第20回 「風雲? 北白川城! ―付:ふたたび休載にあたって」 を公開!
人文研探検―新京都学派の履歴書(プロフィール)―| 菊地 暁(KIKUCHI Akira)
   
 
   
 
   
 

「人文研探検―新京都学派の履歴書(プロフィール)―」
第5回

文学という「場所」、「共同」の夢
―「文学者・桑原武夫」をあらためて考える―


 桑原武夫は「歴史家」であり「フィールドワーカー」であるというのが、これまでの連載で確認した点だった。彼は、具体的事実からの遊離を生理的に嫌悪し、同様に、史的展望なき観察を回避した。素朴に考えると、別に専門を「文学」とせずとも構わないようなところがある。ここで、ではなぜ桑原は「文学者」なのか、あらためて問われなければなるまい。

 

 周知のとおり、桑原は「文学」に向けて、あまたの批判の矢を放っている。いわずと知れた「第二芸術」(1946)は勿論、作家の身辺些事の感傷に矮小化された日本的私小説への嫌悪は「日本現代小説の弱点」(1946)をはじめ、繰り返し表明されている。これらはあくまで「日本」文学批判であり、あり得べき「芸術」の高みから「日本」の現実を糾弾しているという解釈も可能だが、そもそも「文学」自体を否定するかのような発言もないではない。

 

 ノンフィクションは好きである。/小説とどちらが好きか、とは乱暴な問いだが、暴に報ゆるに暴をもって答えれば、目下ノンフィクションの方が好きである。/それでは、なぜ好きなのか。公式的に答えれば、そこに人間の可能性が感じとられるから、ということになるが、正直にいえば、夢見ごこちになれるからだ。小説では夢想にふけりにくい。描かれた女にほれるのは古来バカのたとえとなっている。小説(フィクション)とは作者の夢で、夢の上に夢をきずくことは困難である*1

 

 小説(フィクション)よりノンフィクションの方が好きである。他分野ならいざしらず、「文学者」がこれを語ってしまって良いのだろうか。そう思わなくもないのだが、彼には全く躊躇がない。この率直さに痛く敬服する。

 

 もとより、桑原が文学を読まないわけではない。事実は全く逆で、彼はその生涯を通じて猛烈な読書家だった*2。自ら語るところによれば、幼少時、父・隲蔵に寺町御池の書店・竹苞楼(いまもある)で『通俗三国志』(湖南文山訳)を買い与えられたことを皮切りに、小学時代は京都府立図書館の子供室で放課後を過ごし、中学時代には同級生となった貝塚茂樹の読書家ぶりに刺激されつつ荷風や谷崎を濫読、高校に至り、同級生たちが自分ほど本を読んでいないことに気づいてややペースダウン、今西錦司や西堀栄三郎とともに登山に没頭する日々を過ごすことになった。

 

 フランス文学に関心を持つキッカケとなったのは、中学時代に『近代劇選集』(楠山正雄訳、1920-21新潮社)のなかで読んだ、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』だったという。このあたり、自らが文学なかんずくフランス文学に傾倒してゆく経緯について、桑原はさほど明晰には語らず、むしろ、意図的にはぐらかしている部分があるように感じられるが、ともあれ、彼が作家志望の「文学青年」を経由して「文学者」になったわけではないことは、きちんと確認しておきたい。いわば、「ユーザー」の視点から「文学」を考えているのだ。

 

 もう一つ大切なのは「中国」の存在である*3。読書人生の出発点に『三国志』があることからもわかるように、「中国」は桑原の知的形成を考える上できわめて重要なファクターだ。父・隲蔵の蔵書などによりもたらされる中国の認識は、後に、『日本文化史研究』をはじめとする内藤湖南の作品の愛読につながり、やがて、威勢はいいが根拠に乏しい戦前の日本主義に対して、冷静な距離を保つことを可能にさせた。西洋対日本という安直な二項対立に陥りがちな言論界にあって、日本、フランス、中国の三点から三角測量的に事物を観察し得たことが、桑原のユニークな言論活動を支えたといえるだろう。

 

 その一例が「『三国志』のために」(1942)である。創作における事実の意義、事実における創作の意義を考察した桑原の処女批評集『事実と創作』(1943弘文堂書店)には、アラン、ジッド、スタンダールといったフランス文学をめぐる考察とともに、柳田国男、富岡鉄斎、顧頡剛といった日中の史家・芸術家をめぐる評論が収められている。このなかにあって、前近代の、著者不明の『三国志』を扱った一文はやや浮いた印象を与えるが、その問題意識は他の論考と通底し、巧みに同時代の課題をえぐり出している。

 

 日華事変の始まったころ、日本人は三国志的中国しか知らぬという非難がよく口にされ、私は腹立たしかった。そういうことを軽々しくいう人に、『三国志』でわかることすら知らぬ人が多いのであった。そして私は一民族の理解において、その民族が進んで愛読してやまぬ文学を味読することがどれだけの意味をもつかを考えていた*4

