2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー
『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)

特別寄稿「キング・トランプ&プリンス・ジョーンズ」

(訳者 池田 年穂)

 

訳者 池田年穂氏 特別寄稿「キング・トランプ&プリンス・ジョーンズ」

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)

 ミスター・プレジデント、ニュー・キング・オブ・アメリカ! 就任おめでとう。 ドナルド・トランプ氏。甲乙つけがたい、というよりも丙丁へいていつけがたい大統領選挙を勝ち抜いたあなた、ドイツ移民の孫・スコットランド移民の息子のあなたは「アメリカンドリーム」のまさに体現者だと訳者は思う。

 一方、タナハシ・コーツは、「39歳の父から14歳の息子サモリへの手紙」のスタイルをとった『世界と僕のあいだに』で、本人の発言は一つとして記されていない存在のプリンス・ジョーンズについて、何度も言及している。プリンス・ジョーンズは、2000年に25歳の若さで警官に不条理にも殺害された。

 「けれども、人種は人種主義の子どもであって、その父親ではないんだ」とコーツは息子に語る。社会学的には、アメリカの「黒人」は、たとえば仮に「一滴規定ワンドロップルール」を逆手にとれば、かなりのパーセンテージが「白人」に分類されることになる。いってみれば「黒人」は生物学的分類ではなく、「略奪するために」つくられた集団である。同様に「白人」も「白人として行動し、白人として話し、白人であろうとする「ドリーム」」を持つが故に、「他の何者か――カトリック、コルシカ人、ウェールズ人、メノー派、ユダヤ人」から「白人」となったのだ。「白人」もアメリカにおいてはつくられた集団に過ぎない。そして、白人のその「「ドリーム」こそが、プリンス・ジョーンズを殺し、同じように、シカゴで黒人たちをぎょっとさせられるほど定期的に殺して」いることを息子に教える。

 プリンス・ジョーンズはコーツのハワード大学(ワシントンD.C.にあり黒人の名門大学として名高い)での同級生であった。「プリンス・ジョーンズについて理解しておいてほしいのは、彼がその名プリンスにまったくふさわしいのを示していたことだ。彼はハンサムだった。背が高く、肌は褐色で、やせ気味で、アメリカンフットボールのワイドレシーバーのように力強かった。著名な医師の息子だった」。その母親はアイヴィーリーグの名門大学に進むことを望んでいたが、「ハワード大学へ来る学生の少なくとも三分の一がそうであるように、プリンスは黒人の代表を務めなきゃならないのに飽き飽きしていた。ハワード大学にはそういう、僕とはタイプの異なる学生たちがいた。彼らはジャッキー・ロビンソン(註1)型のエリートの子弟だった」。そのプリンスは、婚約者の家のすぐそばまで行ったところで、射殺される。加害者の警官が黒人であったことは本質に関わる問題ではない。警官による黒人への暴行や殺害は、60年代の公民権法成立後もたくさんの大規模都市暴動が発生する引き金となってきたことでわかるように、あまた見られるのは今日に至るまで変わらない。近年はスマートフォンの普及もあり映像が得やすくなったが、警察の蛮行とそれに伴う大規模な抗議や都市の非常事態宣言などは、わが国でもメディアがしじゅう報じるところだ。その種の警官の「バックには、アメリカという国の権力とアメリカの遺産の重みがあること。そして、毎年破壊される肉体のうち黒人の数がむやみに多く、とうぜん比率も不均衡に高くなるのが必要とされている。……アメリカでは、黒人の肉体の破壊は伝統だ。それは「ヘリテージ」」なのだとコーツは息子サモリに説く。「僕たちがこの国で奴隷にされていた年月が、自由になってからの年月より長いことを絶対に忘れてはいけない」とも。

