『悲しみにある者』(ジョーン・ディディオン 著、池田 年穂 訳)
 
▼NEWS
2012.01.23 本書の訳者、池田年穂氏の特別寄稿「さよなら、ジョン。そして、さよなら、クィンターナ。」を掲載中です。
      ぜひご覧ください。
2012.01.22 『悲しみにある者』の続編『さよなら、私のクィンターナ』刊行!
2012.01.06 読売新聞(12/26)で、『悲しみにある者』が河合香織氏、今福龍太氏より「今年の3冊」選定いただきました。
2011.10.20 新潟日報、神戸新聞、愛媛新聞、佐賀新聞、沖縄タイムスの書評欄にてご紹介いただきました!
      続編 『Blue Nights』 もまもなく米国で刊行予定。

2011.10.18 慶應大学 三田生協の人文書コーナーにて、『悲しみにある者』を大展開いただきました!(様子はこちら)
      そして隣には『親の家を片づけながら』(リディア・フレム著、ヴィレッジブックス)が並びました。

2011.09.13 本よみうり堂 ■トレンド館「夫や妻との死別つづった本」としてご紹介いただきました。
2011.08.11 訳者の池田年穂 氏による特別寄稿「「悲しみにある者」に捧ぐ――3.11を超えて――」を掲載中です。
 
2005年度の全米図書賞も受賞し、 全米大ベストセラーになった珠玉のノンフィクションである。
   
『悲しみにある者』(ジョーン・ディディオン 著、池田 年穂 訳)
 

悲しみにある者

    
 
    
ジョーン・ディディオン 著
池田 年穂 訳
    
四六判/上製/250頁
初版年月日:2011/09/20
ISBN:978-4-7664-1870-5
定価:1,890円
  
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愛する者の死は、突然、訪れる。

 

年連れ添った夫、ジョン・ダンの突然の死。


生死の淵を彷徨う、一人娘、クィンターナ。

 

本書は、一人の女性作家が、夫を亡くした後の一年間と一日を描くノンフィクションである。近しいひと、愛するひとを永遠に失った悲しみと、そこから立ち直ろうとする努力についての心の物語である。

   
ジョーン・ディディオンは、夫を亡くした後の一日一日を、時に率直に心情を吐露し、時に冷静に自己と周囲とを観察する。フラッシュバックのように回想が挿入されるかと思えば、文献渉猟の成果が生のまま紹介され、脳裡に甦るさまざまな詩や小説や映画に慰められるかと思えばクィンターナを巡っての医師との攻防がシニカルに描かれる。
   
いずれ誰かを失うことの意味、他者の死を悼むことの意味を深く問いかける本書は、ディディオンの筆力にテーマの普遍性も相俟って、2005年度の全米図書賞も受賞し、全米大ベストセラーになった珠玉のノンフィクションである。
   

原作は、累計200万部のベストセラー、The Year of Magical Thinking, Alfred A. Knopf, 2005.

   
   
 
   
   
現代のアメリカを代表する作家、ジョーン・ディディオンによる、6年ぶりの書き下ろし作品。
   
さよなら、私のクィンターナ
 

さよなら、私のクィンターナ

    
 
    
ジョーン・ディディオン 著
池田 年穂 訳
    
四六判/上製/208頁
初版年月日:2012/01/19
ISBN:978-4-7664-1908-5
定価:1,890円
  
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『悲しみにある者』の続編がついに。

思い出は慰めにはならない。

▼現代のアメリカを代表する作家、ジョーン・ディディオンによる、6年ぶりの書き下ろし作品。前著 『悲しみにある者』 では、夫、ジョン・グレゴリー・ダンの死が焦点となったが、今作では、娘、クィンターナの死をメインテーマとしている。

▼クィンターナ、そして自らの幼年期の記憶、結婚生活の記憶が豊かに織り込まれた本書において、ディディオンは、子を持つこと、子を失うこと、親であること、病、老い、そして、死、それらすべてに対する彼女自身の恐れについて、深い洞察を展開する。

 
▼本書の訳者、池田年穂氏の特別寄稿「さよなら、ジョン。そして、さよなら、クィンターナ。」を掲載中です。
 ぜひご覧ください。
 
   
   
著者略歴
   
  
 

Joan Didion
(ジョーン・ディディオン)

1934年カリフォルニア州サクラメント生まれ。現在ニューヨーク州在住。1956年UCバークレー校を卒業後、『ヴォーグ』誌の編集に携わる。処女小説 Run, River は1963年に出版された。1964年に作家のジョン・グレゴリー・ダン(1932年−2003年)と結婚。1966年に生後間もないクィンターナを養女にする。初のノンフィクション Slouching Towards Bethlehem は1968年に出版された。小説、ニュージャーナリズム、映画脚本、書評、新聞・雑誌への寄稿など、ジャンルを問わず旺盛な作家活動を続ける。代表作に、小説としてPlay It As It Lays (1970年)、A Book of Common Prayer (1977年)、Democracy (1984年)、The Last Thing He Wanted (1996年)、ノンフィクションとしてSalvador (1983年)、Miami (1987年)、After Henry (1992年)、Where I Was From (2003年)などがある。邦訳された作品も数多い。本書 The Year of Magical Thinking (2005年)で全米図書賞(ノンフィクション部門)を受賞。自ら戯曲化した芝居(初演は2007年)も大成功を収めた。ハーヴァード、イェール両大学から名誉博士号を受けている。本年11月には、話題となっている Blue Nights がいよいよ刊行される。
  
 

池田年穂
(いけだ としほ)

