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オリジナル連載(2007年9月18日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第19回:慶應義塾出版局の活動(その1)
 

目次一覧


前回 第18回
慶應義塾出版局の創設

次回 第20回
慶應義塾出版局の活動(その2)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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かたわ娘表紙

前回は明治5年8月の慶應義塾出版局創設について述べたので、今回はその活動内容について具体的な出版物を通して見てみよう。

まず明治5年の9月には、『かたわ娘』。この表紙には「福沢諭吉寓言(ぐうげん)」と記されていることからもわかるように、寓話(ぐうわ)・戯作(げさく)である。内容は、当時の婦人が眉毛を剃ったり歯を染めたりする因習をいましめたものである。これらは古くから上流の婦人によって行われていたものが公家の男子にも伝わり、江戸時代には庶民の間にまで広まって既婚の女性の象徴となっていた。この本の執筆の動機については、福沢自身が『福沢全集緒言』(明治30年 刊)の中で次のように回顧している。

明治4〜5年頃のこと、人の噂によると京都の公家の中には、かたわ娘 本文今でもまだ鉄漿(おはぐろ)をしている者がいるという。明治維新から数年たっても古い習慣にとらわれて弱々しい有様の公家に対して、大いに驚きまた不満に思った。これでは数百年間も武家に権力を奪われ続けたのも当然だと思い、この気の毒な公家を文明に導いて活発な男性にしようと決意した。まずはその外見からということで、とにかく婦人のような鉄漿をやめさせようと思ったところ、ふと考える。公家が婦人の真似をするのはもちろんおかしいが、婦人が天然の白い歯をわざわざ黒く染めるのもまたおかしなことである。少数の公卿よりも全国の多くの婦人の歯を白くして、天然の美を保つ方が先ではないか。婦人が鉄漿をやめれば、京都の弱々しい男性も自らを恥じて改めるだろう。一挙両得だ。

そこで、公家ではなく婦人に向かって、鉄漿の利害をおもしろおかしく諷刺する『かたわ娘』が誕生したのである。

世界国尽

それから130数年後の現在。『かたわ娘』の効果か、さすがに鉄漿をしている人は見かけなくなった。そのかわりに、髪の毛を染めて耳たぶに穴を開けるような現代人を福沢が見たら、はたしてどのような作品を生み出すであろうか。あるいは筆を投げるだろうか、それとも筆を折ってしまうだろうか…。

さて、『かたわ娘』に続いて明治5年の冬になると、『素本世界国尽』。これは明治2年に刊行された『世界国尽』から序文・凡例・目録・頭書・附図・附録を削除して、本文のみを習字の手本風に大きくしたものである。その文字は『世界国尽』と同じく、福沢の信頼が厚い書家の内田晋斎(うちだ しんさい)の書による。

世界国尽

このようにして明治5年に創設された慶應義塾出版局は、たまたま同年に政府によって定められた学制による近代的な学校教育制度の発足とも重なり、文明開化の風潮の中で教科書・啓蒙書の両面で順調に滑り出し、軌道に乗っていった。

ところが同じ明治5年の11月になって突然、政府からある重大な発表がなされる。その内容は全国民の生活を左右し、福沢諭吉や慶應義塾出版局も関係していくことになるのだが、そのお話はまた次回のお楽しみに…。


【写真1】『かたわ娘』表紙 (慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真2】『かたわ娘』本文(冒頭の丁)(慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真3】『素本世界国尽』表紙(慶應義塾福沢研究センター蔵)
【写真4】『素本世界国尽』本文(慶應義塾福沢研究センター蔵)
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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