イスラームにシーア派という宗派が存在すること、そしてその宗派に属す人々が、イラン、イラク、レバノンなどに居住していることは、おそらくかなりの日本人の認識するところになっているのではないだろうか。核兵器への野心を持っているのではないかという「国際社会」の懸念にもかかわらず頑なに核開発を推し進めるイラン・イスラーム共和国の国教として、サッダーム・フサイン政権崩壊後の混乱状況の中で政治的に台頭してきたイラクの多数派の名前として、圧倒的な軍事力を誇示するイスラエルに正面切って啖呵を切るレバノンの民兵組織ヒズボラの標榜する宗派として、「シーア派」という言葉は、しばしばニュースで言及される身近な存在となっている。
しかし、そのシーア派とは一体どのような宗派なのか、シーア派の信徒は何を信じていて、そのどこがスンナ派と違うのか、という様に、少しでもシーア派の内実に関わる問いを発してみるならば、どうであろう。すると、言葉の表面的な身近さとは裏腹に、ほとんどの日本人がこの宗派の姿をほとんど知らないこと、そして、仮に知ろうとしたとしても、日本語でアクセスが可能な適当な情報源がほとんど存在しないことが理解されるであろう。
本書は、このような、言葉の一人歩きとでも言うべき状況を少しでも是正するために訳出・刊行されるシーア派の概説書である。そしてその特徴は、そこで展開されるシーア派理解が徹頭徹尾内在的なものであること、すなわち、本書が、シーア派のいわゆる聖職者によって描き出された「自画像」であるところに求められる。読者は、本書を通じて、(著者がこうあるべきと考える)シーア派信徒が何を信じ何を考えているのかを、シーア派信徒自身の言葉によって知ることができるはずである。その内容をどのように受け取り消化するかはもちろんそれぞれの自由である。まずは頁を繰っていただき、ナマのシーア派の声を聞いてみていただければ、訳者としては本書訳出の目的を十二分に果たしたことになる。
では、ともに姿勢を正して、黒いターバンを巻き白い髭を生やした碩学、セイイェド・モハンマド=タバータバーイー師のお話を承ることにしよう。
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