学習に役立つ写真、地図、コラム、年表も豊富に掲載しました。
『古代エジプトの歴史--新王国時代からプトレマイオス朝時代まで』(山花 京子 著)慶應義塾大学出版会	 決定版!古代エジプト史入門 
   

著者、山花氏によるエジプトや発掘作業に関する特別寄稿と写真をご紹介します。


 

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 古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで 山花 京子 著      
           
 

 
   
古代エジプトの歴史 新王国時代からプトレマイオス朝時代まで
 

古代エジプトの歴史
新王国時代からプトレマイオス朝時代まで

    
 
    
山花 京子 著
    
A5判/並製/272頁
初版年月日:2010/09/17
ISBN:978-4-7664-1765-4
定価:2,940円
  
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決定版!古代エジプト史入門

▼運命は交錯し歴史は始まる−−−−。ナイル河畔に興り、地中海沿岸、オリエントに至る広大な地域で栄えた古代エジプト文明。
▼学習に役立つ写真、地図、コラム、年表も豊富に掲載。 本書は、新王国時代以降1500年にわたる、およそ120人の王の、領土と覇権を巡る、愛憎・戦争・祈りの系譜を辿る本格的入門書。
▼学習に役立つ写真、地図、コラム、年表も豊富に掲載。
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特別寄稿
   
 


特別寄稿:ヨルダンは人情の国
発掘隊の日常 Q & A


    山花 京子  (考古学者)     

特別寄稿:ヨルダンは人情の国
 仕事で11月半ばにヨルダン・ハシミテ王国に行ってまいりました。エジプトへは何度も行っている割には、他のアラブ諸国には行ったことがありませんでした。ま、同じアラブの国だし、エジプトと同じような要領で大丈夫なんだろうな、と思っていたら、思いっきり期待を裏切られました。それもよい意味で裏切られました。まず、感動したのは、タクシーの運転手がおつりをごまかさない、ということ。私が高額紙幣を出してしまっておつりがなかったときなどは、通行人を呼び止めて両替してもらってからおつりを渡してくれました。それも端数きっかり。そんなことが連続してありました。
 ヨルダンの国土は日本の4分の1ほどしかなく、人口も日本の20%くらいです。一般にはアラブの国はどこも石油が出て金満・・・と思われるかも知れませんが、ヨルダンは主要産業がリン鉱石の採掘(世界3位)くらいで、後は死海で生成するポタシュ(カリウム)や石灰岩台地で作られるセメントくらいしかありません。国民の平均所得は一ヶ月につき5万円くらいだそうです。
 貧しい国なのかな〜と思いきや、物も豊かで車もきれいでした。特にすばらしい、と思ったのは人々の心はとても豊かなところです。義理人情に厚いのは日本人と共通しているところがありました。以前イランに行ったときも同じように感じたのですが、外国人をとても大切にしてくれる国でした。
  こんな経験をしました。死海のそばのみやげ物屋で「死海石鹸」なるものを買おうと思い、クレジットカードを出したのですが、生憎機械の調子が悪くてクレジットカードを受け付けてくれません。現金もそれほどないので、あきらめて商品を返しました。そしたら、レジの隣に並んでいた大学生のにいちゃんが、「あなたヨルダンは初めてですか?いつ帰るんですか?」と聞くので、「はい、初めてですよ。明日帰るので今日しか観光する日がないんです。」という話をしました。そしたら、その兄ちゃんが、「それでは先ほどの石鹸を私が買って差し上げましょう。」というので、そりゃいけないだろう、第一石鹸とはいえ、日本円に直して3400円もする代物だよ、と思って「いえいえ、死海の雰囲気を味わえただけでも嬉しかったので、そんなことしていただかなくて結構です。」と、言ってそのみやげ物屋を後にしました。そしたら、しばらくしてその店から兄ちゃんが紙袋もってだ〜っと走ってきて、「はい、あなたの石鹸です。これをどうぞヨルダンの思い出にしてください。」と言って、私に渡してくれたのです。
 すばらしい人じゃありませんか。ヨルダン人の月収を聞いて知っていたので、ますます恐縮しました。手持ちのヨルダンディナールを全部その人に握らせて(といっても全部で700円くらいしかなかった)、あとは米ドルで支払うよ、といっても、その兄ちゃんは「いえ、私はもうあなたの兄弟ですから、お金はいただけません。」といって受け取りを拒否するんです。なんという崇高な心でしょうか!!日本でもこんな人にお目にかかることはめったにないですよ。
 散々受け取れ、いや受け取れない、のすったもんだを繰り返した挙句、私はありがたくその石鹸を頂戴することにしました。ほんとに涙が出ましたよ。嬉しくて。
 ヨルダンでは、こういう驚きの経験を2度しました。本当にびっくりです。みな、心根の良い人ばかりで、観光客ずれしてなくて・・・絶対にもう一度訪れたい国です。今度は死海で浮遊体験するぞ!

