子どもに発達障害があるかどうかを幼児期早期から気づける保護者はほとんどいないでしょう。保育園や幼稚園に行きだして保育士や教員から、子どもについて「お友達と遊ばない」「一人遊びが多い」などと間接的に言われても、「発達障害」と思いつく保護者は少ないでしょう。
しかし、最近はテレビなどで、「発達障害」をもつ子どもだけでなく、大人のことも取り上げる番組が増えてきたので、「発達障害」という言葉を耳にしたり目にすることが増えてきました。加えて、小学校では通常学級に在籍する児童にも「発達障害」が疑われる子どもが増えてきたと言われています。しかし、総務省(平成二十九年)が「発達障害が疑われる児童生徒が早期に受診できるよう専門医療機関の確保……」と「専門的医療機関の受診までの間の保護者の不安解消を図る取組み……」を厚生労働省に勧告しています。保護者は、わが子が疑われながらも明確な診断がなされない曖昧な状況こそ、不安でたまりません。
そして、医療機関など専門機関で「発達障害」と診断されることになると、子どもは医療・療育機関での療育を受けたり、あるいは特別な配慮を必要とする教育や特別支援教育を受けることになります。しかし、保護者は家庭での日常生活でどのように対応したらよいか、そしてその障害は治るのだろうかなど、障害の理解や子どもの将来などへの様々な疑問と不安を抱いた状況が続きます。このような保護者の疑問や不安に対応することは、保護者が日常的に家庭で子どもに接することへの重要な支援です。
子どもが「障害」をもっているという診断を受けた保護者の多くは、「どうして?」という思いと「どうしたらいいのか?」という絶望的な思いをもちます。その疑問や思いは、障害の原因についての医学的あるいは科学的な説明によってだけでは解消されません。なぜなら、子どもの「障害」についての知識を得ても、わが子がその「障害」もってしまって、その「障害」をもった子どもの親になった自分はどうしたらよいのだろうか、という嘆きと迷いへの答えにはならないからです。つまり、「障害」の受容ではなく、障害をもった「わが子」の受容、さらに言えば、障害をもった子どもの親である「自分」の受容ということでしょう。そして、保護者の「どうしてこのようなことになってしまったのか」というような嘆きは、子どもを育てることへの自信を失わせ不安や苛立ちを引き起こすこともあり、それが怒りの感情にもなり子どもに対して必要以上に叱るということにもなります。毎日、家庭で子どもと一緒に生活する保護者は、療育などで一定時間を専門的な技法や方法で関わる専門家とは関係性も状況も全くと言っていいくらい異なります。保護者は、食事のとき、買い物等での外出のとき、就寝のときなど家庭の生活の時々において子どもとの対応の難しさを感じながらも、専門家からの助言を思い起こし、わが子と向き合っています。
このように毎日、家庭という日常生活で関わり合う保護者こそが、発達障害という特性をもつ子どもの発達的変化への最大の援助者です。しかしこの援助者自身が、周囲や社会からの理解と、自分がどのように子どもと接することが正しいのか・適切なのか指標を求めており、支援を求めているのでしょう。
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