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立読み
日本の家計行動のダイナミズム[T]
菊判/並製/320頁
初版年月日:2005/08/10
ISBN:
978-4-7664-1180-5
 
(4-7664-1180-3)
Cコード:C3333
税込価格:3,740円
日本の家計行動のダイナミズム[T] <
慶應義塾家計パネル調査の特性と居住・就業・賃金分析

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『序 章 「慶應義塾家計パネル調査(KHPS)」の目的と本書の要約』より(一部省略)

樋口美雄


第1節 パネルデータとは何か

 経済データを大別すると、3つのタイプに分けることができる。第1は平均所得や平均消費額、さらには労働力率や失業率といった、個々の回答結果を集計したデータである。都道府県や国の単位で集計した横断面データやそれらの年々の変化を示した時系列データがこれにあたる。経済成長率や貿易額の推移なども、この集計データの部類に入る。
 第2のデータは、1時点における個別家計や個別企業の特性、状態、行動を記述した横断面の個票データ(ミクロデータ)である。たとえば、複数のサンプル家計における夫の収入や妻の就業状態を調べ、家計間の比較から、夫の収入の低い世帯では妻の就業率が高い関係にあるといった、いわゆるダグラス・有沢法則を調べたりするのに用いられる。また個別企業における資本金や収入、費用、利益、さらには従業員数や付加価値を調べ、これから生産関数を計測するといったことにも使用される。
 そして第3が、本書で用いるパネルデータ(ロンジチューディナル・データ)である。このデータは、個別の家計や企業の情報を記述したデータであるという点では2番目のミクロデータと共通しているが、2番目のデータが1時点の横断面データであるのに対し、このパネルデータは同一個人や家計、企業を複数期間にわたり、追跡調査することによって得られる統計である。もともとの調査が全数調査であれば、つねに、すべての主体が調査されるから、主体ごとに永久番号を付けておきさえすれば、それをリンクすることによりパネルデータを作成することができる。上場企業の調査等はこれによって、事後的にパネルデータとして利用される。ところが、個人調査や家計調査の大部分は標本調査であり、前回の調査にあたった人が、今回も調査対象者となっている可能性は低い。こうした無作為抽出による標本調査の場合は、あらかじめ同一サンプルを追跡調査することを念頭に置いて標本設計をしたり、調査票設計をしたりする必要がある。
 横断面のミクロデータは、いうなれば複数の観測地点における1時点のスナップ写真である。これらを比較することにより、仮説の妥当性の検証に用いられる。これに対し、パネルデータは複数地点における長期にわたる定点観測によって得られた動画的連続写真に例えられよう。その分、情報量は多い。
 薬学では、同じような健康状態にあるモルモットに、それぞれ薬の量を変え、その後の変化を観察することにより、薬効を調べられる。これに対し、社会科学では統御実験ができないという理由により、従来、先の1番目の集計データや2番目の横断面ミクロデータが用いられ、諸仮説がテストされてきた。しかし近年、社会科学でも、統御実験はできなくても、何とか薬学の実験のように、刺激を与えたモルモットと与えなかったモルモットのその後の健康状態を比較し、薬効を確かめるのと類似した手法が取れないかが、検討されてきた。その結果、政策効果を分析するのに、それを実施した地域と実施しなかった地域のその後の家計や企業の行動を観察することによって、より正確な分析ができるはずだと考えられるようになった。こうして始められるようになったのが、パネル調査である。
 もちろん実験ができない以上、薬の例とは違って、あらかじめ同じような経済状態にある2つの地域を選んで、その後の政策効果を分析することは難しい。失業対策が講じられるのは、失業率の高い地域に偏る傾向があり、どうしても「内部性」の問題が発生しやすい。あるいはパネル調査の場合、回答者に長期間にわたり多大の負担をかけるため、調査拒否率が高く、ときには回収サンプルにバイアスが発生するといった問題もある。さらには調査するほうも、成果が出るまで、長い時間待たなければならず、しかもこの間、多額の費用を投じ続けなければならないという問題もある。
 だが、パネルデータは数多くのメリットを持つ。集計データや横断面ミクロデータを用いた場合、個人間の異質性などに関して複雑な仮定を置かなければならない。しかしパネルデータを使えば、同一主体の行動の変化を分析対象とすることによって、サンプルの異質性の問題を回避することができる。このほかにも、パネルデータの場合、推定方法に工夫を凝らすことによって、正確な結論近づけるといった、ほかでは得がたいメリットがある。種々の問題があるにもかかわらず、こうしたメリットが高く評価され、近年、多くの国でこの調査が実施されるようになった。