Q:発掘隊ってどんなことをしているのですか?
A:私の場合はフィールドはエジプトですが、エジプトに限らず、古代社会の社会や文化などのさまざまな局面を研究したいと考えている研究者は多くいるわけです。その人たちがどのようにして研究するか、というと、まずひとつは今までの成果(発掘報告や文献研究)などをもとにした研究があります。そしてもう一つは、実際に自分達の手で発掘調査をすることによって古代社会のいまだ見えざる部分を解明しようとする研究です。前者は机の上でこつこつと積み上げてゆくものなので、地味に映る一方、後者は体力仕事で、特に最近はメディアによる追い風もあることから、派手に映ります。考古学研究者としては、机上の研究とフィールドでの調査のバランスが取れているのが一番の理想形だと思われています。
 発掘調査をするには、まず、どこを調査したいか、そして何のために調査するのか、を考えなければなりません。研究者の研究対象がたとえば古王国時代であれば、古王国時代の何を解明したいのか、そのためにはどの場所を発掘候補地として選ぶか、ということです。そして、どのくらいの規模で何年間の調査を見込んでいるかを念頭に置く必要もあります。
 発掘プランを練りに練っても、実際に許可が下りるかどうかは別問題です。エジプトの場合、発掘調査の責任者が筆頭となって考古最高議会に申請をし、許可が下りない限り調査はできません。実際調査が可能となっても、さまざまな問題−発掘権利や資金など−のために調査が始められないことも往々にしてあります。日本の発掘調査隊は資金をほとんど日本政府に頼っていますので、科学研究費が支給されなければ発掘隊の死活問題となります。海外の発掘隊の場合はその国の政府の援助以外にも企業や富裕階級の人たちからの寄付によって運営されているところが多くあります。
 いったん現地での調査が許可されると、まず発掘隊の人員を募り、時期を見て現地に渡り、予備調査を行います。大体は地形調査、表面の遺物調査、ボーリング調査あるいはトレンチ(ためし掘りの区画)発掘を行います。この予備調査の段階で、本当にその遺跡が自分が調査したいところかどうかの見極めをします。そしてOKということになれば、翌年あたりから本格的な調査となります。
 調査は「ここ掘れワンワン」ではできませんから、実際に掘り始める前には掘る場所のレイアウトを考えておきます。調査後に報告書を書くのは発掘者の義務ですから、報告書にしっかりとした図面が載せられるように方角を意識して発掘区を決めます。発掘をすると、当然遺物も出てきます。その遺物が後々にどこから出てきたかをちゃんと知るためにも、この発掘区分けは結構重要です。
 そして、いざ発掘、ということになるのですが、実際の発掘は現地の熟練した人夫さんにおまかせすることが多いです。発掘そのものよりも、発掘区画や全体を見渡して現在の進み具合や出土状況を把握し、出てくる遺物の取り上げをすることが発掘作業中の主な役割になってきます。立場が上になればなるほど、一箇所の発掘区画にとどまることはなく、つねに移動して全体を見渡していないといけないことになります。ですから、一般の人たちがイメージする、刷毛や爪楊枝をもって発掘する、というのが海外の現場で働く発掘隊員の主な仕事ではありません。よっぽど人手が足りないか、あるいは人任せにしたくない場合は別ですが・・・。
 発掘と平行して図面を取る作業もあります。現地の人夫さんではできないことは発掘隊員の仕事です。欧米の調査隊は、隊員が描くのは土層のセクション図くらいで、平面図は測量専門のチームが入ります。日本隊の場合は図面は基本的に隊員が取る、というシステムになっているようです。
 発掘作業では遺物が出てきます。時には膨大な数が出てくる遺物は、そのままにはできません。報告書の作成と、後世の研究材料として残すために、遺物を洗い、注記し、図面と写真にとって保管しておかなければなりません。整理作業といいます。この20年ほどの間に、「保存と修復」の意識も高まってきたので、現在の整理作業には、遺物の記録作業のほかに保存と修復も入ります。欧米の発掘隊は発掘作業と整理作業にはそれぞれ専門の人たちがいます。
 発掘調査の仕上げは報告書を刊行することです。エジプトでは発掘調査終了後、概報を提出するように求められています。そしてその概報を詳細にした年次報告書を書き、さらにはその場所での発掘調査の集大成となる報告書を作成するのが目標です。
Q:日本と欧米の発掘隊の違いはどのようなところにありますか?
