浅利慶太の四季 著述集 2
劇場は我が恋人 演出ノート選

T 一九五〇年代 演出者として 私たちはアヌイを選んだ ジロドゥの明日 アヌイと繋るもの 初めての創作劇−『ひかりごけ』と『週末』 ジロドゥの魅力 演劇雑誌「四季」創刊の言葉 演出の仕事 ふたたび、『間奏曲』を− アヌイと僕 『ひばり』のアヌイ アヌイの円熟 ジロドゥと現実 再演の意義 アヌイ劇のこと ジロドゥへの帰依と不毛 強情な種族 ジロドゥ喜劇断想 四季節をめぐって ジロドゥと『ジークフリート』を語る(座談 加藤周一、白井浩司、安堂信也、米村晰、浅利慶太) 神話の実現 『海賊』のこと 『死せる女王』のこと
U 一九六〇年代 劇団四季の新しい方針について 作家と演出家(対談 石原慎太郎、浅利慶太) 寺山修司とかれの作品の世界 もう一つの語法−寺山修司の処女戯曲 ふたたび『ひばり』を− 芝居について 『狼生きろ豚は死ね』の可能性 『お芝居はおしまい』をめぐって 『ベケット』のこと ジロドゥのユマニスムとその劇の構造 ジロドゥをめぐって(座談 宮島春彦、藤野節子、水島弘、日下武史、吉井澄雄、米村晰、浅利慶太) みつけた四季 三島由紀夫さんと『喜びの琴』の冒険 『ジークフリート』雑感 三島戯曲の演出 アヌイの芝居を演出する 牛飼いの子ら 歌舞伎役者とヨーロッパの芝居−『悪魔と神』の初日を前にして エゴイズムと愛の対立−『永遠の処女』雑感 ラシーヌ雑感 演技雑感 牽強付会の『ヴェニス』論 真実をはっきり−日生名作劇場のテーマ 深淵に立つジロドゥ 芝居と音楽(対談 内藤法美、浅利慶太) 『オセロー』での試み(対談 尾上松緑、浅利慶太) 劇団四季と日生劇場と−戦後新劇史(対談 戸板康二、浅利慶太) ひとつの道標 『青い鳥』の上演をめぐって(座談 戸板康二、内藤法美、宮島春彦、与倉透、浅利慶太)
V 一九七〇年代 けいこ場にて ドラマチックリサイタルまで 礼儀知らずのフィガロ口上 『アプローズ』をめぐって−ブロードウェイのミュージカル・日本のミュージカル(座談 内藤法美、山田卓、阿倍寧、浅利慶太) 創作演劇談義−『絵師金蔵』をめぐって 三つの問いに答えて−『イエス・キリスト=スーパースター』 「名作劇場」この十年(座談 茨木憲、矢代静一、木村重雄、宮島春彦、浅利慶太) 二十一年目からの劇団四季 市民社会の中にドラマを−『エクウス』をめぐって(対談 野村喬、浅利慶太) 政治を越えた人間ドラマを−『汚れた手』の演出にあたって 幕のあく前に−『カッコーの巣をこえて』 しらしらと明けゆく『桜の園』 越路ピアフか、エディット吹雪か ブロードウェイからの熱いメッセージ−『コーラスライン』
W 一九八〇年代 七つの問いに答えて−『ちいさき神の、作りし子ら』 ジーザス・クライスト その劇的なる生涯(対談 曽野綾子、浅利慶太) 儚さこそ、生命の輝き フランス古典の精髄(エスプリ)を−『フェードル』『女房学校』の初日を前に(鼎談 日下武史、三田和代、浅利慶太) キャッツまで(鼎談 英正道、安東伸介、浅利慶太) 新しい劇場のユメ−『ドリーミング』 演出家十四人に聞くコメディアン入門 東と西 出会いのとき(対談 チェーザレ・マッツォニス、浅利慶太) ドラマの面白さをつたえてゆきたい−『孤児たち』と劇団四季の小劇場公演について 作家の魂を造形する−演出、訳詞について Traviller au theatre−裏方雑記 35ステップス−劇団四季ミュージカルの歩み
X 一九九〇年代 現代の古典『エクウス』 私たちの『コーラス・ライン』はマイケル・ベネットへの贈り物(対談 阿倍寧、浅利慶太) ベルリン・ドイツ・オペラの想い出−日生劇場とオペラ 『李香蘭』中国公演について ミュージカル『李香蘭』誕生まで 「死」の側から「生」を見る(対談 立岡晃、浅利慶太) 俳優とはone of themの精神 オリジナル三部作は国境を越えて愛される(聞き手=木村隆) 劇場は我が恋人 四季劇場<秋>こけら落とし公演挨拶
浅利慶太氏の冒険 解題にかえて〔2〕 越見雄二
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