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医療政策は選挙で変える―再分配政策の政治経済学IV
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医療政策は選挙で変える

―再分配政策の政治経済学W

「はじめに」

 






 

昨年二〇〇六年八月、医療制度の研究会主催者である医師から次のような講演依頼が届いた。

最初は現場の立場で提言すれば、現場を知らない官僚やメディアが理解してくれて、制度改革もよい方向に向くだろうなどという淡い期待がありましたが、そんな甘い話は無く、同時に医療の仕組みや政策は病人のニーズと関係ない別な意図を持って動いていることも実感するようになりました。…(中略)…最終的に力になって現れるのは政治であり、社会保障のデザインになるので、先生のご専門からお考えいただいた、批判も含めた医療や政治に対するお考え、目指すべき方向性などをお話しいただきたいと存じます。


このEメールをもらって引き受けた講演「日本の社会保障と医療――小さすぎる政府の医療政策」の要旨が、本書冒頭の文章である。

また、『論座』が二〇〇七年三月に「医学部と医療崩壊」の特集を組んだ。そこに掲載された「医学部人気と医療崩壊の間にある政治の無責任」が、本書第二の文章である。

ところで、最近は医療関係でいくつか講演をしている。そこで、これだけはみなさんに伝えたいと言って、常に最初に話してきたのは次のメッセージである(二〇〇六年一一月五日「地域医療研究会」にて)。

医療をどうしても変えたいのであれば、雨が降ろうが槍が降ろうが、はたまた空からミサイルが降ってこようが、今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には拒否権を発動するしか方法はありません。今展開されているのは、教育改革と社会保険庁解体で、その背後にある組織を抵抗勢力に仕立てあげて来年の参議院選挙をなんとか乗り切ろうという安っぽい政治戦略のように、わたくしにはみえます。※(1)こういう安っぽい戦略に騙されて、来年七月の参院選で、選挙当日に今日の医療崩壊を認めていない政党に思わず一票を投じないことです。与党であれ野党であれ、長年の医療費抑制のためにいろいろな面でおかしくなっている医療を直視しない政党を、他の理由ででも支持してしまったら、それで終わり。……今日の医療問題に取り組もうとしない政党を選挙で支持をしていては、医療は変わりません。選挙の後に医療がどんなに酷い目にあったとしても、後の祭りというのが、間接民主主義というものなのです(本書「勿凝学問52」)。


さらに、次のようなことも話している。

今日、医療関係者、医療経済・政策研究者のほとんどが、医療費は引き上げるべきで、医療費の配分は是正すべきであるとの共通認識をいだくほどに、日本の医療はおかしくなってきている。そしてメディアも、ひとり日本経済新聞の最初の方の頁を除いては、新聞、テレビともに足並みがそろってきた。 となれば、今日、医療関係者、医療経済・政策研究者の間で論じ合うことは、いかにすれば、日本の医療を崩壊から守ることができるかというポイントに絞られることになる。答えは実にシンプル――今の医療に不満をもつのであれば、選挙で与党に投票しない、すなわち、今日の医療崩壊に手を打とうとしない政党には拒否権を発動するしか方法はないということが、この講演のメイン・メッセージとなる。 医療費の水準、医療供給体制、医療消費者の費用負担のあり方などは、政治で決まっている。 ……ゆえに、今日の医療に憤りを感じて、医療を変えたいというのであれば、政治を変えるしか方法はない。そして政治を変えるには、選挙で政治家に圧力をかけるしか術はないのである(本書「勿凝学問58」)。


この『医療政策は選挙で変える』は、規模の大きい順に(二〇〇四年度)、看護師七六万、准看護師三九万、医師二七万、薬剤師二四万、歯科医師一〇万、理学療法士五万、臨床検査技師五万、保健師四万、作業療法士三万、診療放射線技師三万、助産師三万――医療従事者総計およそ二〇〇万人の投票など、恐れずに足らずとしてきた政治家たちを、第一の読者として想定している。彼ら政治家は、たとえば今回新たに厚生年金に適用されるおそれのあった約一三〇万人の専業主婦(第三号被保険者)には大いにへつらうが(本書「勿凝学問71」「勿凝学問76」参照)、医療従事者はどうせ一枚岩ではなかろうと高をくくっている(「勿凝学問58」)。本書第二の読者としては、医療従事者・医療問題に関心をもつ人たちを意識しており、そしてさらには、年金、社会保障を軸にこの国の未来について考えている人たちにも、手にしてもらえればと願っている。

