2011年11月に、アメリカ文壇の大御所であるジョーン・ディディオン(Joan Didion, 1936−)の新作 Blue Nights が英語圏で一斉に発売された。やはりディディオンによる、全米図書賞受賞の大ベストセラー The Year of Magical Thinking (2005年)の、続編的な要素の強いノンフィクションである。そのBlue Nights が、2012年1月に、『さよなら、私のクィンターナ』という邦題で出版される運びとなった。
The Year of Magical Thinking は、『悲しみにある者』という邦題で、既に2011年9月に訳書が出版されているが、なだいなだ氏、小池昌代氏を始めいろいろな方にすばらしい書評をしていただいた。『悲しみにある者』では、ディディオンは、同業のやはり高名な作家で40年間も連れ添った夫のジョン・グレゴリー・ダン(John Gregory Dunne)の突然の死(2003年12月30日)からの「1年と1日」――それはまた、一人娘のクィンターナ(Quintana)が4つの病院のICUを出たり入ったりする「1年と1日」でもあったのだが――を、その「1年と1日の最後の89日間」をかけて描いた。切なさと緊迫感と臨場感に満ち、ギリシャ悲劇や詩や小説から医学の文献に至るまで、これでもかとばかりに自在に引用を詰め込んでいた『悲しみにある者』の底を流れていたのは、ディディオンが抱いていた疑問と怒りであった。
そのクィンターナも、2005年には亡くなってしまう。夫ジョンの死からは6年と8ヶ月、娘クィンターナの死からでさえほぼ5年が過ぎた「2010年7月26日」(「今日は彼女の結婚記念日になるはずだった。七年前の今日‥‥‥」)を実質的な書き出しにしている本書『さよなら、私のクィンターナ』では、ディディオンは、「特権と自恃も生命は救えなかった」という諦念と懐旧の情に浸りながら、自らの老いをかみしめて生きる日常を描いている(「この本を書き始めたとき、私は、テーマは子どもたちになるだろうと信じていた。 ‥‥‥ 本当のテーマは、相手の死や病気や、時には老いについてじっくり考えるのを拒むことだったし、確かにやってくる老いや病気や死に面と向かうのができないことだったのだ。‥‥‥ようやく私にも、二つのテーマは実は同じだということが理解できた。死すべき定めという時には、私たちは子どもたちのことを語っているのだ。」)。かいつまんで本書『さよなら、私のクィンターナ』の内容を述べれば、ロサンゼルス近郊とニューヨーク市(NYC)とを背景にして、一人娘の養女クィンターナの死とそこに至るまでの1年9ヶ月余りの闘病生活、嬰児(みどりご)のときからのクィンターナの尽きぬ思い出、子育てに失敗したのではという不安、養子縁組の微妙さや危うさとクィンターナの「生物学的」家族の登場、クィンターナを始めとするたくさんの亡くなった身内や友人・知人への哀悼の念、そして生々しく語られるのは、ディディオン自身に忍び寄り、時に荒れ狂う老い(エイジング)、といったところであろうか。
『さよなら、私のクィンターナ』では、前作と比べて、ディディオンの筆致はずいぶんと穏やかなものになっている。相変わらずのイロニカルなヒューマーや心理のひだに入ってゆく細やかさは変わらず、率直さも失われていないが(「まるで思い出が慰めになるかのように、みんなは後になって言った。思い出はそんなものじゃない。思い出は、過ぎ去りし時間、失せたものを明確にすることで成り立っている。‥‥‥思い出は、もはや思い出したくもないことどもなのだ。」)、本書の底を流れているものは、畢竟(ひっきょう)するところ恐れと嘆きの感覚であろう。
クィンターナを生まれてすぐに養女にしたときからずっと続いていた(ディディオンの側だけでなくアイデンティティの面で苦しんだクィンターナにとっても切実なものであった)喪失や遺棄への恐れ、お互いへの愛情と理解の不足への恐れ、現実にクィンターナを失ってからディディオンが過ぎし日々を回想して気づいたことどもへの嘆き。また、夫と娘とを失った最近のディディオンが抱く、自身の気力と活力が減退することや病気で自立した生活を送れなくなることへの恐れ、自分たちが溌剌としていた時代が過ぎ去ったことやたくさんの近しい者たちがすでに亡くなっていることへの嘆き。それらをディディオンは綴ってゆく。
最後に、原題の Blue Nights について触れておこう。本書の1章にその説明がある。「緯度によっては、合わせても数週間だが、夏至の前後の時期に、薄明(トワイライト)が長く、青くなる時間帯がやってくる……突然に夏が近いと思えてくるのだ。可能性を超えて、約束として」「ブルーナイツの時期が終わりに近づくと…初めて気づく…夏も去ったのだと」「……ブルーナイツは、褪せてゆく輝きとは正反対のものだが、同時にそれへの警告でもあるのだ」。(この「青いたそがれ(ブルーナイト)」は、NYCのような緯度の高い地域でしか見られないので、ディディオンやクィンターナの生涯において大きな意味を持った二つの土地、カリフォルニアとNYCとの対比のうえでも重要な意味を持っている。)そして、29章では、クィンターナの最後の入院の間のある日、ICUを出てきたディディオンははたと気づく。「外の光は、もう青ではなかった」ことに。まもなく訪れたクィンターナの死は、NYCではもはや秋の8月26日であった。
|