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かなりまえのことになるが,我々が「経済変動の進化理論」に取り組み始め,その利点についての議論を始めたときには,いくつかの理由があった。なかでおそらく第1の,最も重要な理由は,次のような我々の信念であった。すなわち,多くの大変に興味深い経済現象は,定常的というよりはほとんど常に変化を遂げ続ける経済的な状態,行動,構造を含む,というものである。このことは,ともに我々2人が研究をし,教えている産業経済学の分野でとりわけ顕著である。多くの産業で,イノベーションは競争の主要な手段であったし今でもそうである。そうして企業は持続的に変化する状況のもとで生き残りをかけて苦闘している。同様に,そのなかで国際貿易が進展し,労働市場がはたらき,より一般的には経済活動が進行する文脈では,厳密に将来を予想することが可能ではなく,経済主体はなんとかしてそれに適応するしかないというような持続的な変化が特徴的となる。このような経済変動のもとでの経済的活動は,その当時に標準的であったような種類の経済理論――すなわち経済主体はなんらかの方法で最適な行動のコースを選択することができ,システム全体は均衡にある,と言う仮定にもとづいていた,そしていまでももとづいている理論――では適切に問題を設定し,分析することはできない,と我々は主張した。

第2の理由は,多くの場合,既存の理論はデータと広い意味では整合的な予測を導き出しうるが,理論それ自体はきわめて“非現実的”とみなされていた,という事実である。我々は支配的な意見とは異なり,この現実性の欠如は些細な問題ではないと判断した。もっとも,現実性についての適切な基準という問題は究極的には深遠な問題であることは認めるが。より重要なのは,我々にはより“現実的”な理論があり,これが役割を同等あるいはそれ以上に果たせると確信していたということである。ここで我々は,とりわけ既存の標準的な企業の理論を念頭においている。既存の理論では企業は利潤を最大化する行動を選択すると仮定しているが,いかにしてそれを成し遂げるかについては口をつぐんだままである。この理論は,企業における意思決定プロセスを予測する理論と解釈されるならば,現実のプロセスについて知られていることと明らかに一致しない。当時の,そうして今日の組織論の研究者や実証志向の経済学者の多くの研究が,いかなるときにおいても,企業行動はその大部分が,企業が様々な状況のもとで実際におこなってきたことによって強くかたちづくられている一連のルーティーン,意思決定ルール,そうして慣行によって導かれているということをきわめて説得的に示している。

これに関連して,我々が懸念していたのは,既存の経済理論が,この理論に固執する経済学者にとって,隣接する心理学,政治学,社会学(とりわけ組織論)や,経営史,技術史といった分野の研究者と意思疎通する上での大きな障壁となっている,という点であった。これらの分野の研究者は,人々が不確実性に直面したときに実際にいかに振舞うか,企業は実際にどのようにして意思決定をおこなうか,企業組織と技術は時間とともにどのように変化してきたか,といった経済学にとって中心的な重要性をもつ問題について研究し,書いてきた。これらの研究において得られた知見は既存の経済理論の言語で表わされていないために,経済学者はそれらに注意を払わないか,この理論のフォーマットにそれらを押し込めるか,押し込めることがむずかしければ経験的な事実について争おうとするかのいずれかであった。実のところ,経済学のなかでも同じような断絶が,理論の信奉者と,標準的な理論の教義に固執せずに研究と著述を行う多くの実証志向の経済学者との間にも存在するのである。

これら三つの我々の懸念の源は決してばらばらなものではなく,我々の研究が進展するにともない,これらの間の相互依存性が問題の全体にとってますます中心的なものと思われるようになってきた。とりわけ重要なのは,常に変化し続ける世界において,経済主体の機会集合もまた変化し続ける事柄の中のひとつである,と言う事実である。機会集合が変化するとき,経済主体の能力についての非現実的な想定――主に経済学の偏狭な党派性によって支えられてきた想定であるが――によってつくりだされたゆがみは大きく拡大されてしまう。シュンペーターは次のような印象深いことを述べている。「新しい計画を実行することと,なじみ深い計画にしたがって行動することとは,道路を建設することとその上を歩くことほどに異なっている」。(『経済発展の理論』p.85)。

