およそ半世紀前、この国の宰相に吉田茂という人物がいた。葉巻、和装、そしてステッキが彼のトレードマークだった。映像や写真ではおなじみかもしれない。
首相として、吉田が選択した政策への評価は今日でも様々だが、敗戦後の占領期、講和独立期、彼は戦後日本の出発点に大きな足跡を残した。防衛政策についても例外ではない。吉田は戦後防衛政策の原型を形作ったといわれ、その大枠は「吉田路線」と呼ばれる。@経済中心主義、A軽武装(防衛力の漸増)、そして、B日米安保体制(軍事的対米依存、集団的自衛権行使の禁止)という三つの要素から成る政策パッケージである。
今日に至るまでの間、その内容にはいくつかの変化もみられるが、「大枠」に根本的な変更が加えられたわけではない。たとえば近年、憲法改正や集団的自衛権行使についての議論が活発になっていることは、逆説的だが、「吉田路線」が今も生き続けている証でもある。
だが、冷戦期とは大きく安全保障環境が変化した中で、防衛政策は今後、大きな転換を迫られるかもしれない。どのような選択がなされるにせよ、国民の生命と財産に深刻な影響を及ぼしかねない問題であるだけに、真剣に、かつ慎重に方向を定めていかねばなるまいが、その際、まずは「足下」を確認する必要があるだろう。
意外に思われるかもしれないが、戦後防衛の歩みは、これまで論壇などで「アツく」語られることはあっても、歴史的に研究されることがほどんどなかった。今日みられる防衛政策の大枠はどのように形成され、定着したのか。その間、どのような問題が提起され、解決されたのか(あるいは先送りされたのか)。これらは、歴史的な問題であると同時に今日的問題でもあるのだ。
そして、おそらくはすべての歴史がそうであるように、戦後日本の防衛政策も単純な二元論的な図式で説明することは難しい。これは、すべて米国の意向に従属してきたということで説明できるのか? ―答えは否である。すべて日本の思い通りに決まってきたのか? ―答えは否である。
では、戦後防衛政策の原型は、どのように形成され、定着したのか?
こうした問いかけに、筆者なりの回答を見いだそうとした格闘の痕跡が、本書である。
(『諸君!』2006年6月号掲載)