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連載

The Cambrige Gazette


グローバル時代における知的武者修行を目指す若人に贈る
栗原航海(後悔)日誌@Harvard

『ケンブリッジ・ガゼット:Lessons Learned』

第1号(2006年6月)
 
 

4.編集後記

 「栗原後悔日誌@Harvard(The Cambridge Gazette: Lessons Learned)」の創刊号の本文は 以上です。冒頭で述べた通り、私の体験談が すべて役立つとは思っていません。が、たと え一部分でも興味を持てる箇所があるとした ら、この小誌の存在意義があると思っていま す。さて、日誌・日記と言えば、紀貫之の『土 佐日記』や石川啄木の『ローマ字日記』等に 加えて、ドイツの大数学者ガウスの『数学日 記(Mathematisches Tagebuch)』を思い浮かべま す。この『日記』はガウスが18歳の時(1796 年3月)から37歳の時(1814年7月)まで書か れたのですがぺージ数は僅か19ぺージです。 しかし、その中には146の研究に関するアイ デアが詰まっており、ガウスのモットー「寡 作なれど熟したり(pauca sed matura/Weniges, aber Reifes)」を正しく具現した日記で後世の 研究者にとって大いに参考になったことでし ょう。それに比べれば、私の後悔日誌は何と 貧相な日誌であることかと自ら恥ずかしくな ります。しかし、有能な若人に「他山の石」 としての「教訓」を伝えられたらと願いつつ、 毎月記すことにします(脱線で恐縮ですが、私 はガウスがノルウェーの若き数学者アーベノレ の代数における歴史的な証明を無視したこと を大変残念に思っている人間の一人です。た とえ大天才ガウスでも大きな間違いをすると 思うと、改めて多角的・重層的な協力・相互 補助の精神の重要性を感じます)。

 実は私自身、重々しい教訓やお説教を嫌う 天邪鬼です。それ故に、変な表現になって恐縮ですが、「教訓臭くない教訓」を小誌を通じ て述べてゆきたいと思っています。と申しま すのも、一部の先輩諸氏及び同僚が頻繁に用 いる「いまどきの若い連中は…」から始まる 「教訓」を私自身が最も怖れているからです。 逆に、先人のなかには何の努力もしてこなか った人さえが存在していることも動かし難い 事実です。まさにセネカが述べた言葉「高い年齢に達した老人が、長い間生きてきたこと を証明する証拠として、年の数以外には何も持っていない例がよくある(saepe grandis natu senex nullum aliud habet argumentum, quo se probet diu vixisse, praeter aetatem./Often a man who is very old in years has no evidence to prove that he has lived a long time other than his age.)」 が指し示している人は少なくありません。か く言う私自身も油断をすればセネカが批判し たような年長者になる危険性を十分はらんで います。従って、若い方々を応援する意味か ら、また、非力で怠惰な自らを叱咤激励する 意味からも、「栗原後悔日誌@Harvard」を綴 ってゆきたいと思っています。

 

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著者プロフィール:栗原潤 (くりはら・じゅん)
ハーバード大学ケネディスクール[行政学大学院]シニア・フェロー[上席研究員]
 

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