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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載(2006年12月15日更新)

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第10回:「福沢屋諭吉」の編集活動(その3)

 

目次一覧


前回 第9回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その2)

次回 第11回
「福沢屋諭吉」の編集活動(その4)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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 首尾よく本を出版した後に著者や編集者として気になることは、いつの世もその売れ行きや読者からの声。今回は、明治2年に出版された『世界国尽(せかいくにづくし)』を題材にして、「福沢屋諭吉」が一読者からの声にどのように対応したのかをたどってみることにしよう。尚、『世界国尽』については、この連載の第4〜7回もご参照のほど。

 今回の引用史料は、明治4年2月(日付は未詳)の杉山新十郎宛福沢諭吉書簡である。宛名の杉山新十郎という人物は、天保7(1836)年の生まれで福山藩士。明治2年から福山藩の校務掛をはじめ、明治4年に啓蒙所の発起人、明治5年から深津県(現在の岡山・広島県の一部)の学校掛・小田県(深津県から改称)の学務課長を歴任し、この地方の初等教育制度の確立に尽力した。後に安佐・佐伯・安芸の各郡長も務め、明治31(1898)年には初代の尾道市長に就任した。このような杉山の経歴を見ると、まさに福沢が力説した初等教育(「下民教育」「小民教育」)を地方で推進する重要な担い手であることがわかる。  その杉山が『世界国尽』を手にして読んでみたところ、いくつかの疑問点が生じたので、著者に対してそれらの諸点を問い合わせたらしい。その問い合わせに対する著者からの回答が、今回引用する福沢書簡である。残念ながら福沢宛の杉山書簡が現存しないので、杉山が福沢に対して一体どのような問い合わせをしたのかは、杉山宛の福沢書簡から推測してみるしかない。つまり「質問書」がないので、「回答書」だけから当時の読者と著者との間のやりとりをたどってみることにしよう。

 そこで、杉山からの質問を推測したものを「問」とし、書簡に記された福沢からの回答を現代文に改めたものを「答」として、以下に両者間の問答を復元してみた。興味のある方は、出典(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年) をご覧いただきたい。 『世界国尽』は和装本なので、頁(ページ)ではなく、丁(ちょう)で表示している。
     
  問1. 第1巻「亜細亜洲」の14丁目にある「中をへだつる西紅海(せいこうかい)、海の南の地続(ちつづき)は」の「海の南」は、「海の北」ではありませんか?
答1. 「海の南」とは申し訳ありません。再版では改めるつもりです。  
   
 
初版
 
再販
 

  アラビア半島に関する記述で、「紅海の北の地続きの部分は、スエズ地峡として有名」と 説明する際に、紅海の「北」をうっかり「南」と記してしまった。この指摘を受けて、初版の「南の」という部分が再版では「北なる」と修正された。この修正で、「南の」を単に「北の」ではなく「北なる」としている点に注目していただきたい。この『世界国尽』は 世界地理の概要を子供に理解させることを主眼としたもので、調子の良い七五調で書き連ねた文章を暗誦することによって、世界地理の知識が自然と身につくように工夫がこらされている。そのため、文章のリズムにも細心の注意が払われていて、「南の」から「北の」にしたのではせっかくの七五調が崩れてしまうために、わざわざ「北なる」と一つ増やして調和をとっている。「福沢屋諭吉」は誠に芸が細かい。

       
  問2. 第2巻「阿非利加洲」の12丁目にある「北に辺山国(ヘザンこく)、大略(おおむね)同じ夷狄人(えびすびと)」の「北」は、「南」ではありませんか?
答2. この「北」も作者として申し訳ありません。再版ではきっと改めるつもりです。  
       
   
初版
 
再版
 


 北アフリカに関する記述で、現在のリビアのトリポリの「南」にあるフェザン地方を説 明する際に、またもや南北を逆にしてしまった。トリポリの「北」では、地中海に飛び込 んでしまう。この指摘を受けて、初版の「北」が再版では「南」に修正された。ここでもまた、前述の七五調のリズムが崩れないような細かい配慮がなされている。 すなわち、初版では「馬留加国(ばるかこく)また其(その)北に辺山国(へざんこく)」 となっているが、この「北」を単に「南」に改めただけでは七五調が崩れてしまう。 そこで、再版では「馬留加国またも南に辺山国」とすることによって調和が保たれてい る。

 上記の2ヶ所については、読者諸氏もお手元の地図でどうぞご確認のほど。何度もチェックしたつもりでも、このようなミスは今も昔も後を絶たない…。何だか福沢の冷汗が伝わってくるようである。

 さて、杉山からの「問」はまだまだ続くのだが、今回はこの辺で…。
 ところで、この連載も今回でちょうど10回目を迎えることができた。これまでの記述で何か怪しげな箇所を見つけられたら、どうぞ杉山新十郎のようにお知らせいただきたい。慶應義塾大学出版会までご一報のほど!

写真1 『世界国尽 一』初版 14丁オモテ(慶應義塾による復刊版)
写真2 『世界国尽 一』再版 14丁オモテ(慶應義塾福沢研究センター蔵)
写真3 『世界国尽 二』初版 12丁ウラ(慶應義塾による復刊版)
写真4 『世界国尽 二』再版 12丁ウラ(慶應義塾福沢研究センター蔵)

著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。
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