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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2007年1月18日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第23回:慶應義塾出版局の活動(その5)
 

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本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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今回は前回に引き続いて、福沢自身が「最も面倒にして最も筆を労したるもの」と評した『帳合之法(ちょうあいのほう)』について、福沢を煩わせた諸事情を見てみよう。

まず原文の読解そのものは、英語であるからそれほどの困難はなかった。ところが日本の商人が実際に利用できるように日本語へ翻訳しようとすると、福沢自身は武士の家に生れ育ったため、商取引の実態や商家に通用する言葉に不案内で、たちまち当惑してしまう。そもそも題名のBook-keepingをどのように訳すかが問題で、当時の日本にはまだ「簿記」という訳語がなく、福沢は現金・商品と帳簿とを照合する意味の「帳合」という語をあてることにした。また、現在の単式簿記・複式簿記という語もまだ存在していないので、それぞれ「略式」「本式」という語をあてている。この時の『帳合之法 初編』では略式(単式)について、後の『帳合之法 二編』(明治7年刊)では本式(複式)について、著述されている。

次に、金額の表記方法について大いに悩むことになる。何しろ会計の本なので、数字が大量に登場する。例えば、原文では325,78と横書きで表記されている数字を縦書きの日本語で表記する場合、日本流に三百二十五円七十八銭と記せば長くなって全体の丁数も増え、実用的でなくなってしまう。そのまま三二五、七八と並べて三百二十五円七十八銭と読ませることも考えてみるが、そのような試みは日本では前例がない。文章は縦書きで、数字の部分だけを横に表記することも考えてみるが、漢数字しか知らない日本人に新しく0から9までの数字を使用するのはなかなか難しい。実際に版木を彫っていろいろな表記方法を試みたものの、納得できるものはなかった。たまたまその時、福沢がかつて米国へ行った際に懇意になったブルックスという商人が来日していたので、福沢は彼を訪ねて数字表記の問題を相談してみた。ブルックスもいろいろと考えてみたところ、前例はなくても三二五、七八と並べて三百二十五円七十八銭と読ませる方法が良いのではないかという結論に達した。現在では、漢数字を縦に並べるこの表記方法は新聞を始めいろいろな所で目にするが、実はこのようにして『帳合之法』と共に誕生したのである。この画期的な表記方法を『帳合之法』の凡例で見てみよう。今回もまた、以下に引用する史料はすべて現代風に改めて、句読点を適宜施した。

   書中すべて金額を書く際に、何千何百何十と記さずに、一から九までの数字を使って、その数字の位を見て金額を知ること、ちょうど算盤(そろばん)の桁(けた)を見るようなものである。次にその一例を示す。
   
一二三、四五〇、〇〇〇
  十二万三千四百五十円 なり
   
一二、三四五、〇〇〇
    一万二千三百四十五円 なり
   
一、二三四、五〇〇
    千二百三十四円五十銭 なり
   
一二三、四五〇
    百二十三円四十五銭 なり
   
一二、三四五
    十二円三十四銭五厘 なり

さらに『帳合之法』の工夫について、凡例には次のように記されている。

一 この書は原本の直訳であるが、米国人の姓名をそのまま訳したのでは日本人の耳に慣れず入り乱れるかもしれないので、仮に日本の普通の町人の名前と入れ替えて、何屋何屋と記した。

少しでも読者の理解を助けるように、実に細かい工夫がなされている。この時のメモ書き(慶應義塾『福沢諭吉全集 第十九巻』岩波書店 1962年 217頁)によると、福沢が原文を次のように改変したことがわかる。

  1   Comstock & co   相模屋   10   Robert Hanaford 仙台
  2   S.S.Randall   武蔵   11   Henry Van Dyck   南部
  3   James W.Lusk   安房   12   L.Fairbanks   津軽
  4   Henry C.Spencer   上総   13   J.T.Calkins   秋田
  5   J.A.Tilford   下総   14   E.F.Hill   会津
  6   Harmer Smith   野州   15   J.R.Wheeler   米沢
  7   B.F.Carpenter   岩城   16   E.C.Bradford   白川
  8   Clarence Doubleday   岩代   17   Edwin Morgan   長岡
  9   James Reed   奥州            

そして、上記の例の他にも『帳合之法』巻之一には、商人が書き留めておくべき日記帳の例として、何とあの「東京三田 福沢屋諭吉」が登場する。さらに巻之二では、商家の合併の例としてまたもや「福沢屋」が登場する。実際の「福沢屋諭吉」は、明治5年に慶應義塾出版局へと発展していったものの、例文とはいえこのような形で「福沢屋諭吉」に再び出会うことができた。

帳合之法 巻之一   巻之二   巻之二
         
巻之二 巻之二
   
【写真1】 『帳合之法』巻之一 12丁ウラ 「東京三田 福沢屋諭吉」
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真2】 『帳合之法』巻之二 34丁オモテ 「福沢屋」
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真3】 『帳合之法』巻之二 34丁ウラ 「福澤屋」
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真4】 『帳合之法』巻之二 35丁オモテ 「福澤屋」
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真5】 『帳合之法』巻之二 35丁ウラ 「福沢屋」
  (慶應義塾福沢研究センター蔵)
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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