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遠藤周作  イベント情報

「没後15年 遠藤周作展―21世紀の生命のために―」
開催記念 朗読会

 

遠藤周作『侍』を読む 

 

 

朗読・トーク 石坂浩二(俳優)
聞き手 加藤宗哉(作家、「三田文学」編集長)
 
  

『遠藤周作』(加藤宗哉 著)
 立ち読み〜序章 女運

『遠藤周作』 書籍詳細ページヘ




没後15年

「遠藤周作展」

21世紀の生命(いのち)のために

2011年4月23日〜6月5日
県立神奈川近代文学館

遠藤周作の生涯と文学を日記、書簡、原稿などの肉筆資料でたどるとともに、混迷する21世紀を生きる私たちへ、時代を超え遠藤が投げかけるメッセージの意味を改めて問います。

▼概要はコチラ
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 遠藤周作展が4月23日(土)から県立神奈川近代文学館でいよいよ始まります。展覧会の開催記念として、去る4月14日(日)に『はまぎんホール ヴィアマーレ』にて行われた朗読会の模様をお知らせいたします。

 500名近い来場者でホールは満席の盛況の中、朗読会は始まりました。『侍』は史実を下敷きにした物語です。遠藤は執筆に先立ち牡鹿半島の月ノ浦(侍が出航した港)や旧支倉村を訪れ、メキシコの東西横断旅行、ローマなどへの取材を重ね約5年の歳月をかけて書き上げました。
 
 支倉常長は、実に7年もの間異国を旅していました。今の感覚でさえ7年というのは非常に長い時間です。当時の南米、欧州などはまさに異次元空間でしょう。お役目とはいえ、当人の心は想像するのが難しいです。
 
 今回の朗読会では、物語の中で大切な6場面を石坂氏が朗読し、その合間のストーリーを加藤氏との対談で埋めていくという構成でした。

 


場面1 侍の故郷の情景 (頁表示は新潮文庫、第33刷り)
第1章 11頁〜12頁


【朗読】
 時折、侍は長男の勘三郎をつれて家形の北方にある丘陵に登ることがあった。

≪中略≫悲しいほどあわれな土地。押し潰されたような村。(ここが……わしの土地だ)自分たちが一生離れることがない土地。春になると海を越えて異国へ去っていく首の長い白い鳥が羽ばたきをしている……

 その鳥を眺めるたび侍は、彼らが自分の生涯訪れぬ国を知っているのだなと、ふと思うこともあったが、羨む気はあまりなかった。


【対談】
・東北の持つ侘しさ、寂寥感、そして我慢強さが表れている。貧しい土地なのだが、侍はこの土地に愛着を持っていて、「ここが俺の土地だ」というセリフが度々出てくる。この小説に出てくる支倉常長は身分が低い設定で、登城する資格もなく、領民と共に薪を集めたりしている。

・史実もこの小説の通りだったのではないか。今の歴史は明治になって美化されて作られたものが多い。この時代に、自分の藩の身分が高い侍を欧州へ派遣するとは思えない。

 

 


場面2 月ノ浦から旅立った一行がノベスパニア(メキシコ)で日本人の元修道士と出会う
第5章 176頁〜177頁


【朗読】
 「もう」と侍はたずねた。「日本の故郷には戻らぬのか」
  元修道士は寂しそうに笑って、
 「身内もございませぬ。戻っても、迎えてくれる者もありませぬ。」

≪中略≫ノベスパニアにはむごい事があった。インディオは南蛮人たちに土地を奪われ、故郷を追われ、惨たらしく殺された。しかし遅れて来たパードレはインディオの苦患を見て見ぬふりをする。そこに元修道士は嫌気がさすと同時に、インディオの中にイエスがいるような気がした……

 長い間、黙って溜めていたものを一気に吐きだすこの元修道士を、侍はまるで遠いものを見るように眺めていた。


【対談】
・この修道士は大切な役。彼は九州出身で両親を亡くし、マニラの神学校へ行くが、欧州の神父と合わずにノベスパニアへ移る。しかしここでも虐げられたインディオのことを無かったかのようにする神父に疑問を持ち、修道士の地位を捨て、インディオと共に生活をしている。
「ロバの目をした男」という表現で、作者はこの元神父にイエスを重ねている。このあたりから侍は自分の運命などを考えるようになる。
・小説を読んでいると、この元修道士の存在が感じらない。この村に来る前に、使節の商人たちが「儲かるなら」という理由で洗礼を受けている。それを見ながら、侍はキリストについて考え始めている。元修道士は侍の中の心象風景で、侍の自問自答のような気がする。
・元修道士はキリストを表現しているのだから、それは侍の心の中の出来事と言えるかもしれない。