A:違いはいろんなところにあります。たとえば、日本隊の現場では、発掘から図面取り、整理作業までほとんど皆総出でやっているのですが、欧米の現場の場合、完全分業です。つまり、発掘する人、整理作業をする人、図面を描く人、とそれぞれに専門が分かれています。どちらにも一長一短はあって、日本隊のシステムだと、最初から最期まで隊員が関わることになるので、皆が同じ情報を共有することができる、というメリットがあります。ただ、隊員がすべてをこなさなければならないので、オールマイティの知識が要求されるし、隊員の消耗が激しい、という問題があります。欧米型だと、隊員はそれぞれの持ち場に専念できるので、より深い観察をすることができる一方、作業工程毎に担当者が変わるので情報の共有、あるいは統合ということが難しいという問題があります。たとえば、発掘して取り上げた遺物の置き場がわからなくて、5人くらいの人に聞かないと判明しない、という面倒なことも起こります。
 日本の発掘隊と欧米の発掘隊で私が一番違うと感じるのは、日本隊はディレクターを筆頭に皆で力を合わせて遺跡の性格や重要性を解明して、報告書を完成させよう!という意識が強く、欧米の発掘隊はディレクターの発掘方針に賛同するそれぞれの分野の専門家達が集まって、そこの遺跡や遺物を研究対象として使いながら個別の研究成果を発信して行こう、という意識が強いことだと思います。つまり、日本はディレクター以下はピラミッド構造になっていて、隊員は皆同じ作業をこなすことで効率よく発掘結果の情報をトップに集約することが期待されています。一方、欧米型のチームは、たとえば新王国時代のテーベを掘っているディレクターのもとに、土器や石器といった各分野に特化した専門家たちが集まって、各自の研究プロポーザルにしたがって研究を進めます。よい報告書を!という意識の強い日本隊と違い、欧米隊はチーム全体の成果としての報告書よりは、各専門家による研究書を期待しているところがあります。各分野の専門家が出す研究書によってその遺跡の重要性をアピールできる、と考えているようです。もちろん、成果報告としての報告書はエジプトの場合、義務ですから出さなければなりませんが、欧米の発掘隊のディレクターは常に専門書が書けるだけの知識のある研究者を自分の遺跡に招聘することを意識しています。そして、専門家が研究に専念しやすい環境を作ってあげるためのコーディネーターとしての役割を担っています。
 日本隊の隊員構成はほぼ100%日本人ですが、欧米隊の隊員構成にはいろいろな国籍の人がいます。私が参加していたアメリカ隊も、ディレクターはアメリカ人ですが、半数以上が他のヨーロッパ諸国から来ている隊員です。日本隊には、「不文律」や「暗黙の了解」、もっと簡単に言えば「そういうのって、考古やる人の常識じゃん。」みたいなものがあって、それが結構厳しかったりしますが、マルチ国籍の発掘隊には、当然そのようなものは存在しません。コミュニケーションがとても大切になってきます。日本人は「目は口ほどにものを言い」と思ってますが、それは通用しません。常にコミュニケーションあるのみ、です。私のような日本人の「常識」を学ぶべきときに海外にいた「はずれ日本人」にとっては、なかなか純和風の「常識」を共有することができないので、マルチ国籍の発掘隊に入ったことは幸せだったのかもしれません。
Q:発掘隊に参加できるには、どのような知識があればよいですか?
A:考古学の技術(遺物実測、地形測量、写真、保存修復)などがあるに越したことはないです。扱う遺跡の性格にもよるのですが、文字資料がたくさん出てくるところでは、やはり文字が読めないと困りますし、骨がたくさん出るところでは、形質人類や動物考古などの知識が要求されます。ただ、全部を持っている必要はないです。
 大きな発掘隊になると、組織も細分化されていて、隊員の日程や宿舎の管理や外部との交渉を受け持ってマネジメントを担当している人や、実際に自分では掘らないけれど、出土遺物を整理して記録するレジスター担当の人もいます。ただ、これは発掘隊が本当に大きな場合で、日本の発掘隊には当てはまりません。日本の発掘隊は基本的に皆全部こなせることが期待されます。掘って、図面とって、遺物あげて、洗って、接合して、実測図とって、遺物台帳を書いて・・・といったすべてのことが一通りできる人が望まれるのです。
 もう一つ、エジプトを発掘調査する場合、古代エジプト史の基本は把握しておいてもらいたいです。そして、自分が掘っている遺跡が古代エジプトの歴史全体の中でどのような意味を持つものなのか、ということを常に意識しながら掘って欲しいのです。やっぱり、エジプト史がわかってないと、本当はとても重要なものを見逃してしまったりすることもありますからね。

