『世界と僕のあいだに』(タナハシ・コーツ 著、池田 年穂 訳)は、2017年2月8日に書店販売!※発売日は地域により若干異なります。
全国の書店で、本書の刊行を記念し「アメリカ、分断国家の未来」フェアを開催しています。ぜひお立ち寄りください。フェアの様子はこちらから!
★関連書籍
『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞し、現代の黒人社会を代表する知識人と目される、タナハシ・コーツの衝撃のデビュー作『美しき闘争』も併せてご覧ください。
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ドナルド・トランプ氏。甲乙つけがたい、というよりも
一方、タナハシ・コーツは、「39歳の父から14歳の息子サモリへの手紙」のスタイルをとった『世界と僕のあいだに』で、本人の発言は一つとして記されていない存在のプリンス・ジョーンズについて、何度も言及している。プリンス・ジョーンズは、2000年に25歳の若さで警官に不条理にも殺害された。
「けれども、人種は人種主義の子どもであって、その父親ではないんだ」とコーツは息子に語る。社会学的には、アメリカの「黒人」は、たとえば仮に「
プリンス・ジョーンズはコーツのハワード大学(ワシントンD.C.にあり黒人の名門大学として名高い)での同級生であった。「プリンス・ジョーンズについて理解しておいてほしいのは、彼がその名プリンスにまったくふさわしいのを示していたことだ。彼はハンサムだった。背が高く、肌は褐色で、やせ気味で、アメリカンフットボールのワイドレシーバーのように力強かった。著名な医師の息子だった」。その母親はアイヴィーリーグの名門大学に進むことを望んでいたが、「ハワード大学へ来る学生の少なくとも三分の一がそうであるように、プリンスは黒人の代表を務めなきゃならないのに飽き飽きしていた。ハワード大学にはそういう、僕とはタイプの異なる学生たちがいた。彼らはジャッキー・ロビンソン(註1)型のエリートの子弟だった」。そのプリンスは、婚約者の家のすぐそばまで行ったところで、射殺される。加害者の警官が黒人であったことは本質に関わる問題ではない。警官による黒人への暴行や殺害は、60年代の公民権法成立後もたくさんの大規模都市暴動が発生する引き金となってきたことでわかるように、あまた見られるのは今日に至るまで変わらない。近年はスマートフォンの普及もあり映像が得やすくなったが、警察の蛮行とそれに伴う大規模な抗議や都市の非常事態宣言などは、わが国でもメディアがしじゅう報じるところだ。その種の警官の「バックには、アメリカという国の権力とアメリカの遺産の重みがあること。そして、毎年破壊される肉体のうち黒人の数がむやみに多く、とうぜん比率も不均衡に高くなるのが必要とされている。……アメリカでは、黒人の肉体の破壊は伝統だ。それは「ヘリテージ」」なのだとコーツは息子サモリに説く。「僕たちがこの国で奴隷にされていた年月が、自由になってからの年月より長いことを絶対に忘れてはいけない」とも。
Everything alters, but never changes. これは訳者の平成7年に亡くなった父の口癖の一つだった。対立してばかりの父子関係だったが、最近折りに触れて亡父の言葉を思い出すのに驚く。コーツはサモリに説く。「このごろ、「警察の改革」という言葉が流行ってきたね。そして、社会の名において任命された僕らの守護者たちの行動が、大統領からそこらを歩いている人たちまで広く関心を惹くようになってきた。お前も
そして、「警察はアメリカそのものの意志と恐怖とをみごとに反映しているし、それに、この国の刑事司法政策をどう考えてみても、「弾圧的な少数の者たちによって押しつけられたものだ」などという解釈はありえない。……よって警察に異を唱える行為は、アメリカ国民に異を唱えるのと同じことになる。国民は自分で恐怖を増幅させ、武装した警察をゲットーに送り込む。その恐怖は、自分たちを白人であると考える人間たちに、都会を捨てて「ドリーム」へ逃避させたのと同じ恐怖だ」。ここでは、「ドリーム」の同義語が「郊外」であり、「郊外」の反意語が「ゲットー」であるのだ。
息子サモリを親戚に託してハワード大学でのプリンス・ジョーンズの葬儀に参列した「無神論者」のコーツは「一回限りしかない命とその肉体だけを信じてそこに座っていたんで、自分が異端者のように感じていた。プリンス・ジョーンズの肉体を破壊するという罪に対して、僕には許しなど考えられなかったんだよ」。「赦免」はコーツにはあり得なかったのだし、精神と肉体は不可分だったのだ。