 


場面3 ローマ法王パウロ5世に謁見を直訴する場面
第8章 304頁〜305頁



【朗読】
  東洋人だった。しかしどこの国から来たのかわからぬ。いずれも足まで達する下衣をつけ、その足には白いみじかい靴下のようなものをはき、異様なサンダルをつけている。法王はその一人が何かを訴えているのは理解されたが、その言葉がおわかりにならない。

≪中略≫法王はこの男たちが何かを必死で求めているのを感じ、その願いを聞きたかった。この場で日本語を知っているのはベラスコしかいない。だが彼は口を開かなかった……

  ベラスコの心に一つの声が囁いた。(あなたがたにはこの日本人たちの悲しみはわからぬ。あなたがたにはあの日本で戦った私の悲しみはわからぬ)復讐にも似た感情が、彼の口をかたく閉ざさせていた。

【対談】
・ここからベラスコの意識が変わってくる。もともと彼は野心家な一面を持った宣教師で、キリスト教信者を増やし、日本の大司教の座を夢見ていた。しかし旅の中で心が変わっていく。
エスパニアで国王の謁見を前に、日本での布教の可能性に信憑性を持たせるため、侍は洗礼を受けた。しかしその直後に新教国イギリスが日本と交易を行うこと、政宗が幕府への恭順を示すために領内で切支丹への弾圧を始めたことを知り、侍たちの旅の目的は無になってしまう。
・それでもお役目の為にと侍たちはローマを目指す。ベラスコが日本人の悲しさに触れて変わっていく。

 


場面4 帰途のメキシコで元修道士と再会
第9章 340頁〜341頁



【朗読】 
「だがな、俺にはどうしても」と侍は申しわけなさそうに呟いた。「お前のようにあの男を思うことはできぬ」

≪中略≫本当にそうですか? と憐れむように元修道士は侍を見つめる。泣く者、歎く者は、いつもあの方を求める。あの方はそのためにおられる。いつかお分かりになると。「何か、故郷に申し伝えることはないか」と問う侍に「ございませぬ。私はやっとおのれの心にあわせてあの方の姿を掴むことができました」……

  馬上からふりかえると、インディオたちが土塊のように固まり、まだこちらを見送っている。そのなかに襤褸衣の元修道士が身じろぎもせず女に支えられているのが見えた。

【対談】
・ローマ法王への謁見は叶ったが、それは形だけの無意味なものになってしまった。空しく帰国の旅を続ける一行に幕府の厳しい切支丹弾圧の知らせが届く。そして一行の中に自殺者が出てしまう。そんな時に元修道士と再会する。イエスの存在が色濃く表れている。

 


場面5 侍が帰国した場面
第10章 377頁〜379頁


【朗読】
 「俺は形ばかりで切支丹になったと思うてきた。今でもその気持ちは変わらぬ。だが御政道の何かを知ってから、時折、あの男のことを考える。なぜ、あの国々ではどの家にもあの男のあわれな像が置かれているのか、わかった気さえする。」


≪中略≫人間は心のどこかで生涯共にいてくれる裏切らぬものを求めている。それが病みほうけた犬でもいい。あの男はそのような哀れな犬にもなってくれる。そして、侍はこの時ずっと供をしていた下男の与蔵が切支丹であることを知る。7年間の旅の後で戻ってくるのはこの貧しい村しかない。しかしそれでいいと侍は思う。どこでも人間は変わりなかった……

  このあわれな谷戸とひろい世界とはどこが違うのだろう。谷戸は世界であり、自分たちなのだと侍は与蔵に語りたかったが、うまく言えなかった。

 


場面6 侍の最期
第10章 404頁〜405頁


【朗読】
  時々、藁ぶきの屋根から重みに耐えかねた雪が滑り落ちる音がする。その鈍い音が消えると、静寂は更に深まった。


≪中略≫寄親の石田は「お前の悔しさはこの老人が誰よりわかっておる」と言い、役人は「お役目とは申せ、辛うござる」と言う。最後に侍は与蔵を呼んでくれと用人に頼んだ。与蔵は雪の庭に正座してうつむいていた。侍が去ろうとするその時……


