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立ち読み  
編集後記  第66巻4号 2018年4月
 

▼春爛漫の季節を迎えました。
  チューリップ喜びだけを持ってゐる   細見綾子
  木蓮の風のなげきはただ高く      中村草田男
 人口に膾炙された春花の句です。しかし、両句から汲み取られる心情はだいぶ異なるようです。チューリップの句は春の無垢な喜びを詠み、木蓮の句は春の鬱屈感や帰らぬ青春への悔恨が詠まれているようです。しかし、前句の作者もチューリップが抱えているものは喜びだけだと本気で考えていたのでしょうか。私は次のように解釈しました。
 チューリップ(だけは)喜びだけを持って(いてほしい)。

▼二種の花からはどのような人物像を想い描きますか。私はチューリップからは無邪気な子どもを想像し、木蓮からは物憂げな青年や帰らぬ年月を振り返る大人を想像します。未来ある子どもたちに喜びだけを持っていてほしい、「子どもらよ、喜びだけを持っていよ」と大人が願うのは自然だと思います。しかし、入学や進級を迎えた子どもの心にあるものは無邪気な喜びだけと思い込んではいけないのでしょう。当然、子どもにも不安や嘆きがあり、それに気づく大人でありたいと考えて第一特集を組みました。

▼特集を通して新しい環境を迎えた子どもたちの不安について学び、子どもたちを「ほめる」ことの重要性について考えました。子どもの不安は、予測される様様な否定的経験に対するものだと思います。私はそのひとつに自分の歴史を否定される可能性があると思います。これまでの環境のなかで学んだことが通用しないかもしれないという懸念、または、これまでの辛かった状況が一新され変化するという希望が打ち砕かれるのではないか、という懸念が背景にあるのではないでしょうか。新しい学年、学級で子どもをほめるとき、前年度の学年、クラスでの経験や活躍、良いところをしっかりとほめることが重要だと考えました。

▼第二特集で焦点を当てた学校給食についても大人の希望と子どもの現実には乖離することがあります。楽しくおしゃべりしながら、みんなでもりもりと給食を頬張る子どもたちの姿に大人は安心します。しかし、今回の特集にもあるように、特徴的な感覚、体質、文化的背景、宗教的背景により給食の時間をどう過ごすかに強い不安を抱えている子どもたちもいるようです。また、お代わりをしてたくさん食べている子どもも、その背景に貧困の問題があるのならば、その姿を楽観視するわけにはいきません。

▼最後に、春の日に子どもを慮る大人を詠んだ句をふたつ。
  春風や右に左に子をかばひ    中村汀女 
  入学の子に見えてゐて遠き母   福永耕二 
 馴染んだ環境を離れることへの不安や新しい環境とのギャップに戸惑う経験のなかで新たな学びや成長があります。一方で、親や教師などの大人たちも期待と心配が尽きない季節です。子どもの目線に立って、なかなか言葉にならない子どものこまやかな心情に気づくことができる大人でありたいと思います。

 

(古賀 聡)
 
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