 

 大衆文学、ましてや中国のそれを称揚することが、戦時下にあって反時代的なふるまいだったのは間違いない。帝国日本は、中国の旧弊を打破し、東亜新秩序を樹立すると称して戦っていたのだから。そのような時代にあって、空疎に叫ばれ続けた「民族の理解」の内実を求め、桑原は『三国志』という大衆的古典をあえて取り上げる。ここで注目すべきは、彼が「民族の理解」のために、「その民族が進んで愛読してやまぬ文学を味読すること」を、きわめて重要な課題と認識していることだ。

 

 誤解を恐れずにいえば、桑原にとって文学は、決して「芸術作品」に完結してはいない。それは、その作品を産み出し、享受する人々とともにある、インタラクティブなコミュニケーションの過程として理解される。つまり「文学」は、人々を理解するための特権的な「場所(フィールド)」なのだ。

 

 こうした視点を全面展開したのが『「宮本武蔵」と日本人』(1964講談社現代新書)である*5。「現代日本において最大の普及度をもつ大衆小説」(p.15)たる吉川英治『宮本武蔵』(1935-39)を素材として、現代日本人の意識構造を解き明かそうとする試みだ。『宮本武蔵』というテクストは、武蔵をはじめ、又八、沢庵、吉野太夫など、多様な登場人物のさまざまなエピソードが描かれ、それらはいわば価値観の「百貨店」といった様相を呈している。そこで、読者がどの人物やエピソードに共感し、反発するのか、その読書体験がインタビューによって調査され、その読解と居住地、職業、性別、年齢といったファクターとの相関が考察されるのだ。こうした社会学的もしくはエスノグラフィックなアプローチには、前回取り上げた「美人調査」と同様、桑原の方法論的冒険心が見いだされる。従来の美学的解釈を主とした文学研究からすれば、あまりに無骨と映るかもしれないが、そうしたマンネリ化した文学研究への強烈なアンチテーゼがここには込められているだろう。

 

 ところで、こうしたプラグマティックな文学理解を桑原はどこで獲得したかというと、リチャーズをはじめとした英米文学研究の影響があることはもちろんだが、それ以前、柳田国男からも多くを受け取っていることを認めないわけにはいかない。柳田の文学観はその言語観とも密接に連関しつつ、柳田学の根幹を成しているが、きわめて大雑把に概略すれば、それは、文字中心主義批判、語用論主義、聴衆中心主義といった要素により構成されている*6。すなわち、@文学は文字のみに表現されるものではなく、その前段階ないし前提として口語によるコミュニケーションが存在する、A口語によるコミュニケーションは、固有の場における固有の話し手−聞き手関係に根ざしたプラグマティックな言語実践である、Bそのような場における文学は、聞き手の期待を体現した発話が要請される、オーディエンス主導の「衆の文芸」となる、などの基本テーゼである。こうした発想を、桑原がどのテクストから獲得したかは定かではないが、桑原が柳田を論じた最初のエッセイ「『遠野物語』から」(1937)には、『桃太郎の誕生』(1933)、『民間伝承論』(1934)といった書名が挙げられており、それらから柳田の基本テーゼを獲得することは十分に可能だっただろう*7

 

 ほかにも、俳句や私小説についても二人の議論には多くの一致をみる*8。ふたたび誤解を恐れずにいえば、柳田の明治的な課題を批判的に継承し、昭和的にヴァージョン・アップしたのが桑原の仕事だといえるかもしれない。そして、その目指すところもおそらく同じ方向だろう。国民的伝統の再認識を基礎においた国民生活の改良が柳田の本願だったとするなら、桑原の本願も完全に一致する。「一般に、一つの集団に属する人々がすぐれた具体的なものを共通に所有していることが、いかにその人々の思想を、したがって行動をも、着実なものとし、またそこから真の独自性を生み出す力となりうるかを知らねばならない」という『文学入門』(1950)の一節は、まさしくそのような柳田=桑原的課題の表明だろう*9

 

 結局のところ、桑原にとって「文学」とは何だったのか。それは、言語を媒介としたコミュニケーションであり、その固有の歴史性に規定された「人々」=「社会」の現れであり、であるがゆえに、人と人との連帯=共同を可能にする、かけがえのない基盤=資源である。であればこそ、「歴史家」であり「フィールドワーカー」である桑原は、その文学という特権的なフィールドを彷徨し、その未来に懸ける道を選んだのだ。

 

 こうした文学観を「単純」「素朴」「楽天的」とよぶことも可能だろう。また、そもそも、これを「文学」とよぶことが適切か否かを問う必要もあるかもしれない。にもかかわらず、桑原が「文学」という言葉で指し示した領域は、いまなお、私たちにとっても重要な課題としてあり続けているし、そのために彼が試みたアプローチからなにがしかを学ぶことも可能なのだ。

