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人造美女は可能か?  立ち読み

『人造美女は可能か?』 

はじめに――人造・美女・エンサイクロペディア

 

 

巽 孝之
 
 

 

 いまなぜ「人造美女」か?
 本書を手に取るやいなや「人造美女」という単語にいささか古めかしい響きを感じ取るかたも、あるいはおられるかもしれない。なるほど、いまや空想の世界にとどまらず日常の空間においてロボットやサイボーグといった概念が現実化しているから、この単語とともに、むりやり前世紀に引き戻されたような印象を受けるかたも、決して少なくないかもしれない。
 にもかかわらず、わたしたちがあえていま、一種の時代錯誤(アナクロニズム)を冒しても、人工より「人造」という古色ゆかしい単語にこだわり、人間のなかでも「美女」という範疇にこだわってみようと考えたのには、わけがある。それは、いわゆるロボットやサイボーグといった枠組だけでは必ずしも包括しきれない中世以来のゴシック的な錬金術的イマジネーションが、なぜか21世紀初頭において息を吹き返しており、それが今日の人工生命をめぐる最先端テクノロジーと融合しつつ、さまざまなサブカルチャーに浸透し、「技術」と「芸術」とがほんらい識別不能だった啓蒙主義以前の文脈を再認識させるからである。ならば、「技術」と「芸術」がかつて袖ふれあい、いまふたたび再融合しようとしているゆえんは何か――この本質的問題を突き詰めようとしたら、必然的に「人造美女」という概念が選択されることになった。
 本書は、そうした「人造美女」の可能性をめぐって2005年12月に開催され好評を博したひとつのシンポジウムをもとに、より広い文学や文化の角度から徹底的に再検討していく試みである

1 人造美女――その文学史と文化史

 人造美女――そのイメージは、文学史に関する限り、本書収録の論考がくりかえし言及し、とくに識名章喜論文が詳しく解析しているとおり、まずはドイツ・ロマン派作家E・T・A・ホフマンの『砂男』(1816年)に現れるオランピアをもって嚆矢とする。それに引き続き、イギリス・ロマン派作家メアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』(1818年)のなかでフランケンシュタイン博士の手になる人造怪物の花嫁の可能性を示唆しており、それは高原英理論文でも紹介されるように、のちの映画化においてゴシック的な人造美女として実現する。
 さらにこれがフランスへ渡ると、立仙順朗が言語サイボーグの可能性として論ずるマラルメの「エロディアード」(1867年)へ、新島進が現代的な人造美女の起源と見るオーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン伯爵の『未来のイヴ』(1886年)や透明花嫁が登場するジュール・ヴェルヌの「ヴィルヘルム・ストリッツの秘密」(1910年)へ、ひいては荻野アンナがその名にふさわしい「通り」を模索しようと東京路上観察の冒険に出たレーモン・ルーセルの『アフリカの印象』(1910年)へと発展していく。
 英米においても、ALI PROJECTの宝野アリカが幼少期より耽読し詩作の霊感源にしていたというルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』(1885年)から、巽がエドガー・アラン・ポオ晩年の詩で美女の死を嘆く「アナベル・リー」(1849年)を長篇小説版にし、人造美少女を創造したものと見るウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』(1955年)、眼窩埋め込み式ミラーシェードがトレードマークの女性サイボーグが大活躍するウィリアム・ギブスンのサイバーパンク聖典『ニューロマンサー』(1918年)、ひいては小谷真理分析するところの人造芸者を主役にしたアーサー・ゴールデンの『さゆり』(1999年)に至るまで、枚挙にいとまがない。
 人造美女をさらに視聴覚芸術全般の文化史にまで拡げるならば、本書はそれこそジャック・オッフェンバックのオペラ『ホフマン物語』(1881年)からマルセル・デュシャンのダダイズム芸術「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」(1923年)、フリッツ・ラング監督のサイレント映画『メトロポリス』(1927年)、茅野裕城子が愛してやまないアメリカ産のミニアチュア人造美女であるバービー人形(1959年〜)、リドリー・スコットがフィリップ・K・ディックの原作をもとに精巧な美女レプリカントを描いた『ブレードランナー』(1982年)、アメリカン・ポップの女王マドンナが自らを『メトロポリス』のロボット・マリアにたとえたかのような「エクスプレス・ユアセルフ」(1989年)、宝野アリカに影響を与えた異色の美少女人形作家・恋月姫の作品集『人形姫』(1998年)、美女人形とそれに生き写しの女優の競演を描く加納朋子のゴシック・ミステリー『コッペリア』(2003年)、スーザン・ネイピアの傾倒する日本版サイバーパンク・アニメの傑作であり美女ロボット・ガイノイドが大活躍する押井守の『Ghost in the Shell――攻殻機動隊』(1995年)『イノセンス』(2004年)連作、ずばり人造美女が主題に据えられALI PROJECTが音楽を担当した美少女人形アニメ『ローゼン・メイデン』(2004年―05年)、はたまた男性不在の完璧な学校で美少女たちがダンスのレッスンに明け暮れるルシール・アザリドヴィック監督の『エコール』(2004年)まで、リストは永遠に続く。



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著者プロフィール:著者プロフィール巽 孝之(たつみ たかゆき)

1955年生まれ。コーネル大学大学院修了(Ph.D., 1987)。 慶應義塾大学文学部教授。 19 世紀アメリカン・ルネッサンスの時代を中心に、アメリカ文学思想史の可能性を検討している。主著に『ニュー・アメリカニズム』(青土社、1995年)、『アメリカン・ソドム』(研究社、2000年)、『リンカーンの世紀』(青土社、2002年)、『アメリカ文学史』(慶應義塾大学出版会、2003年)ほか多数。

 

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