変転つねなき現世の政治の動きを支配しているものを、マキャベリは気まぐれな運命の女神に譬え、次のように論じた。

運命の神は女神であるから,彼女を征服しようとすれば,うちのめしたり,突き放したりすることが必要である。



まがりなりにもマニフェスト選挙がこの国に根付きはじめ、選挙の事前に政策の内容が示されるようになってきた。そしてネットを通じた情報交換が相当なまでに普及してきた。この二つの条件を重ね合わせると、今の時代、医療関係者や労働者たちが政治家をかかえたり、政党に大金を献金したりするような政治に媚びる旧来の手法を採ることは、かえってみずからの行動に足枷を科すことになるのではないかと思っている。※(2)政治家が欲するのは選挙の際の票にあり、他は票を得るための手段にすぎない。選挙の度に、自分たちに最も関心のある政策に集中して、政党を評価しては投票する。選挙前夜にでもマニフェストのなかの、たとえば医療政策のページをみるまでは、どっちにつくか分からせずに、主体的に浮動票を演じる――それでいいではないか(本書「勿凝学問46」「勿凝学問64」参照)。

もっとも、自分たちが一番関心のある政策ばかりに焦点を当てる投票行動は、民主主義の王道ではなく邪道であるといえば邪道である。間接民主主義の下での選挙は、複数の争点がひとつにまとめられた「争点の束」――最近ではマニフェストという冊子一冊の全体――の良し悪しを競うものであり、有権者も、争点の束を争点の束として評価して支持する政党を決めるのが、正しい民主主義のあり方ではあろう。けれども、二〇〇五年九月一一日の郵政民営化選挙で、有権者に「争点の束」として政治案件を提示すべきところをシングル・イッシュー化することによって、与党は大勝した。この体験を共有する政治家たちは、与野党を問わず今後しばらくは――否、永遠に?――シングル・イッシュー選挙への誘惑から逃れることは難しいであろう。ならばわれわれも、医療問題に改善の兆しがでるまで、そしてこの国の未来に明るい兆しをみることができる日まで、われわれの方からシングル・イッシュー選挙を演出しようではないか(本書「勿凝学問58」参照)。

医療関係者が参加される講演ではよく、「九・一一の郵政民営化選挙の際、よもや、与党に投票した医療関係者はいなかったでしょうね。あの時すでに、この国の医療政策がどの方向に向かっていくかということは分かっていたんですけどね――」と話している。

そして再び、言っておく。

与党であれ野党であれ、長年の医療費抑制のためにいろいろな面でおかしくなっている医療を直視しない政党を、他の理由ででも支持してしまったら、それで終わり。……今日の医療問題に取り組もうとしない政党を選挙で支持をしていては、医療は変わりません。選挙の後に医療がどんなに酷い目にあったとしても、後の祭りというのが、間接民主主義というものなのです。


今年三月一六日の経済財政諮問会議で、安倍首相は、医療分野の社会保障費削減策について「具体的な改革項目と数値目標を盛り込んでほしい」と、臨時議員として出席していた柳澤厚労大臣に指示したらしい。この国で最も必要とされる改革は政治改革だろう――なぜならば、この国の権力機構の中で政治が身の丈以上に強くなりすぎて権力バランスが崩れかけている。結果、この国の未来がかなり危なくなってきているからである(本書「勿凝学問72」「勿凝学問73」「勿凝学問75」参照)――という強い問題意識をもつわたくしの目の前で、医療費・社会保障削減を求める首相の発言が続いたことが、生来ものぐさなわたくしにこの本を出させる最後の後押しをした(本書「勿凝学問77」参照)。彼ら政治家には、日本の医療が「高コスト構造」にみえるらしく、この「高コスト構造」を改善(?)したいらしいのである。もっとも最近、与野党はそろって今夏の参院選で医療問題を無視することはできないと動き出してはいる――後は、読者の判断に委ねたい。そしてこれからは繰り返し繰り返し、「医療政策は選挙で変える」こと、「選挙でしか医療政策を変えることができない」ことを思い出してほしい(本書「勿凝学問45」参照)。