第2節 「慶應義塾家計パネル調査」のねらい

 パネル調査に限らず、標本や調査票を設計するには、検証すべき仮説が明らかなっていなければならない。何を検証したいのかがはっきりしなければ、どのような調査項目を用意したらよいか、わからない。無目的な調査はありえない。実証分析の進展は、理論研究に基づく仮説の設定、これを検証するためのデータの開発、そしてこれを使った計量経済学手法の改善の三者が一体となってはじめて可能になるはずである。
 慶應義塾大学大学院経済学研究科と商学研究科は連携し、「市場の質に関する理論形成とパネル実証分析」という研究課題のもと、文部科学省から21世紀COEプログラムとして研究拠点形成費補助を得て、共同研究を実施している。ここでは、労働市場や資本市場、金融市場、製品市場、住宅・借家市場など、それぞれの市場において、需給状態を反映した適切かつ公正な価格が形成され、最適な資源配分が可能となる「高質な市場」を構築するためには、いかなる制度が用意され、いかなる政策運営がなされていかなければならないかを、理論的・実証的に研究している。
 「高質な市場」とは何か。一般に「良い市場」とは、「良い品が適切な価格で取引され、絶えず、より良い品が導入される市場」と説明される。労働市場を例にとれば、企業の欲する人材が適切な賃金を払うことによって雇用でき、かつ労働者が適切な賃金を受け取り、自分の欲する仕事に就業できる状態にあり、就業意欲を持っているすべての人が質量両面で有効に活用される「完全雇用」市場のことを意味する。そしてこうした状態が低い求人費用と低い求職(転職)費用で達成され、なおかつ企業の求人意欲や労働者の就業意欲を高め、技能の向上を可能にする機能が備わっている効率の高い市場のことを意味する。
 労働市場には、そこで取引される「労働サービス」が、「人間」としての労働者から切り離して扱うことができないといった特性が存在する。そして、労働サービスの買い手である雇用主と売り手である労働者との間の交渉上の地歩に大きな差が発生しやすい。その結果、契約が成立しない場合の痛手を労働者が恐れ、どうしても交渉の過程で譲歩を余儀なくされ、公正な賃金が成立しない場合が多い。さらには技能における企業特殊性が存在するため、その企業を辞めると賃金が下がるために、どうしてもこれまで勤めてきた企業に残りたいと考え、交渉上の地歩が低下したりする。さらに労働の質や雇用条件について、個別情報が欠如しているため、統計的差別が発生したり、労働者が不利になったりする。その結果、労働市場では自由放任にしておけば、「高質な市場」が形成されるとはかぎらない。
 このため、経済学では労働基準法や職業安定法、さらには労働組合法などが立法化される必要があると考えてきたが、経済の発展とともに、企業や労働者を取り巻く環境は変質し、高質な労働市場を形成するための要件にも変化が起こりうる。こうした状況において、労働基準法や職業安定法、能力開発法、男女雇用機会均等法、労働者派遣法、パート労働法など種々の法律がすでに改正されたり、改正されようとしている。
 はたして、こうした法律や制度の変更は労働市場の質にどのような影響を与えるのか。そして、そこに新たな問題は発生していないのか。資本市場や金融市場、さらには製品市場や住宅・借家市場における法律や制度の改正は、企業や家計の行動変化を通じ、それぞれの市場の質にどのような影響を与えているのか。これらについて、経済・経営データに基づき分析していこうとするのが、慶應義塾21世紀COE経商連携プログラムの1つの目的である。
 慶應義塾は2003年度に「パネルデータ設計・解析センター」を設立し、市場の質に関する仮説検証のための家計データや企業データの収集を開始し、分析にあたっている。本書で使用する『慶應義塾家計パネル調査』(Keio Household Panel Study、以下、KHPSと呼ぶ)も、このセンターの活動の1つとして調査されたものであり、研究参加者の問題意識に照らし合わせ、家計のダイナミックな行動変化を追跡調査しようと、調査票を作成し、実施しているものである。
 具体的には、近年、労働市場では、いわゆる「失業なき円滑な労働移動」を可能にするため、職業安定法における有料職業紹介の許可や労働基準法における有期雇用期間の延長、さらには労働者派遣法における職種の拡大や派遣期間の延長、パート労働法における均衡処遇に対する努力義務など、数多くの労働関連法規の改正が進められてきた。さらに能力開発についても、授業料などの費用の一部を雇用保険財源から給付することによって、自己啓発を支援しようとする教育訓練助成制度も実施されるようになった。そこで、これらの効果を分析できるように、制度の利用の有無とともに、転職コストや賃金変化、就業状態の変化など、数多くの調査項目が用意されている。
 また借地借家法の改正にともなう市場や人々の選択行動への影響も分析できるよう、KHPSは、住宅に関する数多くの質問項目を用意している。従来、家主(賃貸人)に比べ借家人は弱者であるため、法律により保護されなければならない存在と考えられ、家主は契約期間終了後も借家人に立ち退きを求めることが難しい状況にあった。実際、これにより、すでに家を借りているたくさんの人が保護される一方、家主はこうした状況を嫌い、良質な借家を供給しようとしないために、結果的に潜在的借家希望者が家を借りられなかったり、あるいは借りられても高い家賃を払わなければならないといった問題が生じていると指摘されてきた。そこで、政府は2000年3月に借地借家法を改正し、期限を限定した建物賃貸借契約が認められた定期借家権制度を導入することになった。はたして、こうした制度変更は、家賃価格や人々の居住形態の選択行動にどのような効果をもたらしているのか。KHPSを利用することによって、こうした問題にも答えられるはずである。
 このほかにも、近年、金融システムをはじめ、医療制度や教育制度についても改革が進められている。さらには環境問題についても、リサイクル法が導入されるなどの新しい動きが見られる。これらの制度改革は家計行動にどのような影響をもたらし、それぞれの市場の質の向上にどのように寄与しているのか。あるいはどのような新たな課題が生じているのか。KHPSの調査票には、資産形成や所得消費支出、さらには健康状態などに関する調査項目も設けられており、これらの課題に応えられるように調査票設計を行われている。

