慶應義塾の原点を見た気がした。その読後感は決して大げさではない。福澤先生が新銭座で自ら教鞭を執っていたころの学園生活が、いまニューヨーク学院で再現されているのである。
全生徒の95%が寮生活を送り、学院の仲間や教職員を「家族」と呼ぶ環境は、かつて福澤先生が戊辰戦争帰りの血気盛んな内塾生を抱えて苦労しながらも、「僕は学校の先生にあらず、生徒は僕の門人にあらず、之を総称して一社中と名け」た開塾10年を迎えた頃の活気あふれる慶應義塾を髣髴とさせるのである。ニューヨーク学院は、開校当初の課題を1つ1つ克服しながら16年目の秋の新学年を迎えつつある。
よきスタッフとよき生徒の存在が、よい学校の基本条件であるが、ニューヨーク学院ならではのよりよき条件は、そのキャンパス環境にある。日本では得られない広大な自然あふれる敷地は、学院生のおおらかな人格を形成するのに大いに役立っている。本書の口絵にある四季折々の学園風景を見れば明らかである。
かつて中等部長を8年間務めた著者は、中等部を、そして何より中等部生を心から愛していた。中等部生徒の名前を卒業後に至るまで一人一人記憶し、分け隔てなく優しく接していた。否、逆に学業の振るわない生徒や、少々粗暴な子により多くその愛情を傾けていた。その愛は、さらに深みを増してニューヨーク学院の生徒に向けられた。
子供たちに宿る「穏やかな力」。ユニークで愉快な子供たちと過ごした学院生活を、元学院長があたたかいまなざしで語っている。紹介されているエピソードが、正にニューヨーク学院に吹く「風」である。バイカルチャーの生徒が投げ掛ける素朴な疑問は、春の暖かい風であり、行事やクラブ活動で生き生きとする院生諸君の姿は初夏の爽やかな風といっていいだろう。しかし、高校生という若き活力は時には荒れ狂うハリケーンという暴風雨を巻き起こす。卒業や不運な事故による別れは冬の隙間風を感じさせる。
これらの学院に吹いたさまざまな「風」を包み隠さず語るには、スッタフ、生徒、保護者からの信頼と、教育実践に対する知識と経験いう裏打ちがなければならない。著者は中世英文学を専門とすることから、英国のパブリックスクールの教育に対する造詣が深い。学校経営に当たって、著者が拠りどころとする著作は、ジェームズ・ヒルトンの『チップス先生さようなら』と池田潔の『自由と規律』である。共に教育現場に関係する者にとっての参考書であるが、新たに本書を加え、私学教育論3部作として紹介したい。「学則はbreakしてはいけない、だが、bendすることは正しい」というバランス感覚と、子供たちへの深い愛情こそ、慶應義塾が150年、そして中等部が60年間受け継いできた教育理念であるはずなのである。
サンテクジュペリの『星の王子さま』に登場する狐の語るがごとく、「大切なものは目には見えない」。正しく「風」として感じ取られるニューヨーク学院の校風を、この書から読み取っていただきたい。
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