窓あるいは鏡
ネオTV的日常生活批判 附 ウンベルト・エーコ「失われた透明性」

はじめに――なぜ「テレビ」を研究するのか、なぜ「日常」を問題とするのか
第1部 コミュニケーション・システムとしてのテレビ――その理論的射程 テレビとは何だったのか――テレビの批判的研究の枠組を問い直す 水島久光 日常生活空間とテレビを媒介する理論 水島久光+西兼志
第2部 ジャンルの彼岸へ――語られざるコミュニケーションの階梯 バラエティと空間の地層――解放の笑い/笑いの解放 水島久光 ヒロシマ――ネオTV時代のドキュメンタリー 西兼志 ドラマの「真実」――タレント・ドラマからコンテンツ・ドラマ 西兼志 日本のテレビの「世界」――世界系の番組から見たパレオTV/ネオTV 西兼志 テレビ=サッカー――テレビ・コミュニケーションの〈基層〉 西兼志 「意味」への背走/「失敗」の系譜――ドキュメンタリー、ドラマ、スポーツを貫く記号の攻防 水島久光
第3部 テレビの再生――ネオTV的日常批判 人称化をめぐって――指標化とネオTV化のベクトルの交わるところ 西兼志 窓であり、鏡でもある――テレビの再生のための断章 水島久光
あとがき 註 参考文献 テレビ番組一覧
附 ウンベルト・エーコ「TV: 失われた透明性」(西兼志 訳) 訳者解題 西兼志
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