第3節 本書の要約

 アメリカでは1960年代大規模なパネル調査が開始されるようになった。ヨーロッパ各国では80年代から90年代にかけ始められ、そして日本でも90年代中ごろになって実施されるようになった。わが国のパネル調査の代表格である家計経済研究所の『消費生活に関するパネル調査』が20代中ごろから30代の女性に焦点を当てた調査であるのに対し、KHPSは、男性も含めた20歳から69歳の幅広い人々を対象に調査している。これにより、特別の層における固有の問題に関する調査項目は手薄になる反面、日本社会全体における家計行動の動学的変化を把握できるように調査設計されている(標本特性について詳しくは、本書第1章を参照されたい)。
 本シリーズ『日本の家計行動のダイナミズム』は、KHPSをもとに、外的変化に対するわが国の家計の行動変化を明らかにすることによって、高質な市場を構築するための法律や制度のあり方について分析した成果を世に問うことを目的に刊行されるものである。ただし第1巻に当たる本書は、調査初年度のデータしか利用できず、個人を時系列でリンクしたパネルデータ化したデータがまだ利用できないという制約のもと、詳しい年々の行動変化を分析することはできない。このため、本書は主に履歴データに基づき、就業選択や住居選択に焦点を当て、さらにはそれらがその後の人生にどのような影響を与えているかなどを中心に分析することにした。

