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人造美女は可能か  立ち読み

『人造美女は可能か?』 

はじめに――人造・美女・エンサイクロペディア

 

 

巽 孝之
 

はじめに――人造・美女・エンサイクロペディア
         巽 孝之
1 人造美女――その文学史と文化史
2 ポストモダン人造美女――ガイノイドから始まる
3 未来のイヴ、未来のエンサイクロペディア

 

  3 未来のイヴ、未来のエンサイクロペディア

 右の略述だけからでもわかるように、人造美女をめぐる新概念は数多いが、にもかかわらずまともなエンサイクロペディアを作成しようとしたら、すでに「ガイノイド」の項目だけでも膨大な分量を占有してしまう。ほんらいならば、本書のように新しい文学研究・文化研究たりうるテクストには、懇切丁寧な用語解説を付してしかるべきだが、紙数の関係で断念せざるをえない。にもかかわらず、じつは本書の全体が、使いようによってはすでに人造美女エンサイクロペディアとして十全な中身を備えていることを、付記しておこう。その可能性をいかに引き出すか、そのエンサイクロペディアの将来にいったい何をどれだけ書き加えるべきかは、読者諸兄姉の裁量にかかっているのである。
 とくに今後補われるべきなのは、我が国における人造美女の言説史だろう。
 高原英理もいうように、その前史を辿れば、江戸川乱歩の「押絵と旅する男」(1929年)あたりから人造美女へのオブセッションを確認することができる。だが、戦後、最も著名な原型をなすのは、おそらくショートショートの名手・星新一が1961年に「人造美人」のタイトルで発表し、のちに「ボッコちゃん」と改題することになった短篇小説に見えるヒロインだろう。ヴィリエ・ド・リラダン描く未来のイヴすなわちアダリーや、ナボコフ描くロリータと同じく、星新一描く人造美女もまた、圧倒的な美貌を誇りながらも中身は空っぽ、限りなく俗悪に近い存在といってよい。そんな彼女に恋した男が、誘惑できない悲しさからグラスに薬を入れて毒殺を試みるもボッコちゃんはびくともせず、とんでもない結末を迎えてしまう――。美貌と俗悪の人工的な取り合わせこそが人造美女の条件を成すとしたら、それはもともと、爛熟した資本主義文明だからこそ可能なキャンプ的感性の産物とも言える。
 こののち、我が国における人造美女とセクシュアリティをめぐる言説が発展し、澁澤龍彦が一九七八年に発表した『機械仕掛けのエロス』やその美少女人形論は、以後、押井守にまで影響を与えるガイノイド的装置を受け入れやすくするための準備運動となった。
 それでは、今世紀最もラディカルな日本における人造美女はどこに見られるか。笙野頼子のリチャード・コールダー批判を含むポスト人形愛小説『硝子生命論』(1993年)のあとには、嶽本野ばらのゴスロリ&アマロリ小説の傑作『下妻物語』連作(2002年、2005年)を経たあとには、ひとつの例として山之口洋が2005年に刊行したきわめつけのガイノイド小説『完全演技者(トータル・パフォーマー)』(角川書店)を挙げておきたい。
 1998年の第10回日本ファンタジーノベル大賞受賞作に選ばれたデビュー長篇『オルガニスト』がクラシックを素材にしたバロック・ミステリーとして画期的だった一方、本書は青春小説の仮面を借りつつ、グラムからテクノへ至る音楽革命を中核に据えたロック・ミステリーの新境地を拓いてみせた。
 時は1980年代。主人公の井野修は、大学で理工学部化学科に在籍しながらバンド活動にいそしんでいたが、そのパンク指向自体に疑いを抱くあまり、メンバーと齟齬をきたす。だが、すべてに絶望しかけていた折も折、耳にした謎のアルバム「KLAUS NEMO」が運命を変える。ジャケットを彩るオペラ座の怪人ともドラキュラ伯爵とも見まごう前衛芸術家クラウス・ネモが、ボーイ・ソプラノを思わせる非現実的なファルセット・ヴォイスと悪意に満ちたテナーとを軽々と使い分けるオペラ・ロック。修はすぐにニューヨークへ飛びライヴを目撃。それは直立不動で歌うネモと、紅い人民服で正確無比に踊るボブ、それに紫のレオタードをまとい煽情的な肉体を誇示する美女ジェニファーの三人から成る、極度に官能的なパフォーマンスだった。
 ひょんなことからバンドに引き込まれた修は、ハドソン河底のスタジオで共同生活を開始。次回作のプロデューサーは何とデヴィッド・ボウイ。やがてネモとジェニファーがいかなる呪われた関係を経て至高の音楽を手に入れたのか、彼らがいったいなぜ修を必要としていたのか、そして、そもそもなぜ舞台が八〇年代に設定されなければならなかったかが、判明する。その禁断の秘密こそが、性転換すら厭わぬ人造美女製作をめぐる秘法なのである。
 ちなみに、ネモの名は2005年が没後100周年にあたるフランス作家ジュール・ヴェルヌの『海底二万マイル』の潜水艦船長より採られているが、新島論文が説得力豊かに語るとおり、ヴェルヌこそは最大の人造美女小説の書き手であったことを考え合わせると、これをたんなる偶然の一致ですませることはできない。19世紀ヨーロッパから21世紀アジアにおよぶ時空間を、人造美女という妖怪が脈々と徘徊し続けている。その徘徊が続く限り、わたしたちの人造美女エンサイクロペディアは、さらなる未来に向けて閉じることがない。


引用文献

  小谷真理『エイリアン・ベッドフェロウズ』(松柏社、2004年)。「ガイノイド」の起源となったギネス・ジョーンズ『聖なる堅忍』論を含む。
星新一『ボッコちゃん』(新潮社、1971年)。
山之口洋『完全演技者(トータル・パフォーマー)』(角川書店、2005年)。
Calder, Richard. “Toxine,” Interzone 4th Anthology (1989, London: NEL, 1990). 浅倉久志訳『蠱惑』(トレヴィル、1991年)所収。巽孝之解説「ガイノイド宣言」併録。この解説と本稿に若干重なる部分があるのをお断りする。
――「モスキート」“Mosquito,”Interzone #32(November-December 1989). 浅倉久志訳『新潮』1990年9月号、のち『アルーア』収録。
――“The Lilim,"Interzone #34(March-April 1990).浅倉久志訳『現代思想』 1991年1月号、のち『アルーア』収録。
――「蠱惑」“The Allure,”Interzone #40(October 1990).『アルーア』収録。
――『デッド・ガールズ』Dead Girls (MS.,1991;London:Grafton,1992).増田まもる訳(トレヴィル、1995年)



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著者プロフィール:著者プロフィール巽 孝之(たつみ たかゆき)

1955年生まれ。コーネル大学大学院修了(Ph.D., 1987)。 慶應義塾大学文学部教授。 19 世紀アメリカン・ルネッサンスの時代を中心に、アメリカ文学思想史の可能性を検討している。主著に『ニュー・アメリカニズム』(青土社、1995年)、『アメリカン・ソドム』(研究社、2000年)、『リンカーンの世紀』(青土社、2002年)、『アメリカ文学史』(慶應義塾大学出版会、2003年)ほか多数

 

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