 Everything alters, but never changes. これは訳者の平成7年に亡くなった父の口癖の一つだった。対立してばかりの父子関係だったが、最近折りに触れて亡父の言葉を思い出すのに驚く。コーツはサモリに説く。「このごろ、「警察の改革」という言葉が流行ってきたね。そして、社会の名において任命された僕らの守護者たちの行動が、大統領からそこらを歩いている人たちまで広く関心を惹くようになってきた。お前も多様性ダイヴァーシティの話とか、感受性トレーニングとか、ボディカメラのことは聞いたことがあるんじゃないかな。どれも素晴らしいものだし、適用できるものさ。けれど、この問題はそうしたものだけで解決できるほど根の浅いものではない……」。どうやら、“alters, but never changes”のようだ。

 そして、「警察はアメリカそのものの意志と恐怖とをみごとに反映しているし、それに、この国の刑事司法政策をどう考えてみても、「弾圧的な少数の者たちによって押しつけられたものだ」などという解釈はありえない。……よって警察に異を唱える行為は、アメリカ国民に異を唱えるのと同じことになる。国民は自分で恐怖を増幅させ、武装した警察をゲットーに送り込む。その恐怖は、自分たちを白人であると考える人間たちに、都会を捨てて「ドリーム」へ逃避させたのと同じ恐怖だ」。ここでは、「ドリーム」の同義語が「郊外」であり、「郊外」の反意語が「ゲットー」であるのだ。

 息子サモリを親戚に託してハワード大学でのプリンス・ジョーンズの葬儀に参列した「無神論者」のコーツは「一回限りしかない命とその肉体だけを信じてそこに座っていたんで、自分が異端者のように感じていた。プリンス・ジョーンズの肉体を破壊するという罪に対して、僕には許しなど考えられなかったんだよ」。「赦免」はコーツにはあり得なかったのだし、精神と肉体は不可分だったのだ。

 9.11.をコーツはブルックリンから目撃していた。「その日ニューヨークにいた全員に物語があると思う。……煙がもうもうと立ちのぼり、マンハッタン島を覆っていた。……だけどアメリカの廃墟を見つめながら、僕の心は冷めていた。僕には僕だけの惨事があった。僕たち黒人を異様に警戒する警官たちの例に洩れず、プリンス・ジョーンズを殺した警官も、アメリカ国民の暴力装置だった。……マンハッタン島南部が、僕ら黒人にとってはいつでも「グラウンド・ゼロ」だった歴史を考えていた。彼らはそこで僕たちの肉体を競売にかけていたのだ。荒廃した、いみじくも「金融街」と名づけられた同じ場所でね。……だけど、ニューヨーク市のあの場所に恐怖テロを持ち込んだのは、ビン・ラディンが最初じゃないのは確かだ。……その後の数日間に僕が目にしたのは、滑稽なほどに飾られた国旗の列、消防士たちのマチズモ、そして凝りすぎたスローガンだった。クソ食らえだ。プリンス・ジョーンズは死んだんだ」。恐らく「白人」のアメリカ人にとって、本書で最も offensive な記述だろうが。

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)

 コーツは、プリンス・ジョーンズの母親、周りをゲートとフェンスで囲んだ富裕層のための「ゲーティドコミュニティ」に住むメイブル・ジョーンズ医師を訪ねる。生まれは深南部のルイジアナ州で、シェアクロッパーの父親のもと赤貧のなかで育った。彼女の一見「アメリカンドリーム」を思わせる成功譚は、白人と黒人のあいだの「隔たり」を個人の力で超克することに尽きた。あくまで「個人の力で」有能さを証明しなければならなかった。さもなければ、「意味を持つ唯一の期待はメイブル・ジョーンズ個人への評価に根ざしていなければならないというのに、黒人という種族トライブへの期待が尊重されるべきものになってしまう」のだし、時代も「アファーマティヴアクション」の導入の前だったのである。コーツは息子にこうも説く。「「隔たり」は効率的に分類するのを可能にするけどね――略奪される人間と略奪者、奴隷と奴隷所有者、シェアクロッパーと地主、それに食人種カニバルと食われてしまう人間、ってぐあいにね」。とりわけ最後の「分類」にはシニカルなヒューマーを感じざるをえまい。