 本書の各章を要約すると、次のようになる。第T部の第1章、第2章は、今後、KHPSを利用する際に知っておかなければならない標本特性や回答者特性について述べる。パネルデータは多くのメリットを持っている一方、調査者とともに、回答者に長期にわたり多大な負担をかける。このため回答の拒否率が高く、それが特定の層に集中した場合、回答サンプルにバイアスが発生する可能性がある。はたしてKHPSにそのような問題が生じていないかを検討する。第1章「2004年慶應義塾家計パネル調査の標本特性」は、まず調査方法や標本抽出方法、さらには調査項目について説明する。KHPSは、層化2段無作為抽出法によって抽出された満20歳から69歳までの男女4,000人、およびその配偶者から回答を得ている。その平均値や構成比などの回答結果を、『国勢調査』をはじめとする既存の政府統計と比較すると、学歴や職歴、さらには世帯の貯蓄や負債、収入、支出などの調査結果について有意な差は認められない。こうしたことから、KHPSサンプルは日本全体の母集団における代表性を確保していると判断できることが指摘される。

 第2章の「回答行動の分析――調査受諾と拒否の選択行動――」は、従来の分析では十分検討されてこなかった調査無回答者の特性について、調査機関から得られた情報をもとに検討し、回答標本におけるバイアス発生の可能性について考察する。ここでは「調査受諾拒否の選択問題」と「項目別の回答無回答の選択問題」に焦点が当てられる。これら二つの選択問題に関する選択確率モデルを設定し、推定することによって、これが回答者の機会費用の概念によって統一的に説明可能であるかどうかが考察される。その結果、前者の「調査の受諾拒否選択」については、機会費用の比較的高いと考えられる調査対象者の拒否率が高くなる傾向のあることが、限定的ながら確認された。他方、後者の「調査項目別の無回答率」は、機会費用の高さによっては一貫して説明されず、質問項目によっては、機会費用の高さによる回答確率へのマイナスの効果よりも、回答者の関心の高さを反映して、プラスの効果が強く現れる場合も観察されている。

 第U部の「居住形態の選択と就業選択」は、第3章、および第4章から構成される。第3章の「定期借家を考慮した家計の居住形態選択行動の分析」は2000年3月に導入された定期借家権制度が、人々の居住形態の選択にどのような影響をもたらしたかについて分析する。KHPSを用いて定期借家、一般借家、持ち家の選択モデルを推定した結果、住宅購入計画を有する世帯では一般借家よりも定期借家を選択する可能性が高く、恒常所得の上昇は持ち家を選択する世帯を増やす一方、借家選択を減らすが、その削減効果は定期借家では小さく、一般借家で大きいことが明らかにされる。

 第4章の「家計の住居転換と妻の就業の同時決定モデル」では、住宅取得にともなう金融市場の流動性制約が、頭金作りのために、既婚女性の労働供給を促進しているかどうかについて検討を加える。KHPSを利用して同時決定モデルを推計した結果、家族構成や学歴、賃金率以上に、住居転換へのインセンティブが妻の就業に大きな影響を及ぼしていることが示される。住宅を購入した後も、住宅ローン返済のために働く妻が多いことを考え合わせると、妻の就業は住宅取得と密接に関連しており、住居転換が家計のライフサイクルにおける消費・貯蓄・就業の最適化行動の軸として存在していることが指摘される。

 第V部の「就業経歴と賃金」は、過去の就業経験がその後の経済状況に与える影響について分析した第5章から第9章の五つの章から成る。第5章の「フリーター以前とフリーター以後」はKHPSの職歴データや学歴データを使い、どのような人がフリーターになりやすいか、そして一度フリーターを経験した人は、正規雇用だった人に比べ、その後の就業形態や所得、結婚、家族形成において、どのような違いがあるかを明らかにする。その結果、職業高校の卒業生や理系学部の大学卒業生のほうがフリーターになっている確率は低く、また90年代以降の卒業生は、それ以前の卒業生に比べ、フリーターになる確率が上昇している一方、一度フリーターになるとその状態から脱出する確率は低下し、労働市場の二極分化が進展していることが明らかにされる。5年後、10年後の所得を比較すると、フリーター経験者の所得は、年齢や学歴などの個人属性をコントロールしても、正規労働者に比べ低く、晩婚化・晩産化の傾向が見受けられる。若年時の不安定就業は少子化の一因になっている可能性を分析結果は示唆している。

