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ウェブでしか読めない
 
オリジナル連載

福沢諭吉の出版事業 福沢屋諭吉
〜慶應義塾大学出版会のルーツを探る〜

第5回:「福沢屋諭吉」の営業活動(その2)
 

目次一覧


次回 第4回
「福沢屋諭吉」の営業活動(その1)

次回 第6回
「福沢屋諭吉」の営業活動(その3)

本連載は第40回を持ちまして終了となりました。長らくご愛読いただきありがとうございました。

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世界は広し万国は、おほしといへど大凡(おおおよそ)、五(いつつ)に分けし名目(みょうもく)は、亜細亜(アジア)、阿非利加(アフリカ)、欧羅巴(ヨーロッパ)、北と南の亜米利加(アメリカ)に、堺(さかい)かぎりて五大洲、大洋洲は別にまた、南の島の名称(となえ)なり。土地の風俗人情も、処変(ところかわ)ればしなかはる。その様々(さまざま)を知らざるは、人のひとたる甲斐(かい)もなし。学びて得べきことなれば、文字(もんじ)に遊(あ)そぶ童子(わらわべ)へ、庭の訓(おしえ)の事始(ことはじめ)、まづ筆とりて大略(あらまし)を、しるす所は〔後略〕


 上記の文章は、前回とりあげた『世界国尽』(せかいくにづくし)「巻の一」の本文冒頭部分である。ぜひとも一度音読して、律動的な七五調の文章を目と口と耳で味わっていただきたい。


 今回は前回に引き続き、この『世界国尽』をめぐる「福沢屋諭吉」の営業活動を追いかけてみることにしよう。いつものように、史料として引用する福沢書簡は適宜現代風に改め、今回の主題と特に関係の薄い部分は省略した。興味のある方は、出典(慶應義塾『福沢諭吉書簡集 第一巻』岩波書店 2001年)をご覧いただきたい。


 最初は、明治3年1月22日付の九鬼隆義(くき たかよし)宛福沢諭吉書簡から。


〔前略〕『世界国尽』を出版いたしましたので、一部差し上げます。おひまな時にご一覧下さればありがたく思います。この本もご必要でございましたら、ご注文をしていただきたく、部数に従い価格を割り引きたいと思います。〔後略〕


 前回の柏木そう蔵(かしわぎ そうぞう)宛福沢書簡と同じく、“大量購入割引制度”によって出版したての『世界国尽』を精力的に売り込む「福沢屋諭吉」の営業活動の様子が読み取れる。相変らず腰は低い。


 宛名の九鬼隆義は、摂津三田藩(せっつさんだはん)の最後の藩主となった人物で、明治2(1869)年の版籍奉還の後は三田藩知事を勤めていた。この三田藩九鬼家は石高3万6千石(ちなみに福沢諭吉が仕えた中津藩奥平家は10万石)で、明治4(1871)年の廃藩置県による三田県を経て、現在は兵庫県三田市にあたる。幕末維新期において先進・開明的な藩政改革を進め、軍事面では安政年間に洋式軍事調練・洋式兵制の採用と、教育面では慶応年間に藩校での洋書講義と藩士のための英語学校開校などが知られている。九鬼自身も、新政府に先んじて廃刀令を主張して藩士に断髪と洋装化を勧め、ワインや洋食を好み、何と自らパンや洋菓子を焼いて福沢に送ったこともある“ハイカラ大名”であった。


 それでは、一体どのようなきっかけでこの九鬼と福沢との間に親交が生まれたのであろうか? 両者の仲立ちとして浮かび上がってくるのが、川本幸民(かわもと こうみん)という人物である。川本は三田藩の藩医の家に生まれ、藩校造士館で学んだ後、藩命により江戸に遊学して蘭学を学んだ。マッチやビールの試作をはじめ、銀板光画による写真術など西洋理化学の紹介と実用化に尽力した。薩摩の島津斉彬(なりあきら)の知遇も得る一方で幕府に登用されて、安政3(1856)年に蕃書調所(ばんしょしらべしょ)に入り、安政6(1859)年に蕃所調所教授となった。翌万延元(1860)年には福沢が幕府翻訳方として雇われるので、おそらくここで川本と福沢は出会ったことであろう。その後の川本は洋書調所(ようしょしらべしょ)の教授を経て、明治元(1868)年に辞職、帰郷して蘭英学塾を開いた。この川本が九鬼と福沢を結びつけた可能性は、かなり高いものと思われる。


 さて、先進・開明的な三田藩知事九鬼の人柄にすっかり惚れ込んだ福沢は、ある大きな期待を持って積極的に親交を深めていく。その福沢の思いとは一体? そして『世界国尽』の売り込みの結果はいかに? 続きはまた次回以降のお楽しみに…。

 

 

写真1 九鬼隆義 『三田評論』2006年3月号 59頁
写真2 川本幸民 『蘭学者川本幸民』神戸新聞総合出版センター 2004年 表紙  
著者プロフィール:日朝秀宜(ひあさ・ひでのり)
1967年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学。専攻は日本近代史。現在、日本女子大学附属高等学校教諭、日本女子大学講師、慶應義塾大学講師、東京家政学院大学講師。
福沢についての論考は、「音羽屋の「風船乗評判高閣」」『福沢手帖』111号(2001年12月)、「「北京夢枕」始末」『福沢手帖』119号(2003年12月)、「適塾の「ヲタマ杓子」再び集う」『福沢手帖』127号(2005年12月)、「「デジタルで読む福澤諭吉」体験記」『福沢手帖』140号(2009年3月)など。

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