 コーツに向かって「ジョーンズ医師は、一八五三年に発表された自由黒人の奴隷体験記『一二年間奴隷として』(註2)の話を持ち出した。「彼はそこにいたのよ」とソロモン・ノーサップ――解放奴隷の男性と自由身分の混血黒人ジャン・ド・クールール・リーブル出身の女性のあいだの息子だった――について語った。「彼には資産があった。家族があった。人間らしく生きていた。でも、人種主義的行為が一回あっただけで、ノーサップは奴隷に連れ戻された。私の場合も同じよ。長年かけてキャリアを築き、資産を手に入れ、責任ある地位に就いた。そこに、人種主義的行為が一回あった。その一回でじゅうぶんだったわけね」。そう、その一回でプリンスへのすべての投資、プリンスにかけたすべての希望は奪われたのだ。その一回を、コーツの父親は恐れてコーツを折檻し、その一回をコーツはサモリのために常に恐れて暮らしている。

 9月27日に行われたヒラリー・クリントン民主党候補とドナルド・トランプ共和党候補の第一回の候補者討論会で、司会者が大きな問題として「人種」を持ち出す。クリントンの発言には面白みはない。対するトランプはどうか? まずお定まりの「法と秩序」(law and order)の二語を持ち出す。「インナーシティ(都心近接低所得地域)では、アフリカ系アメリカ人やヒスパニックが地獄で暮らしている状況がある。危険だからですよ。道を歩いていると撃たれるんだから。シカゴでは、今年に入ってから数千件の発砲事件がありました。数千件の発砲事件ですよ。……私たちは法と秩序を取り戻さなければなりません。シカゴのような町で、数千もの人が殺されました。……実際、バラク・オバマが大統領になってからほぼ4000人が殺されています。……私たちは法と秩序を取り戻さなければなりません。シカゴのような町でストップ・アンド・フリスク(職務質問での身体検査)(註3)をするかどうかですが、これは、ジュリアーニ[元]市長がここにいますが、ニューヨークではとても効果を上げています。犯罪の発生率が大幅に下がりました」。

 トランプが、例えば、本書にも出てくる「黒人同士の犯罪ブラックオンブラック・クライム」のデータについて虚偽のツィートを繰り返した人種主義者であるのは間違いない。トランプの発言にfact checking が必要なことは今さら云々するまでもないし、レトリックが我田引水なのはこうしたディベートにありがちなこと。問題は、と言挙げする気力もないが、トランプの歴史への理解の不足――これはコーツが、支持していたサンダース候補に対しても欠点としてあげていたが――に加えて、standing in black people’s shoes (黒人の立場で考える)という姿勢の欠如である。

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)

 コーツは二つの「ドリーム」と無縁である。New York Timesの著名な書評家ミチコ・カクタニは、彼の「「ドリーム」(“the Dream”)というライトモティーフ(leitmotif)を「いささか紛らわしい」と見なしている」(訳者あとがきから)。確かにそう言えなくはない。本書での「ドリーム」を仮に、「白人であること(whiteness)」への盲信と、成功して安全な「郊外」に住むこととしよう。本書にはそのままの語では現れないがむろん「アメリカンドリーム」という、訳者も冒頭で用いた良く知られた言葉もある。そうしたものだけでなく、コーツはもう一つの「ドリーム」とも無縁である。それはマーチン・ルーサー・キング牧師の1963年8月23日の演説「私には夢がある(I Have a Dream)」に確か7回出てくる「ドリーム」である。コーツにはキングのいわば「悲壮な楽観」は見られない。

 「訳者あとがき」をどう締めくくったかをここで思い出した。「アメリカの次期大統領がトランプ候補に決定した日に、コーツが今後どう発信してゆくかに思いを馳せつつこのあとがきを記した」だった。どう発信してゆくか、訳者はずっと見守るつもりでいる。

 


1. ジャッキー・ロビンソンは、20世紀MLBへの有色人種参入の草分け。ただし、常に完璧なマナーを要求されそれに応えていたため、一部の黒人からは揶揄の対象になった。
2. この体験記は2013年に映画化され、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞の作品賞を受賞した。邦題は『それでも夜は明ける』だった。
3. トランプは stop and frisk と言っているが、本書原著では frisking として2ヶ所に出てくる。圧倒的にマイノリティを対象として行われるため、合目的性も合法性も論じられることが多い。

