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高齢化社会と日本人の生き方  立ち読み

『高齢化社会と日本人の生き方
岐路に立つ現代中年のライフストーリー』
  

第四章 あきらめのラディカリズム
――阿川さんのエイジング より抜粋

 

小倉 康嗣 著
 
 

 一 出会い――初回調査

 「お話しできるようなことはありません」

 「お話しできるようなことはありません」――それが、阿川さんの最初の返事だった。
 阿川さんと私が初めて出会ったのは二〇〇〇年五月。隠居研究会の本(第三章で言及した『「ご隠居」という生き方』)の読書カードに書かれていた阿川さんの言葉に惹かれ、私は阿川さんへのインタビューを思い立ったのだった。阿川さんの読書カードにはこう書いてあった。「定年退職と言うのが何度も出てきますが、私はこの年ですでに退職して隠居のつもりでいます。『生きていける、そう思えたなら、何歳であっても隠居になることはできる』そのつもりです」(阿川さんの漢字・仮名遣いのママ。以下同じ)。
 阿川さん(男性)は当時五十三歳。関西出身の一九四六年生まれである。首都圏にある私立大学の工学部卒業後メーカーに就職し、三十年ほど勤めたのち、会社の早期退職制度により五十二歳で退職。現在無職で、再就職するつもりもない。二人の子どもも独立し、関東圏の自宅に妻と二人で暮らしている。
 私はさっそく阿川さんにインタビュー依頼の手紙を送った。しかし、その返信はがきには、インタビューの諾否について「いいえ」にマルが付けられ、自由記述欄にはこう書いてあった。「折角のお申し出ですが、私、現在仕事を止めて一年余り、今だ今後の生き方も定まらず、又特に今何かをやっているわけでなく過ごしておりますので、お話出来る様な事もないと思いますので。」
 しかし私は、読書カードに書いてあった「『生きていける、そう思えたなら、何歳であっても隠居になることはできる』そのつもりです」という阿川さんの言葉が、どうしても忘れられなかった。この言葉の背後に、阿川さんが深層部分で抱えている何か豊穣なものがあるかもしれない。そう直感していた私は、「お話できるようなことはない」という阿川さんの心境こそがインタビューする価値のあることのように思えてならず、阿川さんへのインタビューを諦めきれなかった。幸い、返信はがきのEメール欄に、阿川さんがメールアドレスを記入してくださっていたので、私はつぎのようなメールを阿川さんに送った。 ・・・・・
[本書47頁から48頁途中まで抜粋]



 
著者プロフィール:著者プロフィール【著者】小倉康嗣(おぐら やすつぐ)

立教大学・東京情報大学・東京外国語大学講師。 1968年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業後、厚生省厚生事務官を経て、慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。日本学術振興会特別研究員(PD)、早稲田大学・聖心女子大学講師を経て、現職。社会学博士(慶應義塾大学、2005年)。 主な著書に、『近代日本社会学者小伝――書誌的考察』勁草書房(共著、1998年)、L・シャッツマン=A・L・ストラウス『フィールド・リサーチ――現地調査の方法と調査者の戦略』慶應義塾大学出版会(共訳、1999年)、『定年のライフスタイル』コロナ社(共著、2001年)、K・F・パンチ『社会調査入門――量的調査と質的調査の活用』慶應義塾大学出版会(共訳、2005年)など。 主な論文に、「大衆長寿化社会における人間形成へのアプローチ ――『人生過程としてのエイジング』への一つの視角と方法」(『年報社会学論集』11号、1998年)、「後期近代としての高齢化社会と〈ラディカル・エイジング〉――人間形成の新たな位相へ」(『社会学評論』205号、2001年)、「ゲイの老後は悲惨か?――再帰的近代としての高齢化社会とゲイのエイジング」(『クィア・ジャパン』vol.5、2001年)、「再帰的近代としての高齢化社会と人間形成――〈意味感覚としての隠居〉をめぐる現代中年のライフストーリーから」(『質的心理学研究』2号、2003年)、「ゲイのエイジング――地道で壮大な生き方の実験」(『歴博』137号、2006年)など。

 

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