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巻頭随筆

思春期の人間関係から見えるもの   岩宮恵子

 

 「彼氏はわかるけど、友達はわからない」と言う思春期の女子と会うことがあります。「彼氏だと、コクるとかあって、彼氏彼女ってことになったら、そういう関係だってわかるから、楽」なのだそうです。だから、「彼氏いるの?」と聞かれたら、「いる」とか「いない」とか言えるけれど、「あの人、友達?」と聞かれたら、「イツメンだけど、友達かどうかわからない」ということがあるのです。

 この「イツメン」ですが、これは「いつものメンバー」とか「いつものメンツ」という意味で、学校で一緒にいるグループ関係を示します。ネットでの関係はどこまでも薄く広がっているものの、同じクラスであっても「名前? 知らない」などと言うほど、彼らの社会は狭くなっています。そのため、「イツメン」以外の交流は非常に乏しく、学校で「ぼっち(ひとりぼっち)」にならないためにはこの「イツメン」関係を維持することがとても重要なのです。

 なぜ「ぼっち」にならないことが最優先されるのかというと、それが思春期の子たちが最も恐れていることだからです。「一匹オオカミってカッコイイじゃないか」などという感覚は、とても彼らにはもてません。そして彼らはひとりでいること自体が辛いのではないのです(本当はひとりが大好きな子のほうが多いです)。彼らの価値観のなかでは(くどいですが、あくまでも彼らの価値観です)、イツメンがおらず「ぼっち」になっているというのは、誰からも選ばれていない「もっとも残念な人」になるのです。だから、どんなに気の合わないイツメンであっても、「ぼっちよりはまし」なのです。

 そのうえ、イツメンとたまたま離れてひとりでいるところを他者に見られるのが怖い、という子もいます。それは、「ぼっち」だと思われるかもしれないからです。このように、特に親しくもない中間的な立場の人たちから、あの人は「ぼっち」ではないという、さりげない視線での「承認」を絶えず必要としているのです。そういう話を聞いていると、まるでサバンナを生きる草食動物が群れから外れると狩られてしまいそうになる恐怖と似ているなと思います。そしてこの「承認」を絶えず求める心性に、今の思春期の子どもたちの新たな形での対人恐怖のありようも感じるのです。

 そうやって、「イツメン」という自分の努力によって構築した人間関係はまるで学校生活をつつがなく送るための最低限の(電気・ガス・水道といった)「インフラ」のようです。そして、まるでムラのご近所づきあいのように、相手が好きかどうかということよりも、「イツメン」はそこで生きるために必要だから構築する人間関係のようなのです。もちろん、「イツメン」が仲の良い友達とイコールになっている幸せな人たちもたくさんいるのですが、相談室で会う子たちはなかなかそうはいきません。

 思春期という愛着の対象が親から友人へと移っていく時期に、「イツメン」という「インフラ」として相手に必要とされているのか、「友達」という無条件の存在として求められているのかというのは、一大事です。この両極で心が揺れるのを避けるため、「一番、仲良しなのは親」と言い切る子も増えています。親のほうも「ママ友」との付き合いで同じような心の揺れに悩んでいることもあり、子どもとの関係が最も安心できるため、親子の密着が続くのです。これが、反抗期が訪れない子が増えている要因のひとつなのかも、などと思うことがあります。



 
執筆者紹介
岩宮恵子(いわみや・けいこ)

島根大学人間科学部教授・島根大学こころとそだちの相談センター長。臨床心理士。専門は臨床心理学。聖心女子大学卒業。鳥取大学医学部精神科での臨床を経て現在に至る。
著書に『生きにくい子どもたち』(岩波現代文庫、2009年)、『フツーの子の思春期』(岩波書店、2009年)、『好きなのにはワケがある』(ちくまプリマー新書、2013年)、『増補・思春期をめぐる冒険』(創元こころ文庫、2016年)など。

 
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