これらの,またこれらに関連した懸念や信念にもとづき,我々は幅広い経済理論を構築した。それは経済変動を進化論的プロセスとして取り扱い,そこではいかなるときにおいても経済主体の行動は,様々な状況で自らの行動によって形作られた一連のルーティーンによって導かれるが,同時に学習とイノベーションを通じて変化していくもの,として表される。我々の提案する理論的視点の革新が,本書での中心的な関心事を研究している実証志向的な経済学者,ならびに,我々の理論的視程が自らの信念と合致していると考える他の分野の社会科学者の双方にとって魅力的なものであることを願っている。さらにまた,それが分野を超えたより活発な交流を可能にするものであってほしいとも願っている。

本書の最後のパラグラフで,我々は以下のように述べた。「総じて述べると,進化理論による分析の有利なところは,ものごとを違う角度から明らかにしていることである。こうした見方に慣れてくると,見えてくるほとんどのものはよく見慣れた事である。しかし,見慣れた事のなかにあるこれまで気付かなかった特徴が明白になり,一方,正統派の視点では明らかだったいくつかのものは不思議なことに突然消えてしまう。それらはいったい事実であったのか幻想であったのか。これまで,見過ごされていたものが見え始める。それは,これまでよく知られているものではあるが今までとは違った特徴が見え始めるというだけではなく,まったく新しいものも含まれる。全体として,異なった観点のおかげで,歪められた暗闇から救い出されるように明瞭なに視点が得られる。この考え方の価値が幅広く認められるよう願っている」。

我々はこの考え方の価値が認められるようになってきたことを喜んでいる。技術変化を研究する大きな学際的コミュニティは,技術変化のプロセスは進化理論的なものとして理解されるべきだという点でいまや一致している。このような議論をしているのは我々だけというわけではないけれども,この本がこの分野に,とりわけこの分野のなかの社会科学者の間で大きな影響を与えたことは明らかである。我々は技術進歩についての進化理論的視程が経済学者やこの分野で研究をしている他の社会科学者と歴史学者の研究の志向性を引き寄せることに貢献することを願っていたが,明らかに実際そうなった。

我々が採用した企業の能力と行動の理論は,企業経営と戦略についての幅広い研究の基盤と枠組みを提供した。とりわけ,我々が強調した組織ルーティーンはこれについての多くの重要な研究と著作を生み出した。この分野では我々の貢献は他の研究者の研究,とりわけ(当時の)カーネギー・テックの組織論研究者の研究に大きく依存している。我々が強調した,組織能力の基盤としての組織ルーティーンと,古いルーティーンの再構成と新しいルーティーンの習得による能力の強化という考え方は,明らかにこの分野の研究の発展に影響を与えた。

我々の進化理論を発展させるという我々の関心は,上からも分かるように,イノベーション,不確実性,そして不均衡を強調したシュンペーターの競争の本質についての説明こそが,重要産業において競争と産業構造の決定因を理解する方法だ,という認識に強く影響されている。標準的な経済理論化のやり方は,この種の競争の分析にとってはまったく不適切であるように思われる。我々が本書をあらわしてから,経済学者は,進化理論にもとづき,競争の大部分がイノベーションを通じて行われる産業におけるシュンペーター的競争と,産業のダイナミックスに関する数多くの実証的理論的研究を行ってきた。

本書が最初に出版されてから4分の1世紀の間,新しい研究が本書の主張を補強し,支持してきたことに大いに励まされる。それはすぐ上で述べたような特定の分野にとどまらず,より広い領域で見られた。このような研究のいくつかは我々の主張に対応することを意図して行われたが,ほとんどは我々が低くしようとしていた分野の間の壁を越えて予期しない領域から起こってきた。あるいは,我々の研究と近いテーマについて自らの展望にもとづいて研究をしていた経済学者によってもたらされた。我々の研究が,これらの優れた研究すべてに刺激を与えたなどと言うつもりは毛頭ない。ただ,これらの研究は現に存在して,その大半は我々の主張を支持しているということは述べておきたい。この研究の幅と量からみて,本書でこれらの研究をリストアップすることはできそうもない。ここでは取り上げられたいくつかの領域とキーワードを確認し,さらに,この序文の最後に,短い参照すべき展望論文の短いリストをつけた。ここであげた論文には進化理論の主張についての展望,その源泉と進展の状況,さらに,事実と理論の特定の話題についてのさらなる研究が豊富に示されている。

