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巻頭随筆

親子のしなやかさ    西園昌久

 

 現在、「レジリエンス―しなやかさ」という言葉は、精神医学の領域で、「障害からの回復力」を意味するものとして広く使われています。私は「風雪に耐える竹の強さ、美しさ」を考えます。巨大で頑強を思わせる存在でないのに、外力にさらされても、容易に壊れたり、倒れたりすることなく、むしろ、外力にかかわりながら復元していく姿です。竹は、外側と節が硬(強)く、内側はやわらかい組織の二重構造でできています。

 「人格のしなやかさ」の基本は、生後から成人するまでの親子関係に大きく影響を受けると考えられます。ここでは幼少期にまでに限って考えてみます。私は、学会や会議で外国に行ったとき、暇を見つけては美術館を訪ねることにしていました。親子関係を画家たちがどのように描いているか知るためです。パリのルーヴル美術館で、ピカソの「母と子」に出会ったときは感激しました。母親は赤ん坊を自分の体で包みこんで抱っこしているのです。皮膚と皮膚との接触です。子どもの心に生じ、育つ「安心」「信頼」「一体感」の原点と思いました。ところが、山下柚美さんの著書(『〈五感〉再生へ』岩波書店、二〇〇四年)には、わが国のある専門家集団の全国規模の調査で、「抱っこをいやがる赤ちゃんが二五%」もみられたと報告されています。「うまく抱けない母親たち」が増加しているとのことです。若い母親の育児知識の問題もありますが、当世、近隣との関わりには抵抗があり、昔のように育児に困ったときに助けてもらう状況ではありません。また、父親の役割が増大しているにもかかわらず、それが充分には果たせていないのでしょうか。

 ところで、美術館回りで「父と子」の絵を見つけることは至難なことでした。幸いウィーンのセント・ステファン寺院の近くの売店で、子ども好きの神父が子どもを抱いている木彫の父子像を見つけました。ピカソの母子像とちがって、父親が自分の両腕で子どもの全身を支え、子どもは背筋を伸ばし、正面を直視している姿が印象的です。

 「心身一如」という言葉がありますが、フランスの精神分析家D・アンジューは、母親との関係でできる安心・信頼・自他の区別などの働きをするのを「皮膚性自我」と呼びました(福田素子訳『皮膚―自我』言叢社、一九九三年。原著、一九八五年)。

 乳児は成長し、「イナイ、イナイ、バー(いた)」遊びをする頃になると、母親だけが相手では満足しなくなります。与えられた玩具を捨てる行為を繰り返したり、抱き上げられて「タカイ・タカイ」をするのを求めたりします。筋力が発達し、母親に代わって父親が相手に求められます。父親との遊びは、さらに、かけっこ、ボール遊び、自転車乗りなどへと年齢とともに発達していきます。勇気・時間感覚・因果関係の判断力、父親の制止を取り入れた自己規制力が芽ばえます。私はそれを「筋肉性自我」と名づけました。

 先に、「しなやかさ」を竹の「やわらかさ」と「強さ」の二重構造にたとえました。「皮膚性自我」は「親子のしなやかさ」の「やわらかさ」と、「筋肉性自我」はその「強さ」と関連すると考えています。



 
執筆者紹介
西園昌久(にしぞの・まさひさ)

心理社会的精神医学研究所所長。福岡大学名誉教授。PPST研究会会長。精神科医、医学博士。専門は精神分析。九州大学医学部卒業。福岡大学医学部教授、医学部長などを経て現職。主著に『精神医学の現在』(中山書店、2003年)、『西園精神療法ゼミナール〈全3巻〉』(中山書店、2010年、2011年)、『精神分析を考える』(中山書店、2014年)ほか多数。

 
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