イアン・シャピロ『民主主義論の現在』の意義について
(訳者あとがきより)
中道 寿一
北九州市立大学法学部教授
本書は、イアン・シャピロの著書としては初めての邦訳であるが、すでに、1990年8月にサンフランシスコで開催されたアメリカ政治学会での報告「民主主義者である三つの方法」(”Three ways to be a democrat.” Annual meeting of the American Science Association in San Francisco, California, August 1989)の邦訳がある(岡本仁宏「〈資料〉イアン・シャピロ『民主主義者である三つの方法』―翻訳と紹介」)。その「紹介」においても指摘されているように、「民主的アリストテレス主義」に基づくシャピロの論述スタイルは極めて「論争的」であり、その定式化は「明快かつラディカル」である。(中略)
本書は、そもそも民主主義は何を目的としているのかという、民主主義の基本目的の再概念化を試みたものである。著者によれば、民主主義とは、「支配を極小化するために権力関係をうまくコントロールする手段である」と述べているように、共通善、一般意思の表明を目的とするというよりも、支配の制限ないし極小化を目的とすべきものなのである。したがって、本書の目的は、「民主主義理論の現状を、民主政治の現実的な運用に即して再評価すること」であり、本書の視点は、具体的な制度や体制の構想(デザイン)にある。しかも、支配および権力の制限ないし極小化は、特定の状況において弱く傷つきやすい人々に利益をもたらす限りにおいて意義があるということを前提としている。したがって著者は、民主主義の規範理論や民主化に関する経験的研究、権力の本質に関する議論を駆使しながら、民主主義を、権力から切り離された真空状態においてとらえるのではなく、ヒエラルヒーや権力不均衡という現実の権力関係の中においてとらえるべきだとする。すなわち、現実の権力関係をどのようにコントロールすれば支配を極小化することができるかということについて考察を進めている。
その一つとして、しばしば批判の対象となるシュンペーターの代議制(エリート主義的)民主主義論を、政治的合意ではなく政治的競争という視点から、再評価する。また、今日盛んに議論されている熟議民主主義に関して現実主義的洞察を行っている。たしかに熟議は、弱く傷つきやすい人々を守るために必要であり重要であるが、現実の権力関係が熟議にどのような影響をもたらしているかということや、熟議が合意ではなく不一致や深い亀裂をもたらしていることも考慮に入れるべきであると主張して、熟議民主主義に対して一定の距離をおいている。さらに、著者は、弱い人びとの声を強めるためにも、司法的チェックが必要であると主張する。ただし、ここで言う司法的チェックとは、民主主義の行き過ぎに対する自由主義的なチェックではなく、「民主主義の自動制御的性格」として捉えられるべきチェックである。すなわち、司法的チェックは、ここでは、民主的プロセスにおいて生じる支配を阻止したり改善したりすることへの積極的参加として捉えられる。そして、最後に著者は、深い文化的亀裂のある政治的共同体において民主主義を維持できるかどうかという問題についても重要な議論を提供している。すなわち、「多極共存型民主主義」(レイプハルト)論についてさまざまな角度から検討を加えながら、分裂した社会における「選挙競争」や「区画横断的な連合形成」を可能にする民主的な制度設計(デザイン)について論究している。(後略)
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