個人および組織行動についての我々の説明には,暗黙知と今日,手続き的記憶とよばれるものが含まれている。この幅広い説明は導入されて以降,心理学における多くの研究(手続き的記憶,状況的認知,分散的認知)によって補強され,支持されている。この心理学の研究には,これらの現象を心理学的レベルで追求したものが含まれており,これは,経済理論の真のミクロ的基礎――そういうものが存在したとすればだが――であろう。この本の最初のほうで,正統派の批判をおこなったところで,我々は,企業の理論について,“どこに知識が存在しているのか”を問い,その後これに対する答えを提示した。それ以降,学問の世界においても,現実の経営の世界においても,一般的な組織知の問題について非常に大きなブーム(クオリティ・マネジメント,知識マネジメント,組織学習)が起こった。さらに,我々は組織知をルーティーンの制御と考えているが,この考え方は,技術移転とプロセス改良の諸研究からきわめて大きな支持を得ていて,我々の最初の微妙な問題提起がほとんど初歩的なもののように思えるほどである。すなわち,組織知はほぼ,ルーティーン(“慣行”あるいはときには“システム”ともよばれる)のなかに存在するのである。

我々は,シュンペーターにしたがって,イノベーションそれ自体がしばしばその重要な側面においてルーティーン化されうることに注意を喚起した。経営学の文献においては,この概念は「ダイナミック・ケイパビリティ」という名前のもとに広く探求され,実り多い結果をもたらしている。我々は,企業レベルの革新的な活動とより幅広い知識の文脈との関係についてもっと深く考察するよう主張した。後者のより幅広い知識の文脈は,企業間の情報のフローと,多様な制度的取り決めや政策の両方によって形づくられている。このテーマについても広範な研究が行われてきており,制度が技術変化を支える仕方が国によって,あるいは単純に,場所によって異なっていることを明らかにしていくことが重点的に行われてきた。国のイノベーションシステムと,セクターのレベルでのイノベーションシステムについての研究と著作が蓄積されてきている。

なかでも重要な制度は,企業がイノベーションからの利益を専有する能力に影響を与える制度と,企業のイノベーションの努力をとそれが拠っている科学的な分野にとを結びつける制度である。これらの点については,我々は他の研究者と協力して多くの新しい知見を生み出してきており,とりわけ,我々の理論がそのような知見がとても必要とされていると示唆する分野に光をあててきた。

我々のモデル化の努力においては解析的なテクニックとシミュレーションの方法をともに用いて,重要な点で互いに異なる企業の集団のモデルを検討した。我々は「企業は多様である!」と主張し,このことが持つ意味を追求するためのモデルを提示した。このように主張したとき,理論経済学は「代表的企業」という抽象化に強く毒されているか,あるいは企業の能力の背後にある知識は典型的には公共的知識である(あるいは知的財産権の保護がなければ公共的である)という考え方を反映したものであるかのいずれか,あるいはその両方であることが明らかになった。その後の年月において,企業の事業が大筋において似ていても,また法的保護があまり働いていない場合でも,企業は著しく異なっていて,その差異は持続的であることが圧倒的に明確になった。このことは様々な文献において様々な方法で示されてきた。とりわけ,米国の統計局経済分析センターによって行われた作業のような,各国の政府機関によるセンサスから得られる大規模データを利用した一連の研究を指摘しておきたい。しかし,不思議なことに,多くの経済学者は,依然として,企業は互いに非常に異なっているという最新の証拠を突きつけられたときに,驚愕するようである。

我々はまた,産業構造を,たえざる持続的な進化理論的プロセスのひとつの“結果”としてダイナミックな考え方の中で理解することの重要性を主張した。この領域の一部は企業の規模分布の説明と関わっている。この規模分布の問題は,当時は,産業組織の経済学において,ほとんど意義のあるものとは受け取られていなかった。というのは,またしても,事実が経済学の教科書が描く姿と際立って異なったものであったからである。この問題は,早い段階から有望な領域を認められており,進化理論的モデルが容易に正しい認識を与えることができる領域であった。この分野では多くの研究が,モデル化と実証の両面で行われ,問題は意義のあるものとして認められるようになった。しかし,この領域は依然として“有望な”領域としてとどまっており,重要であるがよく理解されていないことが多く残されている。