 


最後に、『世界と僕のあいだに』からの引用部分では、ルビ・傍点などの処理が異なっていることをお断りしておく。

 

池田年穂(慶應義塾大学名誉教授)


  

 

ノーベル文学賞受賞者、トニ・モリソン氏からの推薦文

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ジェームズ・ボールドウィンが亡くなってからずっと私を苦しめてきた知的空白を誰が埋めてくれるのだろうかと思っていたが、それは明らかにタナハシ・コーツだ。『世界と僕のあいだに』の言語は、コーツのたどった旅と同様に、心情の吐露であり、雄弁で、みごとにボールドウィンの喪失を償ってくれる。そして、黒人男性を取り巻く危険とその希望について徹底的に検証しており、目から鱗の思いをさせられる。必読の一冊である。

 

トニ・モリソン(ノーベル文学賞受賞者)

 

 

  

 

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー
『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)

これがお前の国なんだよ。

「これがお前の世界なんだよ。これがお前の肉体なんだよ。
だからお前は、その状況のなかで
生きていく方法を見つけなければならない」
アメリカにあって黒人であるということ、
この国の歴史を、この肉体とこの運命を生き抜くことを説く、
父から息子への長い長い手紙。

解説=都甲幸治

 

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書籍詳細

分野 人文書
初版年月日 2017/02/15
本体価格 2,400円
判型等 四六判/上製/192頁
ISBN 978-4-7664-2391-4

  

 

『世界と僕のあいだに』本文より一部抜粋

あれは、マイケル・ブラウンを殺害した男たちが釈放されることをお前が知った週だったね。自分たちの権力は不可侵のものだとおどろに●●●●宣言するかのようにマイケルの肉体を通りに放置した男たちは、罰されることはけっしてないだろう。誰かがいずれ罰されるとは、僕は期待していなかった。けれどお前は若く、まだ信じていた。お前はあの晩、午後一一時まで起きていて、起訴が発表されるのを待っていた。そして逆に起訴しないとの発表が行われたとき、お前は「もういかなきゃ」と言って自分の部屋に引っ込み、やがてお前の泣き声が聞こえた。僕は五分後にお前の部屋に行ったが、抱きしめてもやらなかったし、慰めてもやらなかった。お前を慰めるのは間違っていると思ったからだよ。大丈夫だとお前に言ってやらなかったのは、大丈夫だなんぞと本心から思ったことが一度もなかったからだよ。お前に伝えたのは、お前のおじいちゃん、おばあちゃんが僕に伝えようとしたことだった。これがお前の国なんだよ。これがお前の世界なんだよ。これがお前の肉体なんだよ。だからお前は、その状況のなかで生きていく方法を見つけなければならない、ってね。僕は今はこれもお前に伝えよう。黒人の肉体のなかでどうやって生きるべきか、「ドリーム」のなかで自分を見失っている国のなかでどうやって生きるべきか、という問いかけは僕の一生かかっての問いかけであるし、どうやらこの問いかけを追究してゆけば最終的におのずから答えが出ることが僕にはわかったんだ、ってね。

 

(本書15ページより)

 

  

都甲幸治先生「解説 新たなフランツ・ファノン」より、一部抜粋

ハワード大学の卒業生でもあるノーベル賞作家トニ・モリソンは、本書を読んでこう語っている。「ジェームズ・ボールドウィンの死後、彼が残した知的空白を誰が埋めてくれるのか悩んできた。タナハシ・コーツこそその人物だ」。これは最高の賛辞だろう。そして僕は思う。むしろコーツは新たなフランツ・ファノンなのではないか。一九二五年、カリブ海のマルティニーク島に生まれ、数々の著作を出版しながらアルジェリアの植民地解放闘争に身を投じ、一九六一年、四〇年に満たない人生を終えたファノンは『黒い皮膚・白い仮面』で語っている。島では自分を黒人だという意識も持たなかった自分がフランスに渡ったとたん、黒人として見られ、野蛮人扱いされるようになった。その混乱を彼は、精神分析で鍛えた理論に私的な感情を加えて語る。その作品は自伝的エッセイであり、植民地人の精神を論じた理論的著作であり、歴史的探求でもある。そしてコーツの時に詩的になる文章もまた、読む者の心に直接訴えかける。論理と感情の融合こそがこの本の力だ。


