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立ち読み
 
ニューヨークの風
 

―慶應義塾ニューヨーク学院の思い出
書評(三田評論 6月号掲載)

加藤 光明 (慶應義塾幼稚舎長)

 
 

小泉信三先生は、姉に福澤先生の一番偉いところはどこかと尋ねたところ、返ってきた答えは「愛」という言葉であった。今更ながら言うまでもないが、教育の基本は人間に対する「愛」である。福澤先生は、多くの教え子に愛を注いだ。そして、本書を読むと、小田先生も多くの生徒に愛を注いでいることを感じる。特に処罰に関して書かれていることに、生徒への深い愛を感じるのは私だけであろうか。

処罰の存在を必要悪だと認めながら、次の一文にこれだけのことを吐露できる先生の優しさを感じずにはいられない。「喧嘩や恋心や悪事など、自分の行動や思いを素直に親に語ることができなかった体験は、誰にでもあるだろう。先生や友人に対しても同じことである。言えることと言えないことがある。だから、子供たちの間に起きる諸々の出来事は諸々の情報を得ても真偽や良否の判断が難しい。けれども、どんな事件も、できるかぎり事情を察知して、子供たちの成長を願って対応することしかないだろう」この一文に巡り会えただけでも、本書を読む価値があった。

教育に関して、先生のバイブルは『自由と規律』と『チップス先生さようなら』であろう。そして、小田先生の教育の妙は、『自由と規律』の題が表しているように、相反するもの、矛盾するものをどうやって折り合いをつけていくかということだと感じる。前出の文章でも、そのことが読み取れる。

自由と規律、善と悪、真と偽、良と否、被害者と加害者などなど。昨今は、直ぐに白黒をつけたがる風潮にある。白か黒か、割り切ってしまった方が何事も簡単であるが、人間は、そして教育は、そんな簡単に割り切れるものでない。

先生は、相反するものの中間にある混沌としたものを状況によって右に傾けたり、左に傾けたりしながら対処しているのではないか。「学則はbreakしてはいけない、だが、生徒の将来を考えてbendすることは正しい」の文章に、そのことが表れている。このバランス感覚は、先生のイギリスへの造詣の深さから導き出されたものだろう。

本書の最後の項で、先生は、ニューヨーク学院の生徒の天真爛漫な明るい性格と「さびしさ」の、やはり両面を見てくださっている。心の深いところに抱いている素朴な真珠のような「さびしさ」を、輝く真珠に磨いてあげるという先生の優しさに、どれだけの生徒が心を動かされたことだろう。そして、本書は、カオスの中に吹く一陣の涼風のような存在だと、私は感じている。実に爽やかないい本である。

 

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