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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2008年9月16日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第31回:朝吹英二とは…(その2)
 

目次一覧


前回 第30回
朝吹英二とは…(その1)

次回 第32回
朝吹英二とは…(その3)


本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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明治2年の春頃、たまたま中津藩の大坂蔵屋敷の下僕が病気になり、欠員が生じた。そのことを耳にした朝吹英二は、両親に対して脱走をもちらつかせながら、何とか大坂行きを許してもらう。こうして朝吹は、中津藩の大坂蔵屋敷で同年の夏から炊事や走り使いを始め一切の雑用を引き受けて、まめまめしく働き出した。

朝吹英二

そして同年の秋、母親を迎えるため中津へ帰る途中に大坂に立ち寄った福沢と朝吹とが運命的な出会いを遂げることになる。ところが以前から中津で増田宋太郎ら攘夷主義者の影響を受けていた朝吹は、もともと福沢に対して反感を持っていた。そのような朝吹が実際に福沢に会ってみると、やはり福沢の一挙一動が気に食わぬことばかり。いろいろな言動が癪(しゃく)に障ってたまらない。例えば、福沢が牛肉を食べたいというので、朝吹に牛肉の購入と調理が命じられた。そこで当時の大坂に一軒しかなかった肉屋で牛肉を購入して料理することになったが、まだまだ牛肉に対する抵抗感は根強く存在していて、朝吹自身もその例外ではなく、大いに憤慨する。さらにその牛肉料理の食事が始まると、福沢は朝吹にも牛肉を勧める。朝吹が嫌がると、今度は卵を勧める。いやいや卵を食べる朝吹。その食事中に、福沢は洒落たビードロの小徳利から焼き塩を出して使う。また福沢が銭湯に行く時には、何やら長方形のものに紐を通してぶらさげている。聞けば垢を落とすためのシャボンというものだという。駕籠に乗れば賃金として朝吹の給金の一ヶ月半もの金額を投げ出す。この洋学者はよほど悪いことをして悪銭を貯めているにちがいないと、朝吹の怒りは増すばかり。丸腰で外出する福沢の後ろから一刀を帯びて、しかめっ面で随行する朝吹。身も心も「開国」と「攘夷」の両極端が同道している一奇観。とどめは朝吹より五歳も年下の中上川彦次郎が何かと朝吹のことを馬鹿にしてからかう。朝吹が反抗すると、福沢はそのたびに中上川に対して田舎者をからかうでないと言う始末…。

増田宋太郎
 
中上川彦次郎

そこにたまたまやって来たのが何とあの増田宋太郎! 朝吹から福沢の話を聞いて二人でますます憤慨し、とうとう増田から朝吹に福沢暗殺計画が授けられると、ただちに朝吹は快諾した。

さて、福沢の運命やいかに!

【写真1】 朝吹英二 (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真2】 増田宋太郎 (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真3】 中上川彦次郎(慶應義塾福沢研究センター蔵)
 
【参考文献】
大西理平『朝吹英二君伝』(伝記叢書331)大空社 2000年
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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