・・・・・・

コーツは言う。「たぶん「黒人」というレッテルは、底辺にいて、主体性を奪われた存在にされた人間、主体性を奪われるだけでなく不可触民とまでされてしまった人間に貼られたものだったんだ」(六七頁)。ならば彼の書物は、主体性を取り戻すための闘いの場所となる。ありのままの自分でいることこそ素晴らしい。美しさや知性の基準を白人だと自称しているものたちに奪われるわけにはいかない。かつてトニ・モリソンが『青い目がほしい』で追求し、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが『アメリカーナ』で、自分の縮れた髪を嫌う黒人女性たちを通して描写したのと同じ主題が、コーツによって別の角度から深められる。

 

都甲幸治(早稲田大学文学学術院教授)

 

  

 

『世界と僕のあいだに』刊行記念フェアのご案内

2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)2015年度全米図書賞受賞の大ベストセラー『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)「アメリカ、分断国家の未来」
国民間の深い亀裂があらわになった今回のアメリカ大統領選挙。2017年1月20日の大統領就任式を経て、正式に誕生した「トランプ政権」のもと、超大国アメリカは一体どこへ向かうのか――。
政治的な分断、人種間の対立、格差の拡大、民主主義の崩壊、コミュニティの崩壊……。さまざまな層で顕現しているズレや歪みを、もう一度見つめ直し、考えていくために必須の作品を選びました。

 

●全国各書店にて『世界と僕のあいだに』刊行記念フェアを開催いたします。ぜひお立ち寄りください
 ・三省堂書店神保町本店  フェアの様子はこちら
 ・MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店  フェアの様子はこちら
 ・MARUZEN京都本店  フェアの様子はこちら
 ・ジュンク堂書店大阪本店  フェアの様子はこちら
 ・大阪高裁内ブックセンター  フェアの様子はこちら

 ・三省堂書店池袋本店  フェアの様子はこちら
 ・同志社生協良心館ブック&ショップ  フェアの様子はこちら

 ・ジュンク堂書店藤沢店 フェアの様子はこちら
 ・紀伊國屋書店上智大学店  フェアの様子はこちら
 ・オリオン書房ノルテ店  フェアの様子はこちら
 ・中央大学生協多摩店  フェアの様子はこちら
 ・岡山大学生協

 

  

 

著者 タナハシ・コーツ(Ta-Nehisi Coates)

『ブラックアース―― ホロコーストの歴史と警告』(上巻・下巻)
(ティモシー・スナイダー 著、池田 年穂 訳)

1975年、元ブラックパンサー党員のポール・コーツを父としてボルチモアに生まれる。名門ハワード大学を中退。 Atlantic 誌定期寄稿者。アメリカ黒人への補償を求める2014年のカヴァーストーリー “The Case for Reparations” でいくつもの賞を受ける。2008年に回想録 The Beautiful Struggle を出版。2015年の本書 Between the World and Me は、全米図書賞を受賞、全米批評家協会賞・ピューリッツァー賞のファイナリスト。コーツ自身は、2015年にマッカーサー基金のジーニアス・グラントを受けている。しばしば「ジェームズ・ボールドウィンの再来」と称されるが、アフリカン・アメリカンの代表的知識人の一人として信頼を集めている。


  

訳者 池田年穂(いけだ としほ)

1950年横浜市生まれ。慶應義塾大学名誉教授。ティモシー・スナイダー『ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告』『赤い大公 ―― ハプスブルク家と東欧の20世紀』、ジェームズ・ウォルヴィン『奴隷制を生きた男たち』、ジョーン・ディディオン『悲しみにある者』、アダム・シュレイガー『日系人を救った政治家ラルフ・カー』、マーク・マゾワー『国連と帝国』など多数の訳書がある。


  

 

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