 「ここからは……あの方がお供なされます」
  突然、背後で与蔵の引きしぼるような声が聞こえた。
 「ここからは……あの方が、お仕えなされます」
  侍はたちどまり、ふりかえって大きくうなずいた。そして黒光りするつめたい廊下を、彼の旅の終りに向かって進んでいった。


【対談】
 ・「この一行のためにこの小説を書いた」と後に遠藤は語っている。
 ・与蔵は侍のそばに最初からずっといるが、書かれていない。そしてここではじめて侍の心を受け止める。
  遠藤文学というのは、『侍』だけに限らず「自分の中の宗教」というものに気が付かされる。宗教は人から与えられるものではなくて、生まれた時から自分の中に持っているものだと思う。

 


【年譜】


1613年

10月 支倉常長(小説中では侍、長谷倉六右衛門)は藩主・伊達政宗(殿)の命を受け、宣教師ソテロ(べラスコ)、スペイン人大使ビスカイノら180人以上とバウティスタ号で牡鹿半島の月ノ浦を出発。慶長遣欧使節である。
実はこの2年前に仙台領内で大地震があった。その復興資金等を賄うために、政宗はメキシコ、スペインとの貿易を目論んだという説もある。

1614年

1月 使節一行はアカプルコに入港。2か月間メヒコに滞在し6月にスペイン艦隊に乗って出港。ハバナ経由でスペインに向かう。
10月 スペイン南部のサン・ルカルに入港。セビリアに向かう。セビリア臨時市議会で使命を述べる。
12月 マドリッドに入る。
(日本ではキリシタン大名・高山右近や大部分の宣教師がマニラやマカオに追放されている)

1615年

1月 使節一行はスペイン国王フェリペ3世に謁見。
2月 フェリペ3世臨席のもと常長が洗礼を受ける。
8月 マドリッドを出発。
10月 ローマに到着。
11月 法王パウロ5世に謁見

1616年

1月 使節一行はローマを出発。
4月 マドリッドに到着。
(日本では徳川家康が没する。外国船の寄港が平戸・長崎に限定される)

1617年

4月 常長はセビリアにてフェリペ3世に通商の許可を願う書状を書く

1618年

8月 常長、ソテロらはメキシコに戻る。その後、バウティスタ号でフィリピンのマニラに到着。
1620年
9月 常長はソテロをマニラに残して帰国。この頃、政宗は領内にキリシタン禁令を発する。キリスト教徒への迫害が激化する。

1622年

7月 常長死去
10月 ソテロがマニラから薩摩へ潜入しようとして捕縛される。
11月 ソテロは政宗に牢獄から書状を書く。

1624年

7月 ソテロが大村(現長崎県大村市)の放虎原で火あぶりにされ死去する。

 


朗読会に参加して


 6つの場面の選び方の巧みさと場面をうまくつなげていく対談、そして石坂氏の声だけで世界を創り上げてしまう程の深い理解と雰囲気。舞台演劇を見終わったような気持ちになりました。


 遠藤周作展は県立神奈川近代文学館で4月23日(土)から6月5日(日)まで開催されます。

 
 「侍」の草稿、支倉常長に関するメモなど作品にまつわる展示物。そして対談でも言われた遠藤文学に書かれる「ひとりひとりが持っている自分の中の宗教」。今回の展示で初公開の遠藤と先輩にあたる堀田善衛の書簡。遠藤周作の人生と作品を幼年時代から晩年までご覧頂けます。

 五月、陽光柔らかな横浜、港の見える丘公園に佇む神奈川近代文学館へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

没後15年「遠藤周作展」
――21世紀の生命(いのち)のために――

2011年4月23日〜6月5日
県立神奈川近代文学館

遠藤周作の生涯と文学を日記、書簡、原稿などの肉筆資料でたどるとともに、
混迷する21世紀を生きる私たちへ、時代を超え遠藤が投げかけるメッセージ
の意味を改めて問います。

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著者プロフィール:著者プロフィール加藤 宗哉(かとう むねや)

作家。1945年生れ。慶應義塾大学経済学部卒。慶應義塾大学文学部非常勤講師、東京工芸大学芸術学部非常勤講師。1997年より「三田文学」編集長。学生時代、遠藤周作編集の「三田文学」に参加、同誌に載った小説が「新潮」に転載され、作家活動に入る。著書に、『モーツァルトの妻』(PHP文庫、 1998年)、『遠藤周作おどけと哀しみ――わが師との三十年』(文藝春秋、1999年)、『愛の錯覚 恋の誤り――ラ・ロシュフコオ「箴言」からの87 章』(グラフ社、2002年)ほか。

 

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