『カール・クラウスと危機のオーストリア――世紀末・世界大戦・ファシズム』(高橋 義彦 著)

カール・クラウスと危機のオーストリア

世紀末・世界大戦・ファシズム

 

第4回: 1920-1930年代のクラウス

Engelbert Dollfus

第一次世界大戦の敗北の結果、ハプスブルク帝国はいくつものネーションステートへと解体した。「民族自決」をスローガンに独立を待ち望んでいた被抑圧民族にとって、それは望ましい結末であっただろうが、ドイツ系民族にとってそれは「望まない」独立だった。独立したオーストリア共和国は、右派も左派も隣国ドイツとの合邦を求めたが、サン=ジェルマン条約で合邦は禁止され、オーストリア国民は独立を「強いられる」ことになった。


そうした大勢に反し、カール・クラウスは幸先の悪いスタートを切った新生オーストリアを熱心に擁護し、ドイツとの合邦に反対した。党派的にも社会民主党を支持し、共和国派として活動した。こうした姿勢に社民党の政治家も謝意を示し、1920年代に長きにわたってウィーン市長を務めたカール・ザイツは、1924年にクラウスが50歳の誕生日を迎えた際に祝辞を寄せている。


また1920年代には「クラウス・ファン」とでもいうべき、多くの若き知識人たちがいた。彼らは『ファッケル』を熟読し、クラウスが主催する講演会に通い詰めた。たとえば後のノーベル文学賞作家エリアス・カネッティは、クラウスの講演会に欠かさず通うほどの常連だった。この常連の中には、世界的な生化学者になるエルヴィン・シャルガフ、クラウスの友人フランク・ヴェデキントの『ルル』をオペラ化した作曲家のアルバン・ベルクもいた。ほかにもテオドール・W・アドルノ、ヴァルター・ベンヤミンといったフランクフルト学派を形成する哲学者たちも彼の講演会に顔を出している。


彼らクラウス・ファンにとって最大の衝撃は、クラウスがオーストリアのファシズム政権を支持したことだった。1933年1月、ドイツではアドルフ・ヒトラーが政権を握り、3月にはオーストリアでエンゲルベルト・ドルフスが議会を閉鎖し独裁を開始した。この時、両国の若き知識人たちは、カール・クラウスが何を語るか待ち望んでいた。だがクラウスは1年にわたり沈黙を続け、しかもファシズムへの支持を明言したのであった。


もちろんこれはクラウスが「ファシスト」へと転向した、と簡単に批判できるたぐいのものではない。オーストリアのファシズムは、ナチス・ドイツによる合邦要求を拒否し、「反ナチス」の「ファシズム」政権だったからである。その証拠にドルフスは、オーストリアのナチス党員によりテロで殺害された。クラウスを含めナチスに脅威を感じるユダヤ系知識人にとってドルフスはむしろ期待の星であり、ジークムント・フロイト、パウル・ウィトゲンシュタインなど、多くのユダヤ系知識人がオーストリアのファシズムを支持した。


とはいえ、いかにナチスと対決したとしても、それは抑圧的な権威主義体制であり、しかも国民の幅広い支持も得られず、オーストリアは1938年にナチス・ドイツに合邦される。1936年に死んだクラウスは、その後のオーストリアの運命を見ることはなかった。もしクラウスが生き延びたら、ナチ化したオーストリア、ナチス・ドイツの破滅、そして彼の生きた中欧世界を東西に切り裂いた冷戦について、どのように語ったであろうか。ベンヤミンがいうように「クラウスは死ぬのが早すぎた」のである。

(高橋義彦)

 

  

『カール・クラウスと危機のオーストリア――世紀末・世界大戦・ファシズム』記事一覧

第1回 「カール・クラウスとは誰か?」(2016年4月8日 掲載)
第2回 「世紀末文化とクラウス」(2016年4月15日 掲載)
第3回 「第一次世界大戦とクラウス」(2016年4月22日 掲載)
第4回 「1920-1930年代のクラウス」(2016年4月28日 掲載)

  

 

『カール・クラウスと危機のオーストリア――世紀末・世界大戦・ファシズム』(高橋 義彦 著)

『カール・クラウスと危機のオーストリア――世紀末・世界大戦・ファシズム』(高橋 義彦 著)

▼オーストリア/ハプスブルク帝国の危機~ナチスの脅威に向き合い、それを乗り越えようとした孤高の言論人、カール・クラウス(1874-1936)の思想と行動を読み解くとともに、「世紀末」「第一次世界大戦」「ファシズム」という三つの時代における、オーストリア/ウィーンの政治思想・文化的状況を浮き彫りにする。

▼第一次大戦時には好戦的なメディアや政治家を、自らの個人評論雑誌『ファッケル』で厳しく批判したクラウス。ところが、解体した帝国からオーストリア共和国に再編成されたのち、彼はナチスから独立を守る擁護者としてのオーストリア・ファシズム=ドルフス政権への支持を表明する。彼の真意はどこにあったのか? これまで一見、政治的な解釈が難しいとされてきた彼に、本書はオーストリアの真の独立、「オーストリア理念」を追求する姿勢を見いだす。

▼建築家アドルフ・ロース、精神分析家フロイトや保守思想家ラマシュとの関係なども描かれ、オーストリアの世紀末から第二次大戦前夜までの文化的・思想的状況をも浮き彫りにする、注目の一冊。

■2016年4月23日書店にて発売!  本書の書籍詳細・オンラインご購入はこちら

  

書籍詳細

分野 人文書
初版年月日 2016/04/22
本体価格 3,600円(+税)
判型等 四六判/上製/288頁
ISBN 978-4-7664-2331-0
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著者 高橋 義彦 (たかはし よしひこ)

1983年北海道生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了。博士(法学)。慶應義塾大学・専修大学・國學院大学栃木短期大学非常勤講師。

主要著作:「エリック・フェーゲリンのウィーン ―― オーストリア第一共和国とデモクラシーの危機」(『政治思想研究』第12号、2012年)、共訳書にリチャード・タック『戦争と平和の権利――政治思想と国際秩序:グロティウスからカントまで』(風行社、2015年)。

  

 

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