9.11.をコーツはブルックリンから目撃していた。「その日ニューヨークにいた全員に物語があると思う。……煙がもうもうと立ちのぼり、マンハッタン島を覆っていた。……だけどアメリカの廃墟を見つめながら、僕の心は冷めていた。僕には僕だけの惨事があった。僕たち黒人を異様に警戒する警官たちの例に洩れず、プリンス・ジョーンズを殺した警官も、アメリカ国民の暴力装置だった。……マンハッタン島南部が、僕ら黒人にとってはいつでも「グラウンド・ゼロ」だった歴史を考えていた。彼らはそこで僕たちの肉体を競売にかけていたのだ。荒廃した、いみじくも「金融街」と名づけられた同じ場所でね。……だけど、ニューヨーク市のあの場所に
コーツは、プリンス・ジョーンズの母親、周りをゲートとフェンスで囲んだ富裕層のための「ゲーティドコミュニティ」に住むメイブル・ジョーンズ医師を訪ねる。生まれは深南部のルイジアナ州で、シェアクロッパーの父親のもと赤貧のなかで育った。彼女の一見「アメリカンドリーム」を思わせる成功譚は、白人と黒人のあいだの「隔たり」を個人の力で超克することに尽きた。あくまで「個人の力で」有能さを証明しなければならなかった。さもなければ、「意味を持つ唯一の期待はメイブル・ジョーンズ個人への評価に根ざしていなければならないというのに、黒人という
コーツに向かって「ジョーンズ医師は、一八五三年に発表された自由黒人の奴隷体験記『一二年間奴隷として』(註2)の話を持ち出した。「彼はそこにいたのよ」とソロモン・ノーサップ――解放奴隷の男性と自由身分の
9月27日に行われたヒラリー・クリントン民主党候補とドナルド・トランプ共和党候補の第一回の候補者討論会で、司会者が大きな問題として「人種」を持ち出す。クリントンの発言には面白みはない。対するトランプはどうか? まずお定まりの「法と秩序」(law and order)の二語を持ち出す。「インナーシティ(都心近接低所得地域)では、アフリカ系アメリカ人やヒスパニックが地獄で暮らしている状況がある。危険だからですよ。道を歩いていると撃たれるんだから。シカゴでは、今年に入ってから数千件の発砲事件がありました。数千件の発砲事件ですよ。……私たちは法と秩序を取り戻さなければなりません。シカゴのような町で、数千もの人が殺されました。……実際、バラク・オバマが大統領になってからほぼ4000人が殺されています。……私たちは法と秩序を取り戻さなければなりません。シカゴのような町でストップ・アンド・フリスク(職務質問での身体検査)(註3)をするかどうかですが、これは、ジュリアーニ[元]市長がここにいますが、ニューヨークではとても効果を上げています。犯罪の発生率が大幅に下がりました」。
トランプが、例えば、本書にも出てくる「
コーツは二つの「ドリーム」と無縁である。New York Timesの著名な書評家ミチコ・カクタニは、彼の「「ドリーム」(“the Dream”)というライトモティーフ(leitmotif)を「いささか紛らわしい」と見なしている」(訳者あとがきから)。確かにそう言えなくはない。本書での「ドリーム」を仮に、「白人であること(whiteness)」への盲信と、成功して安全な「郊外」に住むこととしよう。本書にはそのままの語では現れないがむろん「アメリカンドリーム」という、訳者も冒頭で用いた良く知られた言葉もある。そうしたものだけでなく、コーツはもう一つの「ドリーム」とも無縁である。それはマーチン・ルーサー・キング牧師の1963年8月23日の演説「私には夢がある(I Have a Dream)」に確か7回出てくる「ドリーム」である。コーツにはキングのいわば「悲壮な楽観」は見られない。
「訳者あとがき」をどう締めくくったかをここで思い出した。「アメリカの次期大統領がトランプ候補に決定した日に、コーツが今後どう発信してゆくかに思いを馳せつつこのあとがきを記した」だった。どう発信してゆくか、訳者はずっと見守るつもりでいる。
註
最後に、『世界と僕のあいだに』からの引用部分では、ルビ・傍点などの処理が異なっていることをお断りしておく。
池田年穂(慶應義塾大学名誉教授)
「これがお前の世界なんだよ。これがお前の肉体なんだよ。
だからお前は、その状況のなかで
生きていく方法を見つけなければならない」
アメリカにあって黒人であるということ、
この国の歴史を、この肉体とこの運命を生き抜くことを説く、
父から息子への長い長い手紙。
解説=都甲幸治
分野 | 人文書 | |
---|---|---|
初版年月日 | 2017/02/15 | |