 

 最後に、「文学」に向けられた桑原の「夢」を、いまいちど確認しておこう。

 

 社会的諸関係の総和としての人間をとらえるべきものとして文学がある。形而上学が信用を失い、それに取って代わった実証主義の哲学も一つの科学であって、価値を創造する力はなく、科学全体に方向を与えるものではなかろう。そこで、科学を直ちにではなくともやがて支配しうべき、また支配せねばならぬものとして、人間を諸関係のうちに具体的に提出しなおすことが要請され、それをなしうるものとして文学に期待がよせられている。[中略]私は文学を愛しすぎているのかもしれない。しかし、私は文学は「未来への旅」だという言葉をすてかねる*10

 




   
*1   桑原武夫1980(初出1960)「私のノンフィクション」『桑原武夫集』6(岩波書店)p. 171
   
*2   桑原の読書遍歴については、『思い出すこと忘れえぬ人』(1971文藝春秋)、『私の読書遍歴』(1978潮出版社)などによる。
   
*3   このあたりの事情を的確に指摘しているのが鶴見俊輔である。井波律子・鶴見俊輔2006『井波律子「『論語』を、いま読む」』(編集グループ〈SURE〉)に「実はフランス文学より漢籍から受けたもののほうがずっと深いんじゃないか?」(p. 45)、「そうすると、桑原さんにとって仏文とは何かという、別の問題が出てくると思う」(p. 44)との発言がある。
   
*4   桑原武夫1980(初出1942)「『三国志』のために―吉川幸次郎君へ―」『桑原武夫集』1(岩波書店)pp. 542-543
   
*5   桑原著となっているが実際には編著。梅棹忠夫、鶴見俊輔、樋口謹一、多田道太郎、藤岡喜愛、そして桑原の6名をメンバーとする「大衆文化研究グループ」の作品。1949年から15年間にわたり活動した。
   
*6   柳田の文学観、言語観については『口承文芸史考』(1947中央公論社)、井口時男編『柳田国男文芸論集』(2005講談社文芸文庫)など参照。
   
*7   桑原武夫1980(初出1937)「『遠野物語』から」『桑原武夫集』1(岩波書店)
   
*8   桑原の第二芸術論を柳田が「援護射撃」していることは知る人ぞ知るところだろう。柳田は「病める俳人への手紙」(1947)において、近世の俳句をまとめた写本の多くは「吾々の忍耐力を裏切るものであつて、桑原君で無くとも、率直無邪気な人ならば、是が一流の文人といふものゝの作品集であるのかと、いぶかるやうなものばかりであります」と指摘(『柳田国男全集』31(2004筑摩書房)p. 403)、俳句の近代芸術としての作品性に対する桑原の疑義を肯定している。
柳田の私小説ぎらいもこれまた周知のことだろう。大塚英志2007『怪談前後 柳田民俗学と自然主義』(角川選書)参照。
   
*9   桑原武夫1950『文学入門』岩波新書 p. 117
   
*10   桑原武夫1980(初出1953)「文学とは何か」『桑原武夫集』3(岩波書店)pp. 610-612
   
   
 

 

 
     
 
本書の詳細
   
   
 

 桑原武夫、貝塚茂樹、今西錦司、梅棹忠夫ら、独自の作法で戦後の論壇・アカデミズムに異彩を放った研究者たち。新京都学派と呼ばれた彼らの拠点こそ、京都大学人文科学研究所(人文研)でした。気鋭の民俗学者が人文研の歴史に深く分け入り、京都盆地の、そしてそこから世界に広がる知のエコロジーを読み解きます。
 伝説的な雑誌『10+1』INAX出版)誌上で始められ、その休刊とともに中断していた連載を、ここに再開します。屈曲蛇行する探検の道のりに、どうぞお付き合いください。

   
 
   
著者・訳者略歴
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菊地 暁
(KIKUCHI Akira)

京都大学人文科学研究所助教、文学博士。民俗学専攻。
〔著書〕 2001『柳田国男と民俗学の近代―奥能登のアエノコトの二十世紀―』吉川弘文館、2005(編)『身体論のすすめ』丸善。
〔論文〕2012「〈ことばの聖〉二人―新村出と柳田国男―」(横山俊夫編『ことばの力―あらたな文明を求めて―』京都大学学術出版会)、 2010「智城の事情―近代日本仏教と植民地朝鮮人類学―」 (坂野徹・愼蒼健編『帝国の視角/死角 〈昭和期〉日本の知とメディア』青弓社)、2008「京大国史の「民俗学」時代―西田直二郎、その〈文化史学〉の魅力と無力―」(丸山宏・伊従勉・高木博志編『近代京都研究』思文閣出版)、2004「距離感―民俗写真家・芳賀日出男の軌跡と方法―」(『人文学報』91)など(詳しくは、ここを参照)。

参考情報:「INAX出版」ウェブサイトはこちら

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