 第6章の「若年時の転職がその後の賃金に及ぼす影響」は、転職の時期に応じて、その後の時間あたり賃金率に及ぼす影響が異なることを明らかにする。40歳までのサンプルを使って賃金関数を推定した結果によると、他の条件一定のもとで、学卒後3年以内に転職した人の賃金は、そうでない人に比べて有意に低くなっている。しかし学卒後5年以内に転職した人や60歳までのサンプルに拡大した場合、有意な差は見られなくなる。このことは、就職後、何らの技能も身に着けないまま、すぐに企業を辞めた者はその後も転職を繰り返すことが多く、経済的にも不利になる傾向が見られる一方、一定期間、就業経験を積んだ後に転職した者は必ずしも不利な扱いをされてないことを示唆する。

 第7章「日本における男女間の賃金格差」は、就業履歴のデータに基づき、平均値に見られる男女間賃金格差が就業経験や学歴、勤務先などの個人属性の違いによって生じているのか、それともこれらが同じでも属性に対する男女間の評価が違っており、これによって生じる影響が大きいのかについて検証する。これまでも男女間賃金格差を分析した研究は多かったが、それらのほとんどは『賃金構造基本調査』など企業を調査対象としたデータに基づいていた。このため、本人の就業経歴についての情報は得られず、多くの場合、年齢から学校卒業時の年齢を差し引くことによって、他企業も含めた就業経験年数を推計し、賃金の説明変数として用いており、この変数に対する企業の評価の違いが大きな男女間格差を生み出しているとの結論を導いてきた。しかし、この方法で推計された就業経験年数が本当の年数であるためには、学校卒業後、一貫して働き続けてきたという前提が認められなければならない。だが実際には、女性の中には仕事を離れ、専業主婦になったりする人も多く、このことが従来の男女間賃金格差の要因分析の結果に強く影響していた可能性がある。さらには、企業調査であるため、就業していない人やパート労働者がサンプルに加えられておらず、企業から提示された賃金が低く、逆に高い賃金が提示されなければ就業したくないと考えている人が除かれているために、従来の推定結果にはバイアスが発生している危険性がある。第7章では、これらの点を考慮したうえで、実際に調査した就業経験年数や無業サンプルも含め、KHPSを用いて推定した場合、従来の結論がどのように変わるかを検討する。

 第8章「情報通信技術の利用と賃金への影響」は、IT利用による賃金プレミアムの存在を分析する。具体的には、雇用者について賃金関数を推定し、仕事でのパソコンの利用やインターネットの利用が統計的に有意な賃金引上げ効果を持っているかどうかを検討した。最小2乗法を用いた推定結果によると、IT利用による賃金プレミアムの存在が確認され、その利用目的をプライベートと仕事上の利用とに分け推定しても、両者ともに有意なプレミアムを生んでいることが検証された。さらに、IT利用が賃金を高めている一方、逆に賃金の高い人がITを利用している面もあり、これを考慮に入れた同時決定モデルを推定したが、その結果でも、IT利用の賃金プレミアムは確認されている。KHPSの履歴情報を活かした擬似パネル推定を行ってみたが、これによると賃金プレミアムの約4割は個人の能力差によって説明される一方、これを取り除いても、なおかつIT利用による純粋な賃金プレミアムが存在していることが確認される。

 第9章「日本における消費水準とボーナス制度との関係について」は、わが国の家計貯蓄率が高く、消費性向が低いという特徴が、基本給に対するボーナス給の割合が高く、変動所得が大きいことによってもたらされているという主張の妥当性について検証する。分析では、どのような人がボーナスを受給しているかを明らかにしたうえで、ボーナス受給と消費支出の同時性を考慮に入れ、サンプル・セレクション・バイアスを回避する理論モデルを推定したところ、ボーナス受給者とボーナス非受給者の限界消費支出には統計的に有意な差が検出できないことが示される。したがって、わが国の高い貯蓄率の原因は、ボーナス比率が高いことにあるという、従来、指摘されてきた理由の妥当性は確認されなかったことになる。

 最後に、付録として、2004年に実施された第1回KHPSの有配偶者に対する調査票、およびその回答結果における平均値や選択割合を掲載した。
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