本体価格 | 2,400円 | |
判型等 | 四六判/上製/192頁 | |
ISBN | 978-4-7664-2391-4 |
ブラック・ナショナリストの父ポール・コーツと、
自らの身を守って生きる、息子タナハシ。
クラックと銃に溢れ、一瞬にして奈落に落ちるアメリカ社会の
容赦ない現実を力強く生き抜く、父と息子の物語。
ヒップホップやラップのリリックを駆使した、疾走感溢れる文体、
自由の国アメリカの不自由さを冷徹に抉り出す、クールな批評精神――。
『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞し、
現代の黒人社会を代表する知識人と目される、
タナハシ・コーツの衝撃のデビュー作。
あれは、マイケル・ブラウンを殺害した男たちが釈放されることをお前が知った週だったね。自分たちの権力は不可侵のものだと
(本書15ページより)
ハワード大学の卒業生でもあるノーベル賞作家トニ・モリソンは、本書を読んでこう語っている。「ジェームズ・ボールドウィンの死後、彼が残した知的空白を誰が埋めてくれるのか悩んできた。タナハシ・コーツこそその人物だ」。これは最高の賛辞だろう。そして僕は思う。むしろコーツは新たなフランツ・ファノンなのではないか。一九二五年、カリブ海のマルティニーク島に生まれ、数々の著作を出版しながらアルジェリアの植民地解放闘争に身を投じ、一九六一年、四〇年に満たない人生を終えたファノンは『黒い皮膚・白い仮面』で語っている。島では自分を黒人だという意識も持たなかった自分がフランスに渡ったとたん、黒人として見られ、野蛮人扱いされるようになった。その混乱を彼は、精神分析で鍛えた理論に私的な感情を加えて語る。その作品は自伝的エッセイであり、植民地人の精神を論じた理論的著作であり、歴史的探求でもある。そしてコーツの時に詩的になる文章もまた、読む者の心に直接訴えかける。論理と感情の融合こそがこの本の力だ。
コーツは言う。「たぶん「黒人」というレッテルは、底辺にいて、主体性を奪われた存在にされた人間、主体性を奪われるだけでなく不可触民とまでされてしまった人間に貼られたものだったんだ」(六七頁)。ならば彼の書物は、主体性を取り戻すための闘いの場所となる。ありのままの自分でいることこそ素晴らしい。美しさや知性の基準を白人だと自称しているものたちに奪われるわけにはいかない。かつてトニ・モリソンが『青い目がほしい』で追求し、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェが『アメリカーナ』で、自分の縮れた髪を嫌う黒人女性たちを通して描写したのと同じ主題が、コーツによって別の角度から深められる。
都甲幸治(早稲田大学文学学術院教授)
「アメリカ、分断国家の未来」
国民間の深い亀裂があらわになった今回のアメリカ大統領選挙。2017年1月20日の大統領就任式を経て、正式に誕生した「トランプ政権」のもと、超大国アメリカは一体どこへ向かうのか――。
政治的な分断、人種間の対立、格差の拡大、民主主義の崩壊、コミュニティの崩壊……。さまざまな層で顕現しているズレや歪みを、もう一度見つめ直し、考えていくために必須の作品を選びました。
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1975年、元ブラックパンサー党員のポール・コーツを父としてボルチモアに生まれる。名門ハワード大学を中退。 Atlantic 誌定期寄稿者。アメリカ黒人への補償を求める2014年のカヴァーストーリー “The Case for Reparations” でいくつもの賞を受ける。2008年に回想録 The Beautiful Struggle を出版。2015年の本書 Between the World and Me は、全米図書賞を受賞、全米批評家協会賞・ピューリッツァー賞のファイナリスト。コーツ自身は、2015年にマッカーサー基金のジーニアス・グラントを受けている。しばしば「ジェームズ・ボールドウィンの再来」と称されるが、アフリカン・アメリカンの代表的知識人の一人として信頼を集めている。
1950年横浜市生まれ。慶應義塾大学名誉教授。ティモシー・スナイダー『ブラックアース ―― ホロコーストの歴史と警告』『赤い大公 ―― ハプスブルク家と東欧の20世紀』、ジェームズ・ウォルヴィン『奴隷制を生きた男たち』、ジョーン・ディディオン『悲しみにある者』、アダム・シュレイガー『日系人を救った政治家ラルフ・カー』、マーク・マゾワー『国連と帝国』など多数の訳書がある。