この本は,我々の提案にとって実際のところきわめて中心的な位置を占める二つの関連した分野について,ほとんど沈黙している。第1に,企業のルーティーンとケイパビリティがそもそもどこから来るのか,ということについてあまり述べていない。我々はそれらがどういうものかを議論することに努力を傾けた。第2に,産業のダイナミックスをモデル化するときに,さまざまな歴史的事件の中での産業群の発展の典型的パターンには触れなかった。我々は,それよりも,いくつかの鍵となるメカニズムを明らかにすることに力を注いだ。

幸いなことに,その後の研究は,これらの問題の検討を怠るという我々の前例を受け継ぐことはなく,まったくその逆であった。いくつかの異なる種類の研究の蓄積のおかげで,進化プロセスのこれらの鍵となる様相についてずっと多くのことが知られるようになり,また,その重要性についてはるかに多くのことが(我々や他の研究者によって)明らかにされた。我々は,いかにして新しい企業や産業における学習の努力からルーティーンやケイパビリティが生まれてくるか,またこのプロセス自体が過去から借りてくるという要因をしばしば明確に含んだ進化理論的なものであるか,についてよく理解するようになっている。また,多様な企業からの多様な提案を選択する環境として市場が最も明確に機能している例,すなわち経済的進化のプロセスの最善のそして最も鮮明な例は,新しい産業の初期の時期に見られることが多いということも理解している。

多くの日本の研究者も,我々が「経済変動の進化理論」をつくる努力のなかで提案した概念やテクニックを用い,さらに進展させてきた。いま,後藤晃,角南篤,田中辰雄がこの本を日本語にするための大きな努力をおこなった。これにより,より多くの日本の読者が我々の研究を参照し,さらに発展さすることが可能となった。我々はこのような聡明な研究者が進化理論の思想をさらに前進させるために重要なコミットメントをしてくれたことに対し,心より感謝し,名誉に思う次第である。

著者プロフィール:
【著者】
リチャード R.ネルソン(Richard R. Nelson)
コロンビア大学教授。1956年にイエール大学より「マルサスの罠」に関する研究で博士号を取得。1957年からランド研究所でエコノミストとして活躍。そこで、本書の共著者であるシドニー・ウィンターと出会う。その後、大統領経済諮問委員会スタッフなどを経て、1968年からイエール大学で教鞭を取った。1981年から86年まで、同大学社会・政策研究所(Institution for Social and Policy Studies)所長を務める。87年よりコロンビア大学教授(政治学部、国際関係学部、ビジネススクール、ロースクール)。
シドニー G.ウィンター(Sidney G. Winter)
ペンシルバニア大学教授。1964年イエール大学で博士号を取得。その後、イエール大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学で教鞭を取り、93年よりペンシルバニア大学ウォートンスクールで経営学を教えている。99年より同経営政策・戦略・組織センターのディレクター。その他、ランド研究所エコノミスト、大統領経済諮問委員会スタッフ、General Accounting Officeの主任エコノミストを歴任。2001年から05年まで、国際シュンペーター学会副会長。
【訳者】
後藤晃(ごとう あきら)
公正取引委員会委員。一橋大学大学院経済研究科修了。1973年成蹊大学経済学部助教授。同教授を経て89年一橋大学経済学部教授。1993年一橋大学博士(経済学)。1997年一橋大学イノベーション研究センター教授。2001年東京大学先端経済工学研究センター教授。同センター所長、同大学先端科学技術センター教授を経て2007年より現職。
角南篤(すなみ あつし)
政策研究大学院大学准教授。ジョージタウン大学卒業。1989年の村総合研究所研究員、1997年サセックス大学科学政策研究所フェロー、2001年コロンビア大学PH. D. 取得。2001年、独立行政法人経済産業研究所TAGフェロー。2003年より現職。
田中辰雄(たなか たつお)
慶應義塾大学経済学部准教授。東京大学大学院経済学研究科修了。1991年国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員、97年コロンビア大学客員研究員を経て、1998年より現職。
※著者略歴は書籍刊行時のものを表示しています。
 

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