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立ち読み  
編集後記  第65巻4号 2017年4月
 

▼新年度を迎えると、私たちの周りでは様々なものが変わります。変化の大きいものもあれば小さいものもありますが、私たちはその変化のなかで、否応なく新しい生活をしていくことになります。
 学校でも組織をはじめとして様々なものが変わります。教員の異動があり、新入生を迎え、また新しい校長が赴任してくる学校もあります。主任等の新たな役割を担うようになった教員、最上級生として所属する部活のキャプテンとなった子どもなど、これまでの立場が変わる教員や子どももいます。とりわけ新任の教員や新たに異動してきた教員、新入生は、前からその学校にいる教員や上級生とかかわりながら、これまでとは大きく異なる学校生活を送ることになります。このような変化のなかで、それが問題状況として顕在化する場合しない場合あると思いますが、多くの人には大きなストレスがかかると考えられます。

▼私たちは、通常ある枠組みやシステムのなかで、言い換えれば、つくられ与えられたものとしての、そして自分では簡単には動かしがたい、狭い意味での「環境」のなかで、それに適応するように生活しています。いわば「受動的」な存在です。新年度になると、「環境」がこれまでと大きく変わったように見えます。そして私たちはその変わった新しい「環境」に適応しようと努力します。一見それは能動的な行為に見えますが、枠組みやシステムが先にあり、それに照らした動きである以上、「受動的」なものと言えます。

▼私たちは「環境」に適応しようとしますが、当初の思惑通りにはなかなかうまくすすみません。その過程のなかで、具体的な他者にかかわらざるを得ませんし、無視したりなかったことにすれば別ですが、必ず例外や偶然が生じます。また自身の価値観や大切にしている物事に抵触する状況が生まれた場合、「環境」とは違う方向性で考え、思わず実際に動いてしまうこともあります。それは、つくられ与えられた「環境」とそれを支え維持してきた広い意味での環境に、結果的に私たちが「能動的」に働きかけてしまっているということでもあります。

▼しかし、通常私たちは、大人も子どもも「環境」に適応することだけに意識を向けがちです。それは「環境」に適応しているかどうかを他から評価されること、その評価によって比較されることを非常に気にしているからではないでしょうか。そのような評価のあり方、受けとめ方は私たちの「受動性」を助長しているのではないかと思います。「受動性」そのものは悪いものではありませんが、「受動性」一辺倒になってしまうのは問題です。
 当然のことながら毎年毎年、年度は更新されていきます。私たちはバージョンアップ(更新)する枠組みやシステムに単に適応しようとする「受動的」な存在ではなく、一面ではその枠組みやシステムを壊し新たにつくっている(変革している)「能動的」な存在でもあることを自覚していくことが必要だと考えています。

 

(田上 哲)
 
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