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雷文化論  立ち読み

『雷文化論』  

序章 雷文化論への試み(抜粋)

 

妹尾堅一郎
 
 


   本書は、雷という自然現象を文化の側からとらえた論考を集めたものである。題して『雷文化論』という。自然現象としてのカミナリに関する研究書は数多あるが、その文化的側面に着目した研究書はおそらく世界でも初と言えるだろう。

文芸からポップカルチャーまで〜文化の中の雷〜 

 我々と雷との関係は深い。
 例えば、雷に関連する言葉は、「地震、雷、火事、親父」から始まって「電光石火」「青天の霹靂」「付和雷同」「雷を落とす」まで、すぐにいくつも思い浮かべることができるであろう。格言・成句としては「雷が鳴ったらくわばらくわばらと言いながらへそを隠し、蚊帳へ入れ」「雷に桑酒を強いる」「雷が鳴ると梅雨があける」等々、これまた列挙できるに違いない。
 さらに、雷が井戸に落ちて和尚さんに叱られ、以後雨を降らす約束をさせられたと言った民話も、バリエーションはあるにせよ、多くの地域で聞くことができるだろう。あるいは類似した説話を基にした狂言『雷』を思い浮かべる人もいるかもしれない。これらに比べれば、菅原道真の怨霊が霹靂(へきれき)を飛ばして都を恐怖に陥れた話や、それを救おうとする陰陽師との闘いは陰影の濃い物語となる。

(中略)

雷は文化ごとにどのように意味づけられているか〜本書の基本的設問〜

 雷は怖い。その雷鳴に恐れおののいた経験を誰もが持っているはずだ。それはそうだ、昔から地震・カミナリ・火事・親父″というではないか。しかし、稲妻(稲光)は時として恐怖を忘れさせるほどの美しさで天空を翔ける。イカズチは時として寺社仏閣を壊し、焼き払い、怨霊の恐ろしさを見せつけるが、しかしその一方で雨を伴い、雨水は田畑に多くの恵みをもたらす……、日本人ならば誰でもよく知っている雷の強烈な力への畏れと恩恵への感謝である。

 では、この感覚は世界各地の異なる文化の中でも同じなのだろうか。あるいは、地域のみならず時代によっても異なるのだろうか。芸術の中にはどのように描かれているのであろうか。さらには、地理や歴史の観点から見たらどうなのだろうか。
 日本を含め、世界各地の多様な文化の多様な側面において、雷はどのように意味づけられているのか……。本書はそんな素朴な疑問を基に編まれた。
 実際には、編者・妹尾がプロデューサを務め、毎年三月に山形県鶴岡市にある慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパス/東北公益文科大学鶴岡サイトにおいて開催している「雷サミット」にお招きした人文系の研究者の方々の講演を基にしている。このサミットは、お陰様で二〇〇七年三月には第六回を迎えた。本書は、第一回(二〇〇二年)から第四回(二〇〇五年)までに行われた講演・講話のうち、日本と世界各地の雷にまつわる文化論を選んで整理した。

 (中略)

 なお、本書は日本に関する論考から始まり、中国から中東・欧州・カリブ海を経て再び日本へ戻ってくるように構成した。しかし各論考は、それぞれ独立しているので、最初から読み始めるも良し、興味のある章から読んでいただいても構わない。テーマの切り口や語り口も、また文章の文体や分量もそれぞれ研究者によって異なる。今回、これらの違いについて、あえて統一しなかった。それこそ執筆者の書き方自体に、研究者の関わる研究分野の文化が色濃く出ているようにも感じたからである。読者はその辺りも楽しんでいただければと思う。



 
編著者プロフィール:著者プロフィール妹尾堅一郎(せのお けんいちろう)

1953年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。英国国立ランカスター大学経営大学院博士課程満期退学。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授等を経て東京大学先端科学技術研究センター特任教授(知財マネジメントスクール校長役)。研究領域は問題学・構想学、知財マネジメント/技術経営等、実践領域は先端人財育成、産学連携・学術事業プロデュース等。

 

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