あとは気力と体力!!そして持久力!!
Q:エジプト発掘隊に参加したいのですが、どうすればよいでしょうか?
A:日本からエジプトに発掘に行っている調査隊は早稲田大学隊、筑波大学隊、関西大学隊、中近東文化センターエジプト調査室隊、東京工業大学(京都大学、駒沢大学)調査隊です。それぞれに発掘地域と発掘対象が異なります。発掘隊は隊長を中核として構成されていて、隊員には考古学、文献学、建築学、分析科学、人類学、民俗学など、さまざまなジャンルの専門家の混成チームです。
 それぞれの発掘隊により、システムが違うので、一概には言えませんが、専門家である大学の先生が、若干の学生をつれて参加するパターンが多いです。現場ではそれぞれが分担して作業を行いますが、たとえば考古ならば発掘し、遺構や遺物を図面に記録するのが仕事です。もし、皆さんの中に発掘調査に興味のある人がいれば、実際に発掘調査に出かけている大学の先生方にコンタクトを取るのが一番近道です。それから、発掘隊長や他の隊員ともお会いして話しをする機会を是非見つけてください。
 発掘作業中は、数ヶ月の間擬似家族として生活します。寝食をともにするわけですから、果たして自分がこの隊でやっていけそうかどうか、を事前に知っておく必要があります。
 私が参加しているところは、大学院生以上が発掘に参加しています。エジプトでも辺鄙なところにある遺跡ですので、自力でそこまでたどり着けるだけの度胸と体力を持ち合わせている学部生はそういません。いまの学部生は自分のことには非常に敏感ですが、他の人とのコミュニケーションが下手ですから、よしんば発掘現場にたどり着けたとしても、調査隊の中での生活で直ぐに精神的+体力的に消耗してしまうことが多いのです。新参の学生メンバーは発掘調査中に病気になる率が非常に高くて、あまりに治らないとそのままカイロに送り返すことになるのですが、アラビア語もろくに話せないと、ひとりで列車に乗って帰る事もままならず、結局他の隊員に迷惑をかけてしまうことになります。発掘調査期間中は結構ぎりぎりのスケジュールでやっていますから、世話が必要な病人がでると、スケジュールを引っ張ります。世話を焼かなくてよい病人ならよいのですが、すべて一人で解決できるようになるには、やはり大学院生以上でなければ無理なのです。
 それから、発掘作業に参加したいと思う学生さんは、それなりに自分の特技を持っておいてくださいね。もちろん、発掘作業にかかわることですが、たとえば「測量・実測」ができるとか、「保存修復」の専門知識があるとかです。何もできない学生さんを参加させるほど余裕のある発掘隊は無いので、事前に役に立つ技能を身につけておいてください。
 発掘調査の申請は実際の調査期間の半年以上前にエジプト政府に提出しておく必要があります。ですから、発掘調査直前になって「調査に参加したい。」と申し出を受けても、その時点ではもう人員の調整は終わっていますから、無理です。参加する意志があるならば、少なくとも調査の1年前くらいには名乗りをあげて審査を受けてください。


 
     
著者略歴
   
 

山花 京子
(やまはな きょうこ)

 1965年生まれ。シカゴ大学大学院人文学部修士課程修了(MA)。東海大学文学博士(論文)。専攻は、エジプト学。
 現在、慶應義塾大学文学部史学系民族学考古学専攻講師、東海大学文学部歴史学科考古学専攻講師、東海大学文学部アジア文明学科講師。主な業績として主な業績として、“Four New Kingdom vitreous artifacts of Amenophis III from Nariwa Museum: A tentative interpretation of Synchrotron Radiation X-ray fluorescence Analysis,” ORIENT, vol. XLIII(2008)、『初めての古代エジプト――新王国時代編――』(星雲社、2009年)、「古代エジプトでの地中海文化の受容――ギリシア・ローマ時代の浮彫付壺の文様変遷を追う――」(共著、『日々の考古学2』東海大学文学部考古学研究室編、六一書房、2009年)ほか。

 

 

 
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