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巻頭随筆

愛他的態度を育むことの大切さ    山口裕幸

 

 「思いやり」の心についての研究は、発達心理学を中心に活発に行われてきました。それに加えて、私が専門とする社会心理学の領域でも、援助行動の研究に始まって、愛他的行動の研究、向(順)社会的行動の研究等、なぜ人は人を助けるのか、あるいは助けないのかという問題をめぐって、「思いやり」が果たす機能について活発に議論が行われてきました。

 愛他性に関しては、自分の利益よりも他者の幸福を優先して願う博愛的精神であるとされ、研究が始まった頃は人間に生来備わる美点として、その存在を明らかにしようとするアプローチが多くとられました。また、向(順)社会的行動の研究では、人間は社会的規範に沿うように行動を選択するという観点に立って、検討が進んできました。

 他方、援助行動に関する研究の多くは、社会的交換の資源に、安心や満足のような心理的要素を含めて考え、人間は、援助することに伴う報酬と損失、ならびに援助しないことに伴う報酬と損失とをそれぞれ見積もって、見込まれる報酬の総和のほうが損失のそれよりも大きければ援助し、小さければ援助しないという、合理性を重視するアプローチが幅をきかせていました。このアプローチでは、愛他的行動を選択する理由も、そのほうが本人にとって満足感が大きいからだと説明できてしまうこともあって、その影響力は強いものでした。

 しかし、何を「得(報酬)」と考え、何を「損(損失)」と考えるかは、人によっても、社会や文化によっても、微妙に異なるものでしょう。多くの人が損だと感じる自己犠牲を払う行動も、その本人にしてみれば、自分の信念を貫く価値の高いものである場合だってあるでしょう。そうした行動は、ときに人間が持つ愛他性の発露としてとらえられることもあるかもしれません。愛他性は人間が生まれつき持っている特性であるのか否かの議論はここではひとまず置いておくことにしても、たとえ、生まれつき持っていなくても、様々な経験を積むことで他者の気持ちを思いやる心を育むことは可能だと考えられます。

 「思いやり」というと、同情や共感といった情動的な反応を真っ先に思い浮かべますが、情動的な反応の前に、他者の気持ちに思いを馳せて推測する高度な認知能力を働かせることができなければなりません。近年、進化論の観点から、人間の協調性について検討が進められています。個体単独で生き抜くことは難しい非常に厳しい自然環境の中で、我々の祖先たちは、外敵から身を守り、食料を安定的に確保し、命をつなぐために、集団で生活する生き方を選択しました。脳の進化とともに他者とのコミュニケーションをとる能力や、他者の気持ちを察する認知能力が高度に進化したことも、集団で生活するメリットを生かす強みにつながったと考えられます。

 優れた認知能力は「情けは人の為ならず」と遠謀深慮で他者を助けることをも可能にしますが、ときに論理的に冷静に他者への援助を思いとどまらせる方向に働くこともありえます。だからこそ、思いやりの心を育むことを考えるとき、他者の気持ちを推察する能力を育むのみならず、他者の気持ちに寄り添い、いたわり、支えようとする愛他的態度を育むことの大切さを忘れないようにしたいものです。権力者におもねり、保身をはかるための忖度ばかりが身につくのでは寂しすぎます。傷つき、疲弊し、窮乏する人々への愛他的思いやりを育む取り組みの継続に期待したいと思います。



 
執筆者紹介
山口裕幸(やまぐち・ひろゆき)

九州大学大学院人間環境学研究院教授。博士(教育心理学)。専門は社会心理学、組織心理学、集団力学。九州大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。著書に『産業・組織心理学』(有斐閣、2006年)、『チームワークの心理学』(サイエンス社、2008年)、『コンピテンシーとチーム・マネジメントの心理学』(編著、朝倉書店、2009年)、『〈先取り志向〉の組織心理学』(共編著、有斐閣、2012年)、『高業績チームはここが違う』(共著、労務行政、2016年)など。

 
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