1950 年横浜生まれ。慶應義塾大学文学部、同文学研究科修士課程修了。現在、慶應義塾大学教授。専門は移民論、移民文学。主な訳書に、ゴードン・S・ウッド『ベンジャミン・フランクリン、アメリカ人になる』(慶應義塾大学出版会、共訳)、エミー・E・ワーナー『ユダヤ人を救え!――デンマークからスウェーデンへ』(水声社)、ジェームズ・ウォルヴィン『奴隷制を生きた男たち』(水声社)(いずれも2010年刊行)などがある。
   
     
脇田玲氏による特別寄稿
   
 

「悲しみにある者」に捧ぐ――3.11を超えて――

   

池田年穂(慶應義塾大学教授)

   

 本書『悲しみにある者』は、高名な女性作家ジョーン・ディディオン(1934年〜)が夫と死別した後の一年間と一日を描いたノンフィクションである。ディディオンが40年間連れ添ったやはり高名な作家ジョン・グレゴリー・ダン(1932年〜2003年)は、夫妻の一人娘であるクィンターナが生死の境をさまよっているさなかだというのに、突然の心臓発作で亡くなった。本書は、愛する者を永遠に失ったディディオンの悲しみと、そこから立ち直ろうとする努力についての物語である。

 

 普遍的なテーマを扱っているとはいえ、読者はここでお涙頂戴の文章を期待してはいけない。ディディオンは、自著の一冊の序文で、“That is one last thing to remember: writers are always selling somebody out.” と述べているようなまさにプロフェッショナルなwriterである。本書では、臨場感あふれる1年と1日の間のできごとと、甘やかなものもあればほろ苦いものもあるが、夫や娘との生活についての回想とが綯い交ぜに叙述されてゆく。原著は全米図書賞をノンフィクション部門で受賞しているが、はて我が国であったなら、どんなジャンルに区分けされたであろうか。

 


 本書の原題は The Year of Magical Thinking である。英和大辞典で調べると、マジカル・シンキングとは「実際には相互に無関係なものの間に関係があると思い込み、一方に働きかけて他方にある種の効果をねらうことができるとする考え方」という意の心理学用語として出てくる。ディディオンほど明晰な人間でも、ジョンの突然の死という喪失を素直に受け容れることはできない。「ジョンを甦らす」というのが、たとえマジカル・シンキングのトリックを使ってでも、ジョンの死後の何ヶ月間かを通してのディディオンの秘められた関心の的だった。

 

 

 ディディオンは、率直に自己の内面を省察し吐露する。また、周囲の人間たちの反応や彼らが自分に向ける期待を鋭い目で観察する。愛する者を失った人間は、ディディオンの内省や観察の中に、たくさんの真実が含まれていると感じ入ることだろう。「それまで私は悲しむことができただけで、哀悼することはできなかったのだ。悲しみ(grief)は受動的だ。悲しみは生じてくる。だが、悲しみを処理する行為である哀悼(mourning)には注意力が必要だ」「たくさんの人が服を寄付する必要について語ってくれた。たいていは善意からの、ただ(結局わかったように)見当違いのかたちでの、私がそうするのを手伝ってあげるという申し出だった。私は嫌だと言い続けた。なぜかはわからない」「悲しみは遠ざかることがない。悲しみには波動があり、発作が起き……突然の不安としてやってくる」「結婚は記憶であり、結婚は時間なのだ。……結婚は時間であるだけでない。結婚はまた、逆説的だが、時間の否定でもあるのだ」。

 


 また、ディディオンは「困った羽目に陥ったなら、読書し、学び、調べ、文献にあたれと、子どもの頃から躾けられていた」。ディディオンは精神医学的なものから文学作品、通俗的な読み物にいたるまで、読書し文献を渉猟する。死別にも「一般的な死別」と「病理的な死別」の二種類があることを知ったのもその成果である。

 

 

 本書の叙述は、時制を自由に行き来する。加えて、すぐれた効果をもたらしているのだがリフレインがきわめて多い。また、ギリシャ悲劇や聖書から始まって、詩や小説といった文学作品、夫ジョンとディディオン自身の旧作中の文章にいたるまで引用が多いうえに、ハリウッドとの関わりが深かったためヒチコック作品や映画人も随所に登場し、サブカルチャー的なものも含め固有名詞が頻出する。アメリカ人であれば、必ずしもハイブラウな読者でなくても、例えば、ジュリア・チャイルド、シドニー・コーシャック、ルイス・ファラカン師、キャサリン・ロス、ドナルド・ラムズフェルドといった数々の有名人の名前に興味を引かれることであろうし、それがアメリカで大ベストセラーとなった所以の一つであることは確かであろう。

 


 今ひとつの本書のテーマはしばしば重篤な状態に陥る一人娘のクィンターナの容態と、繰り返される入退院である。アメリカの医療制度の下では、患者の経済力やコネによって受けられる医療の質が大きく異なっている。勿論、ディディオンは娘のために奮戦する。「困った羽目に陥ったなら、読書し、学び、調べ、文献にあたれと、子どもの頃から躾けられていた」人間として、入門的医学書を頼りに、医師たちとも攻防を繰り広げる。UCLAメディカルセンターからわざわざNYのラスク研究所までクィンターナを空路医療搬送までしてのける。この件りなどはシニカルなヒューマーに彩られている。

 


 素訳に限って言えば、1月26日に始めて3月半ばに終えている。2月に訳者は40年を超える旧友を失った。そして、3月11日には慶應義塾大学出版会の本社で長い大きな揺れを何度も感じた。東北地方太平洋沖地震の揺れであった。

 


 本書を、愛する者、近しい者を失った数多くの方――悲しみにある者――に捧げたい。

 

▼本書の訳者、池田年穂氏の特別寄稿「さよなら、ジョン。そして、さよなら、クィンターナ。」を掲載中です。ぜひご覧ください。
   
 
     
      
      
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 悲しみにある者

1,890円

 さよなら、私のクィンターナ

1,890円

      
      
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