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編集後記  第65巻3号 2017年3月
 

▼「1億総中流社会」、1970年代に使われた言葉である。当時は揶揄も含んで使われた言葉であったが、貧困や格差が言われる現在においては、輝かしい響きにすら感じるのは、私だけではないだろう。

▼私の職業的背景は保健師であるが、公衆衛生の領域において、この経済的な困難さが健康格差につながるなかでクローズアップされてきたのは2005年くらいからである。もちろん、それまでも経済的困窮状態はケア対象者の背景要因として重視してきたが、この状況にある対象数の増加により、個別対応では立ち行かない状況となっている。
 この状況に対し、厚生労働省は2013(平成25)年に「生活困窮者の生活支援のあり方に関する特別部会」を開き、支援のあり方に対する基本方針について議論を行っている。

▼このなかでの保健師にかかわる事項としては、「福祉事務所において、健康診査に基づく保健指導や、受給者からの健康や受診に関する相談等があった際に助言指導など必要な対応を行う専門職の配置を検討することが必要」とされたことがある。
 以前から配置されていた自治体はあったものの、この報告書の後押しもあり、福祉事務所に保健師を配置し、健康管理を入り口とした生活支援を行う自治体も増えているが、人員や介入の困難さ等、配置された保健師は多くの課題を抱えている実態がある。

▼介入の困難さの理由に、対象の抱える問題の複雑さがある。母子保健の領域でいうと、母親の身体的な疾病や、精神疾患や知的障害、親の自我が非常に弱いこと、離婚後に夫が養育費を支払わない、就労できる技術がない、就労訓練のために子どもを預けられる場所がない、等々の要因が重なることもまれではない。
 そして、もっと深刻なのは、福祉事務所のような窓口につながらず、地域の中で潜在してしまう場合である。
 と、編集後記であるにもかかわらず、課題の山を積み上げてしまった。

▼保健師が問題を抱える親子の支援にあたり、周囲の方への理解や支援を調整する際、よく出てくる言葉が「親が悪いのに、なんで?」である。
 「ごもっとも」と言いたくなる場合もないわけではないが、親の問題でなく、子どもの大変さ自体に焦点をあてる気持ちになっていただけない限り、子どもを救うことはできない。これは子どもの貧困において、社会全体に必要な視点かもしれない。

▼「生きているのは、おとなだけですか」。これは、巣鴨子供置き去り事件を元に、2004年に発表され、カンヌ映画祭で最優秀主演男優賞を取った映画『誰も知らない』(監督・是枝裕和)のキャッチコピーである。母親から置き去りにされたきょうだいが、電気や水道が止められたアパートの一室で息をひそめながら必死で生きていた。あの子どもたちは、その後、どう生きているのだろう。

 

(鳩野洋子)
 
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