新聞やニュースなどで報道される「教育無償化」は、結構には違いないが、ちょっと考えてみれば話がうますぎます。本当か、と疑うのがあたりまえでしょう。私も一応、教育の専門家ですが、この言葉を聞くたびにとまどいを覚えます。
いま教育無償化と呼ばれているのは、具体的には二〇一七(平成二十九)年十二月に閣議決定された『新しい経済政策パッケージ』の中の「人づくり革命」の施策をさすようです。この文書には、(1)幼児教育の一部無償化、(2)高等教育の授業料の一部無償化、(3)保育の待機児童の受け皿整理、(4)介護人材の待遇改善、(5)私立高校の授業料支援、がうたわれています。
肝心の財源ですが、これらを実現するのに必要なのは約二兆円とされています。そして二〇一九年に予定されている消費税の八パーセントから一〇パーセントへの引き上げによる増収分のうち一・七兆円をあて、あと三〇〇〇億円は歳出削減などで捻出するということになっています。高等教育だけでも八〇〇〇億円が使われます。
こうみれば教育無償化は政策的な英断とみることもできます。日本の将来への投資として教育は不可欠ですし、社会の階層化を防ぐためにも教育機会の平等は不可欠なことはいうまでもありません。しかしなぜこの政策が二〇一七年に急に浮上してきたのでしょうか。
高等教育についていえば、四年制大学就学率はすでに五〇パーセントを超す段階に達しています。大卒が有利というよりは、大卒でないことがハンディになる、と考えられるようになっています。この就学率上昇を支えてきた大きな要因は学生ローンでした。学生支援機構の学生ローンを利用する学生の割合は一割台から、四割弱に急増してきました。しかし卒業後に返済に苦しむ学生も多く、その苦境がメディアでも取り上げられてきました。大学進学の費用負担が社会不安を形成してきたのです。
社会不安といえば、保育所の待機児童の問題も同様でした。二〇一七年の総選挙で、各政党が教育費負担の軽減を公約としたのは当然でしょう。結果として政権をとった自民党・公明党は、これを懸案の消費税率増加、そして憲法改正と結びつけました。その中で「教育無償化」というキャッチフレーズが大きな意味をもったのだと思います。
しかし政策としての内容を考えてみれば、「無償化」には様々な問題があります。
第一にその対象は国民全員ではなく、何らかの形で限定しなければなりません。政府案では、三〜五歳の幼児教育、高校教育は全員を対象、その他は住民税非課税家庭、としていますが、それが技術的に可能か、また公正か、といった点で問題は少なくありません。
第二に、それが機会均等の観点から本当に望ましい効果を上げるか、という問題もあります。
第三は、教育の質の問題が考慮されていないという点です。特に高等教育については現在の大学教育の質をそのままにして、一部の高校生に奨学金を与えることが、よりよい日本社会への変革に結びつくのかは、きわめて重要な問いだと思います。
重要なのはディテールです。しかし、所轄官庁での具体化への議論は明確に公開されていません。大枠を政治的に決められているために、自由な議論ができないのではないかと思います。政治的に生まれたものは政治的に変質する可能性をもっています。「教育無償化」という言葉に拘束されず、教育とそれに要する負担をどう変えていくべきか、について具体的で論理的な議論を積み重ねていくことが必要だと思います。
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