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マリリン・ヤーロム 特別寄稿

『<妻>の歴史』 特別寄稿 

日本語版に寄せて

マリリン・ヤーロム

 

 


『<妻>の歴史』の紹介
      



日本語版に寄せて
      マリリン・ヤーロム



<妻>たちを参照する
      林ゆう子

『<妻>の歴史』は3月下旬刊行予定です。

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  筆者がスタンフォード大学女性代表団の一員として一九八七年に初めて日本を訪れた当時、日本と合衆国には互いに学ぶべきところが多くあったように思う。強い家族の絆と確固たる労働倫理があった日本は、伝統的な安定を身をもって示していた。経済の見通しは明るく、家族の未来もまた明るかった。

 

  その頃の合衆国は、個人の暮らしや職場における男女の関係のとらえ方を変えつつあったジェンダー革命の真っただ中にあった。米国人の多くは、この変化が究極的には女性のみならず男性や子どもにも恩恵をもたらし、より大きな正義を実現させるものだと信じていた。

 

 こんにち、私たちの二つの国は、かつてほど楽観的ではない。両国とも、結婚の破綻や家族の崩壊、それに高齢化社会における介護といった、大きな社会問題に取り組んでいる。二〇〇五年、日本では人口調査が始まって以来初めて、死亡者数が出生者数を上回った。この人口減が示しているのは、「将来を悲観する見方の蔓延」であり、そのために多くの若者が結婚や出産を遅らせるか、結婚も出産もしないでいる(二〇〇五年一二月二四日付ニューヨークタイムズ紙)。日本人男性の平均結婚年齢は三〇、日本人女性は二八となっている。米国人の場合、それぞれ二七と二五である。

 

  多くの日本人女性が、結婚を先送りにするか、結婚はしないという選択、あるいは、子どもは一人だけにする選択をしつつあるが、その裏にあるのは、既婚女性、子どものいる女性、年齢の高い女性に対する職場における差別である。合衆国とは異なり、日本ではエントリー・レベルを越えるポジションの女性への開放において大きな前進は見られていない。筆者の知る限りにおいて、日本人女性には今も、いったん結婚したら職場を去って家庭に入ることが期待されている。

 

 第二次世界大戦前の合衆国における中流から上流の家庭ではこうした姿が一般的であった。しかし、一九五〇年代、六〇年代、七〇年代に少しずつ、家の外で働く妻たちが増え、米国社会の構造を変え始めた。一九八〇年代と九〇年代までには、家族は経済的に生き残るために夫婦双方の収入に頼るようになった。家計への貢献を余儀なくさせられている女性たちは今、パートナーである男性たちに家事と子育てへの参加を期待している――が、こうした仕事はすべての男性が行っているわけでも、妻たちの満足が得られるまで十分に行われているわけでもない。この新たな平等主義的結婚モデルは、足をばたつかせ泣き喚きながらこの世に生まれてきて、いくつかの厄介な問題に目を向けるよう促している。

 

  日本人女性同様、現在は米国人女性も、結婚を遅らせ、子どもの数を減らし――一人が産む数は約二人――つつある。第一子の約四割は婚外子であり、結婚の四八%は離婚に終わると試算されている。離婚、晩婚化、それに性別によって異なる寿命(男性は約七四歳、女性は約八〇歳)のために、相当期間を独りで暮らす人が増加している。

 

  それでも夫婦になることを希求する気持ちは衰えていない。人々は心の通じ合うパートナー、ソウルメイトを求め続け、互いを永遠に愛すと誓い続けている。驚くべきことに、米国人の九割以上が一生のいずれかの時点で結婚にこぎつけているのだ。本書は、我々がいかにしてこの悩ましい時代に至ったのかを理解し、そして結婚の価値を――それがどんなに破壊の脅威に直面しているにせよ――確認しようという、筆者の試みである。

 


 

 

 
著者プロフィール:マリリン・ヤーロム(Marilyn Yalom)

スタンフォード大学女性・ジェンダー研究所上級研究員。ジェンダー問題に対する長年の業績が認められ、1992年フランス政府より「フランス政府教育功労賞」を受賞。著書に『乳房論』(筑摩書房)、Blood Sisters: The French Revolution in Women’s Memory, Maternity, Mortality, and the Literature of Madnessなどがある。

 

 

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