はじめに
千葉光宏
朝日新聞社ジャーナリスト学校
この本には慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所で2009年度の前期に、ジャーナリズム総合講座として行った授業を収録しました。この講座は朝日新聞社の寄付講座で、学生にジャーナリズムについて学び、あり方を考えてもらおうと慶大にお願いして開設しています。
前期日程の担当に私がなり、どんな授業をするか考えました。せっかくの機会です。ジャーナリズムの現場を知ってほしいし、理解を深めてほしい。とはいえ取材領域別・メディア別の仕事の流儀や苦労話、手柄話、内輪話の紹介には終わりたくない。ジャーナリズムの重要性や意義、問題点を改めて取り上げるのも芸がない。では、何をするか。
メディアは大転換期を迎え、部数減と広告収入の落ち込みでもがいています。ネット社会になったことに加え、メディアが自ら招いた原因もあります。報道被害、誤報・虚報、不祥事・・・・・・。そもそもジャーナリズムとしての使命をどこまで果たしてきたのかという批判もあるでしょう。
多くのメディアがいまの形のままでは生き残ることができないだろうと言われています。なくてもいいメディアだと見なされればやがて消え、この国に不可欠な社会基盤だと評価されれば生き残っていく。いずれにしろ多様な言論は失われていきます。
時代に即した新しいメディアが出現し、旧来型のメディアにとってかわるなら、それはけっこうなことです。メディアが古かろうが新しかろうが、健全なジャーナリズムさえ担えるのであればどちらでもいい。
でも、健全なジャーナリズムは情報の集積ではありません。次元が違う。あふれるほど情報があっても、それだけではジャーナリズムの使命は達成されないのです。
時間と人手、費用、取材力、汗と努力、意志の力。これらをつぎ込んだ結晶がジャーナリズムの使命にかなう報道です。どうやったって安上がりにはいかない。権力の不正をただし、社会のゆがんだ実相を突きつける報道が、工業製品のように短時間で効率的に生産されるはずもありません。
こうした当たり前のことを学生たちに知ってほしいと思いました。「なくてもいいメディアだと見なされればやがて消え、この国に不可欠な社会基盤だと評価されれば生き残っていく」と先に書きました。なくなってもいいメディアかどうか、その判断をする際に、一人ひとりがメディアを単なる情報の発信元としてではなく、ジャーナリズムの担い手として信頼できるかどうかという視点で見てほしいと思ったのです。
そのためにはどんな授業にすればいいかと考え、新聞やテレビが行った近年の報道のなかから、ジャーナリズムの名に値する報道、尊敬できる報道を次々に紹介していくことにしました。それらがどのようにして成立したのか、企画・取材・編集の過程はどのようなものだったのかは私自身の関心事でもありました。
ここに収録した内容がその結果です。記者やディレクターのみなさんに趣旨を説明し、慶大で授業してほしいとお願いしたところ、全員に引き受けていただきました。他紙やテレビの方にとっては朝日新聞社の寄付講座という点が障害になったはずです。それにもかかわらず、断ってきた方が1人もいなかったのは、前述のようなメディア状況に対する懸念と問題意識を、濃淡はあれ、みなさんが共有していたからだと私は解釈しています。
なお講師の三分の一が朝日新聞の記者になったのは、この寄付講座の前例を踏襲したためです。ジャーナリズムの名に値する近年の報道の半数が朝日新聞の記者によるなどとは毛頭思っていません。念のために書き添えます。
|