なお、政治というものは、選挙直前以外のことなど国民は必ず忘れてくれるという政治家たちの読みのもとに動いているようである。どのようなことを国民は忘れてくれると彼らが考えてきたのかを――たとえば、郵政造反組自民党復党、パート労働への厚生年金適用拡大問題でみせた利益集団のエゴに阿おもねた「容赦なき弱者切り捨て」などを――、本書を手にしてひとつずつ思い出しながら、今日の政治がどのようなメカニズムで動いているのかについていろいろと考えて、遊んでもらえればと思う。政治をめぐる話の展開が分かりやすいように、本書では、文章を執筆した時間順ではなく、内容ごと――総論として「忙しいあなたのために」、各論「医療問題を考える」、「年金問題を考える」、そして「この国の未来を考える」――にまとめた。あなたがもし医療関係者なのであれば、本書冒頭にはじまる「忙しいあなたのために」から読んでいただくことになるであろう。

追記

かなり前に書いたこの「はじめに」の校了日二〇〇七年六月五日、世間は「宙に浮いた年金」で大騒ぎである。この件について、わたくしがどのように考えているかは、「勿凝学問79 世の中には言ってはならない一言というのがある――はしか休講と消えた年金?をめぐる党首討論(五月三〇日脱稿)」「勿凝学問80 この度の泡うた沫かたの年金騒動の持久力はどのくらい?――ガンバレ民主党、このままでは参院選までもたないよ(六月一日脱稿)」にまとめている。さすがに本書に収めるには間に合わなかったため、ホームページでご笑覧いただければと思う。

二〇〇七年六月五日 三田山上にて
著者

※(1)もっとも、選挙の争点作りが政治家の目論みどおりに進むとは限らないところが世のおもしろいところでもある。二〇〇六年一一月段階では、今夏の参院選では教育改革、社会保険庁改革を争点に大いに盛り上がろうと、自民党はねらっていた。今年二〇〇七年に入ると、「三本の矢」という言葉が使われるようになり、教育改革、社会保険庁改革の他に公務員改革が強く意識されるようになる(「選挙イヤーを語る(1)自民党幹事長中川秀直氏」『日本経済新聞』二〇〇七年一月四日朝刊)。けれども、教育改革は大いに、社会保険庁改革はいまひとつ盛り上がりに欠け、「三本の矢」戦略も目論みどおりにはいかないといったところで、彼らは未だ、参院選で勝ち目のある争点をどれに絞ろうかと模索しているのが現状ではある。もちろん、野党も同様に………。


※(2)「団体の選挙貢献査定へ 自民 業界要望 扱いに差」『朝日新聞』二〇〇七年五月八日朝刊にあるように、自民党が「参院選に向けた業界団体の引き締め策として、同党への支援を数値化し、貢献度に応じて団体側の要望を政策に反映させる仕組みを導入することを決めた」ことは承知のうえで、今日のマニフェスト選挙のもとでは、医療関係者や労働者たちは「政治に媚びる旧来の手法」よりも政策形成に影響を与える方法があると、わたくしはみている。

著者プロフィール:権丈 善一(けんじょう よしかず)
慶應義塾大学商学部教授 1962年福岡県生まれ。1985年慶應義塾大学商学部卒業、1990年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了。嘉悦女子短期大学専任講師、慶應義塾大学商学部助手、同助教授を経て、2002年より現職。 主要業績に、『医療経済学の基礎理論と論点(講座 医療経済・政策学第1巻)』(共著、勁草書房、2006年)、『医療年金問題の考え方――再分配政策の政治経済学V』(慶應義塾大学出版会、2006年)、『再分配政策の政治経済学I――日本の社会保障と医療[第2版]』(慶應義塾大学出版会、2005年〔初版、2001年、義塾賞〕)『年金改革と積極的社会保障政策―― 再分配政策の政治経済学U』(慶應義塾大学出版会、2004年、労働関係図書優秀賞)、翻訳としてV. R. フュックス『保健医療政策の将来』(共訳、勁草書房、1995年)などがある。
※著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
 

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