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雷文化論  立ち読み

『フーコーの後で

―統治性・セキュリティ・闘争』

  

序        

 

高桑和巳
 
 
 

この論集『フーコーの後で』のタイトルは何を意味しているのか? ここでは三つの意味を想定しよう。  

まずは文字どおりの意味である。

 

フランスの思想家ミシェル・フーコー(一九二六―八四年)が大活躍した一九六〇―七〇年代から数えても、また彼の没年から数えても、すでにかなりの年月が経過した。では、フーコーはすでに過去の人なのか? いや、彼の仕事の含蓄がすでに汲み尽くされたとはとても言えない。その仕事は今日性を失っていない。そればかりか、私たちの生きているこの現在に対して、彼の思考が投げかける光はますます強くなってきている。これが私たちの実感である。  

私たちは依然として、つねに「フーコーの後[アフター・フーコー]」に身を置いている。フーコーの没後、この思想家の仕事を出発点とし、必要な批判を加えつつも彼の切り開いた道を頼りに研究を試みる――これが、実質本位の「フーコー・チルドレン」である私たちの目指すところである。

 

第二の意味は少しばかりこじつけめいているが、私たちの姿勢自体を指すものである。  

「後で[アフター]」には「……に倣[なら]って」というニュアンスがある。「アフター・レンブラント」の絵画といえば「レンブラント流の、レンブラントに倣って描かれた」絵画という意味である。

 

フーコーの仕事をすべて絶対視するのではないが、ともかくもフーコーのやりかたを自分なりに吸収し、フーコーに倣って[アフター・フーコー]自分の探究を深めてみようというのが、私たちに共通の姿勢である。

 

さて、第三の意味を読み取るにはさらなるこじつけが必要かもしれない。しかし、この意味こそがじつは私たちの試みに具体的な方向を与えている最重要の意味である。以下、説明してみよう。  

フーコーの仕事のなかでも世界にもっとも影響を及ぼしたものは、一九六〇年代はじめから一九七〇年代なかばまでに刊行が集中している。まずは『狂気の歴史』(一九六一年)、『言葉と物』(一九六六年)、『監視と処罰[日本語タイトル『監獄の誕生』]』(一九七五年)の三冊が主著として挙がるだろう。

 

『狂気の歴史』では近代的精神医学に対して否定的評価が下された。鎖につながれていた狂人を解き放ったとされるフィリップ・ピネルが行ったのはじつは狂人の解放ではなく、狂気の囲いこみの内面化・再編成であると捉えなおされた。

 

『言葉と物』では近代の認識全般の大枠――「エピステーメー」と呼ばれる――の成立がルネサンス期や古典主義時代のそれと対比され、浮き彫りにされた。

 

『監視と処罰』では近代の権力行使のパターンが「規律」の名のもとに整理され、学校・病院・兵舎・監獄・工場などに同一の仕組みが確認された。その仕組みを象徴するものとして、功利主義者ジェレミー・ベンサム考案の「一望監視装置(パノプティコン)」が挙げられた。

 

以上が、たとえば入門書をひもといて得られるフーコーのイメージだろう。彼の業績をこれらの代表的著作からまずイメージするのは、もちろん間違ったことではない。また、これらの主著がこれからもなお再読、三読に値するということにも疑いの余地はない。

 

しかし、私たちが広く知るその「フーコー」には、じつはその「後」もある。その意味での「フーコーの後[フーコー・アフタワード]」は、「セクシュアリティの歴史」というシリーズで単行本が全三巻刊行された時期と重なる。第一巻『知への意志』は一九七六年に出され、第二巻『快楽の活用』と第三巻『自己への配慮』は一九八四年に公になった。なお、作者はその後すぐにこの世を去ってしまった。

 

最初の一冊の刊行と後の二冊の刊行にはさまれたこの時期はフーコーの五〇歳代と重なっている。この早い晩年は単著の単行本が発表されていないため「沈黙の八年間」とも呼ばれることがある。しかし、彼は隠居してしまったわけではない。それどころか、さまざまな活動をそれまで以上に展開していた。

 

少しだけ遡ってみよう。一九七〇年代前半はこの思想家にとって変化に富んだ時期だった。一九七〇年にコレージュ・ド・フランス(フランス最高の教育研究機関と位置づけられている)の教授に就任し、年末から講義を開始する(そのうち、生前には開講講義のみ『言説の秩序』と題して一九七一年に刊行されている)。一九七一年から翌年までは、監獄行政に対して囚人の側から異を唱える「監獄情報グループ(GIP)」を主導した。この経験が、テクストに局限されていた読解対象を権力装置一般へと拡張するのを後押しした。彼の新たな権力論は、この時期の探究の主要な成果である『監視と処罰』において一定の総括を見た。

 

一九七〇年代後半は、この権力論をセクシュアリティをめぐって捉えなおすプロジェクト「セクシュアリティの歴史」とともに幕を開ける。「沈黙の八年間」は、第一巻刊行後にプロジェクトの構成が二転三転した結果、事実上生まれてしまったものと言える(「沈黙」を断ち切るべく矢継ぎ早に出された第二巻と第三巻さえ、自分の死を予期した作者が刊行を急いだがゆえの産物にも見える)。しかしフーコーはそのあいだにも、さまざまな局面での執筆・発言を絶え間なく行っていた。

 

この時期のフーコーが「沈黙」せずに語り続けているということが誰の目にも明らかになったのは、死後まとめられた『ミシェル・フーコー思考集成』のおかげである。これは、生前に単著の単行本に収められることのなかったテクストを集めた全四巻(日本語版では全一〇巻)の本だが、単に分量だけを問題にしても、五〇歳代に発表されたテクストが全体の半分を占めている。

 

この時期にはコレージュ・ド・フランス講義ももちろん継続されていた。その模様を録音したテープをもとに、死後、講義録が少しずつ公になっている。それが、現在も刊行の続いている『ミシェル・フーコー講義集成』である。これが『思考集成』をさらに補填し、誤った「沈黙」のイメージを完全に払拭する役を果たした。

 

「沈黙の八年間」についてのみ言えば、一九七五―七六年度『「社会を防衛しなければならない」』、七七―七八年度『安全・領土・人口』、七八―七九年度『生政治の誕生』、八一―八二年度『主体の解釈学』がすでに死後刊行されている。いずれも、単行本であれば大部一巻に相当する分量である。

 

というわけで、ここに「その後のフーコー」が立ち現れてくる。私たちは、新たに明確化されてきた「後期フーコー」とでも呼べるこの時期に焦点を合わせた。「フーコーの後で[フーコー・アフタワード]」はどのような問題設定がなされているのか? それは私たちにどのような有効な視点を提示してくれるのか? どのような新たな切り口が得られるのか? これらの問いこそ、この論集の執筆者の一人ひとりがそれぞれに立て、応えようとしている問いである。


 
プロフィール:著者プロフィール高桑和巳(たかくわ かずみ)

1972年生まれ。慶應義塾大学理工学部専任講師。 訳書:ジョルジョ・アガンベン『人権の彼方に 政治哲学ノート』(以文社、2000年)、同『ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生』(以文社、2003年)、同『バートルビー 偶然性について』(月曜社、2005年)、ミシェル・フーコー『安全・領土・人口』(筑摩書房、2007年)等。

 

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