、完全に忘却され、まったく意識されないほどである。
「理想」とは、あるべき最善の姿であり、それとの対比で現在の欠如を意識させ、それに向けて私たちを動かしていく力、向かうべき目標を意味する。「理想」を求めることは、この「現実」を相対化してその桎梏から私たち自身を解き放ち、より善き生へと向け変えることである。「理想」は、この現実世界を創り変えていくポジティヴでダイナミックな言葉であり、エロース(恋情)のかき立てる熱意や若々しさ、超越への飛翔、そういったイデア的な憧れが向かう先であった。この意味で、「イデア」という西洋の哲学概念を「理想」と訳してその語に希望を託した日本の近代は、無意識のうちに、遥かにプラトンの哲学を目指していたとも言える。
「イデア」を語るプラトン哲学が「理想」という日本語と直接に手を携えたのは、主著『ポリテイア』の翻訳が「理想国」という独自の標題で公刊され、明治後期から大正、そして昭和初期に人々がこぞって読んだ時である。「正しさ」を実現するポリスと魂のあり方を描き出すその対話篇は、「ユートピア=理想国」論最大の著作として、近代日本の国家建設に、深層で力を与え続けた。「理想」を貪欲に求める時代の熱意が、プラトンの「理想主義哲学」にとりわけ大きな魅力を感じていたのである。
しかし、「理想国」を合い言葉に新しい社会と国を創ろうとした熱情は、悲惨な戦争と理不尽な他者の抑圧を招いた。その反省は、戦後においてもきちんと為されてはこなかった。明治以来熱く交わされた「理想」をめぐる言論は、反省や批判を受けることなく、やがて忘却されていく。それゆえ、第二次世界大戦以前の社会でくり返し口にされた「理想国」という言葉は、戦後の醒めた視角ではもはや語られなくなってしまったのである。
だが、「経済復興」や「高度成長」は、荒廃から立ち直るかけ声になっても、高邁(こうまい)な「理想」ではありえなかった。「戦後」と呼ばれる時代が終わり、GNPが世界第二位になっても、私たちの生活にはなにか根本的なものが欠如しているという空漠とした感覚が漂っていた。そこでは、あるべき人間の生き方という「理想」の追求や議論が置き去りにされたまま、「自由」や「平和」や「民主主義」が合い言葉に掲げられ、それらもやがて消費され空疎になっていった。人々の「無関心」が危惧された時代もあったが、それすら過ぎ去ってしまった。「自分らしさ」は画一的な商品にされ、絶えず更新していく消費経済はマイナス成長や少子化に脅かされて、最終的に震災で根本的な行き詰まりを突きつけられた。
では、二一世紀に入り、太平洋戦争から七十年を経た今日、そして再び巨大な自然の力と科学技術使用の限界によって生活と生存の安定を根こそぎ揺るがされた時代に、私たちはこの「理想」という言葉を口にすることができるのか。そして、それをあえて語るべきであろうか。
江戸時代までに培われた伝統の上に、一九世紀半ばから西洋より移入された「哲学」(フィロソフィア)は、一世紀半の時を経て、日本の社会と文化をここまでに形づくってきた。私たちの時代は、幾世代もの先人たちの努力の上に、成熟を迎えつつあるのではないか。哲学は私たちに何を語りかけてくれるのか。今、私たちは哲学から何を作り出すことができるのか。問われているのは、哲学の現在である。そして、哲学が問いを向ける先に、「理想」がある。
本書は、古代ギリシアの哲学者プラトンが、現代の日本においてどのような「理想」を語ってくれるのか、いや、どのような語り方を問題として提起してくれるのか、を問うていく。ここでは、プラトンの主著『ポリテイア』が焦点となる。この著作には、戦後『国家』という標題が定着しているが、明治以来の近代日本で用いられた『理想国』という呼び名にあえてこだわり、そこから問題を見据えていく。本書は三部構成をとり、プラトンの「理想国」論を、現在、過去、未来という視角から論じる。
第I部では、プラトンの『ポリテイア』が、20世紀半ば以降、現在どのような議論を引き起しているかを整理する。まず、対話篇の主題となる「正義」や「人間本性」の問題性を確認し、次いで、プラトンの政治論に加えられた全体主義という批判に向き合う。私たちが直面する哲学の課題を見極め、そこに『ポリテイア』の現在性を探ることが、ここでの目標である。
第II部では、『ポリテイア』を私たち自身の問題として捉え返すために、この著作をめぐる日本の過去を反省していく。プラトンの名の下に「理想」に挑み失敗した近代の人々を記憶し、彼らについて語っていくことが、私に課せられた使命である、と信じている。それゆえ、この部分には、本書でもっとも多くの紙数が割かれる。『ポリテイア』を読んできた私たちの先人たちに、今、その同じ著作を読んでいく私たち自身の姿が写し出される。
第III部では、プラトンがテーマを託した「ポリテイア」という理念を明らかにする。そこに帰せられたいくつかの誤解を退けることで、この現実で「正しいあり方」を実現していく私たち人間の可能性を回復したい。最後に、「理想」という日本語に込められた哲学の未来を、プラトンを超えて探っていく。プラトンの『ポリテイア』は私たちに「理想」を語りかける。私たちはそれに応えて自ら「理想」を語り、聞くことで、また、書き、読むことで、共に哲学を生きていくのである。
ポリスと魂の理想、つまり「ポリテイア」という正しいあり方をめぐって、プラトンに挑戦すること。たとえドン・キホーテ的であろうと、それが哲学の可能性である、そう信じている。
(以降 本書をご覧ください。)
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